昭和19年(1944年)の暮に川越に疎開しました。
戦局は激しくなり、翌年3月には東京大空襲があり、7月20日、父の故郷広島に疎開しました。
私の宝であったコロちゃんは連れてはいけません。10歳になる老犬ですがどうしようもなく、近所のKさんに預けることにして、悲しい別れをしたのです。
疎開先は広島県の鳥取側の山の方だったので、広島の原爆は激しい光と揺れを感じただけで済み、15日に終戦を迎えました。
コロちゃんが心配で、9月には父と妹の3人だけ先に東京に帰り、早速コロちゃんを迎えに行きましたが・・・・・・もう天国に旅立ってしまっていたのです。、
その時の呆然となったことは一生忘れられません。
私の宝のコロは、私が8歳のころに譲りうけた雑種で、薄茶色の尾がふさふさした可愛い犬でした。学校のラジオ体操にも連れて行き、それは当時では珍しいことでした。
戦争になり空襲警報が出ると、私はコロを抱いて防空壕に入りました。
写真は相和19年(1944年)に写真館でコロを抱いた妹と二人の弟の4人と1匹で、すが、トリミングしました。
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