どーも気になるんです。表題の言葉が。
ウェルメイド。
インフォシークの辞書サービスサイトでは
well-made「格好のよい、釣合いのとれた; がっしりした; できのよい」
となっています。
しかし、これが映画や小説などのレビューに使われるとなると、
そこにはなにやらワタクシの心を乱す(っていうかムカムカさせる)
用法となっているようです。
例えば、こんな感じ。
「ウェルメイドではあるが、よく出来た作品だ」
「所詮ウェルメイドではあるが、ときおり目を引くシーンがある」
どっかで見たり聞いたりした覚えありませんか?
つまりウェルメイドという言葉は、
「大衆受けを狙うあまり、パンチに欠ける」とか
「全体的によく出来てるけど、魅力が薄い」みたいな
トーンで使われてるようなんです。
何様? って感じです。
エンタテインメント作品の地位の低さに関しては、
まぁ、いろんな人が言及しているので、ここでは画面を割きませんが、
ここにあるのは、どうにもこうにも拭いきれない、
「多少難解な方が上等」という意識じゃないですかね。
小説(文学というカテゴリーはもはや存在しないとココで指摘されています。
同感です。なので、狭義になりますが敢えて小説と言います)や映画などが
教養であった時代では、確かにその傾向はあったと思うんです。
なにせ、中野重治の小説で、オチがドイツ語、ってのがありましたし、
名作といわれる映画の中には、観客に歴史的素養を求める作品も少なくありません。
でもね。
いまや、小説も映画も「教養」から決別した位置に存在しています。
91年の統計では、識字率は100%だと謳われているそうだし、
言ってしまえば「誰にでも楽しめる」という素地が、
もうすでに映画にも小説にも与えられているんです。
きっと、そう言ってしまってもいいはずなんです。
つまり、そもそも、物語として語られている作品は
「誰が見て(読んで)も理解できる」が、
映画や小説の「大前提」なんだと思うんです。
ですから、前記のような
「ウェルメイド」+否定形
を使用しているレビューは、もう、なんつーか、イヤなんです。
分かりやすいから=安い、みたいな公式が、無意識にでも頭の片隅にあるレビュアーなんて、
餓死してしまえばいい、とすら思っちゃうわけです。
ってことで、できうれば、こんな一文を読んでみたいんですね。
「残念ながらウェルメイドには仕上がってないが、
時折見せる暴走気味な記述でさえ、面白いと唸ってしまう小説だ」とか
「ストーリーに押し流されるように見てしまうが、タイトルロールを見送ったときのには、
きっと、ウェルメイドな作品であったな、という感想が生まれているだろう。
それほど完成された、出来のよい映画なのだ」
みたいなのを、ね。
失格?
そのあたりからどっか方向が違っちゃってるんじゃないの?という感があります。
ウェルメイドって言われてもねぇ…多分、目の前で言われたら私は吹き出しちゃうと思います。
まずは、自分の言いたいことを母国語できっちり表現できるようにしたらいいんじゃないの、外国語に逃げないで。
論点ズレズレです、失敬。
なんというか、オレも「楽だから」カタカナばかり使う、
ビジネスマン風味の人(特にマーケティング会社関係)には
激しく違和感を感じますが、過ぎなければ、
その懐の広さもまた、母国語として日本語を誇れるポイントかと。
天ぷら、半ドン、ブリキ。
要は、間違っていても消化しちまえばいいだけであって、
でも、消化しきるまでは「ぐだぐだ言うぜオレは!」
な訳です。
>しゅんちゃん
難しいことを、いかに分かりやすく伝えるか。
賢さは、ひとえにその翻訳能力にかかってるんだと思います。
しゅんちゃんも、社長室がもらえるくらい、
日本語の使い方は立派です。