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2 武井武雄との書鬼、書痴論争のこと

2008年10月12日 00時12分47秒 | Weblog
日本古書通信社の「日本古書通信」上で武井武雄大先生の「書鬼論」に反旗をひるがえしたのが酒井徳男です。事の発端は「日本古書通信」1956年(昭和31年)4月号に武井武雄が「限定本と私刊本」という一文を掲載したことでありました。

その中で武井武雄は、限定本の生まれる理由について「本の美術という立前から、隅々にまで行き届いた造本作品は大量出版では到底望み得ない場合」と語り「手摺のような工程を経るものなどが、十万も二十万も出来るわけがないのである。限定版という形態はそうあるべき必然的な理由があって生まれるもの」と指摘しました。

ここで止めておけば良かったのですが、返す刀で思わず「元来書痴という言葉は私は嫌いで、本が少し桁外れに好きな人を私は書鬼と呼んでいる。いくら好きでも馬鹿やたわけでは困るので、書痴というのは愛書の本道を踏みはずして、間違えた愛し方をしている人、むしろ愛書人としての屑のようなのをそう呼ぶことにしている」と持論の「書鬼論」を展開したのです。武井武雄の刊本世界内でのお話ならば、否定する人がいるはずもなく「先生、ごもっとも」と追従する人ばかりであったでしょうが、酒井徳男は違います。決して見逃しませんでした。

武井武雄の書鬼論を読んだ酒井徳男。早速次の号で「書鬼と書痴」と題した反論を掲載します。

酒井徳男曰く「人の好みというものは、衣食住は愚か、千差万別であって、よいのわるいの、くだらぬの、つまらぬの、と言ってみたところで所詮主観的な物で、あげつらうことが愚かなくらいのもである」と感情を抑え、正論からやんわりと切り出します。

そして、「書痴の痴はしれ者、馬鹿者の意味ではなく日本人独自のへりくだりとユーモアから生まれた言葉である」と大先生の思い込みを完全に否定します。さらに「どう考えても書痴より書鬼の方が上等な言葉だとは思えない。鬼という字を好む人も多いとみえて、文学の鬼、芸道の鬼、護国の鬼、復習の鬼、などいろいろあるが、いずれにしても、鬼という字がつくと、こけおどしの内容を見すかされるし、真ッ赤な顔をして眼はおろか、肩肘怒らして唯威張っている少し脳の具合のおかしいものが連想される。痴ほどの心の余裕は、逆立ちしてもおよばぬようだ」と平常心で禅問答の答えを導き出し、斉藤昌三・峯村幸造主宰の「書痴往来」という誌名も「書鬼往来」ならば手にも取りたくないと結論づけます。造本芸術への自分も含めた厳しさからきた武井武雄の「書鬼論」も酒井徳男の大人の対応、大人のユーモアの前には形無しという具合ですね。



「寿多袋」に貼りこまれた水曜荘主人の生写真
本文はガリ版印刷である


つまりこの論争、どう見ても酒井徳男の勝ちだったようで、武井武雄の「日本古書通信」での再反論はありませんでした。おかしな物言いには、相手がどんな大先生でも反骨精神をもって立ち向かう酒井徳男の心根が、かいま見えるエピソードではないでしょうか。
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