先日、成田山川越別院本行院の石井主監のお話をお伺いする機会をいただきました。成田山新勝寺の縁起と歌舞伎の市川団十郎家との関わり、そして、川越別院の縁起をお聞きしました。
冒頭で「縁起」という言葉を説明していただきました。私の拙い解釈だと、「縁起」とは元々仏教用語で、「因縁生起」という言葉から出来たそうです。すべてのものには、原因があり、また、何かの縁によって起きると。独立して起きるものは何ひとつないとのこと。
自分という存在は、父母を縁として存在している。お米が出来るのも、米粒を撒くだけでなく、肥沃な大地と水と太陽があってこそのことであると。世の中に偶然はあり得ない。「運が悪い」という人があるが、全く理由がなく、苦しむことはない。
お坊さんになってから58年とおっしゃる石井主監の「縁起」のご説明。とても心に響きました。ありがとうございました。
ユラーナ
冒頭で「縁起」という言葉を説明していただきました。私の拙い解釈だと、「縁起」とは元々仏教用語で、「因縁生起」という言葉から出来たそうです。すべてのものには、原因があり、また、何かの縁によって起きると。独立して起きるものは何ひとつないとのこと。
自分という存在は、父母を縁として存在している。お米が出来るのも、米粒を撒くだけでなく、肥沃な大地と水と太陽があってこそのことであると。世の中に偶然はあり得ない。「運が悪い」という人があるが、全く理由がなく、苦しむことはない。
お坊さんになってから58年とおっしゃる石井主監の「縁起」のご説明。とても心に響きました。ありがとうございました。
ユラーナ