ご機嫌公論

フリーランスのライター兼編集者・ロイ渡辺のBLOG。
締め切り間際に更新されていても、それはあくまでも「息抜き」。

「私は友達(周囲の人)に恵まれている」

2008-04-26 21:28:29 | 絶対禁止事項
うっかりカテゴリを「絶対禁止事項」にしましたが、もしかするとそれよりは多少「弱め」かもしれません。
お願い事、に近いかもしれません。



宗教的にだったり思想的にだったり、はたまた生物学的にだったり。いろんなジャンルで繰り返されてきた、繰り返されている質問。
「人はなぜ生まれてきたのか」あるいは、「人生の目的とはなにか」。

遺伝子レベルのうんぬんとか、種の繁栄とか、そーいうこと(正しいけど)を脇に置いておくならば、きっとこの質問の答えは「快適に暮らすこと」なのだと思う。

で。
人間というのは「コミュニケーションの生き物」です。
他の動物と決定的に違う箇所は、言語や芸術などを「作り、残す」こと。
この「時間軸方向に延び」るコミュニケーションの他にも、同時代的に違う場所へと言葉や芸術を「横方向へ拡げ」るコミュニケーションがあります。

この「横方向へ拡げ」るコミュニケーションが、身近な形になったものが「友達」や「身の回りの人間関係」です。


つまり。
人はみんな、生きていく意義(快適に暮らすため)として、とても誠実に努力して友人や家族を愛おしんでいます。
言うなれば、「そのために生きている」訳です。
素敵な友達や周囲の人たちを得るために、良好な関係を結ぶために、生きているのです。
だとすれば、その努力の結果「周囲の人に恵まれる」ってのは、当然の帰結。

だから。
友達や周囲の人に恵まれている人は、改めて口に出すのはやめませんか?
それは、分かってますから。
噛みしめて、感謝の気持ちは違う形で表しませんか?

美味しい料理を食べたとき、思わず「美味しいね!」って言うのとは、何だか訳が違う気がするんです。
「料理程度」ではないはずなんです。
何せ、一生の目的なんですから。




ちなみに。
「私は友達に恵まれている」と「趣味は人間観察」は、若い女の子の口癖みたいなもんだと思うんですけどね。
実感が薄いから、口に出さずにはおられない、って感じでね。