ご機嫌公論

フリーランスのライター兼編集者・ロイ渡辺のBLOG。
締め切り間際に更新されていても、それはあくまでも「息抜き」。

高岡蒼甫&宮崎あおい

2007-07-10 22:41:55 | こんな人でした
今日、教えてもらって気が付いたんですけどね。

宮崎あおいちゃんと結婚した高岡蒼甫くん。
そういえば『バトルロワイアル』のときに取材してたんですよ。
そうかそうか、君が高岡蒼甫くんだったのか。

高岡くんが演じた杉浦という役は、原作ではなかなかの見せ場のある役だったんだけど、
映画では残念ながら「殺される1エピソード」に毛が生えた程度。
撮影現場で監督から死に方について厳しく指導されていた姿をたまたま見ていて、
メインキャストの他に誰かピックアップしようかと思い立ったときに、彼を選んだんです。

そんな「偶然」で取材をすることになったワケですが、高岡くんといえば、麻布十番の裏の方にある小さなスタジオで
「オレが取材なんて受けてて、いいんすかね?」
と、ドキドキしてた姿を思い出します。

スターダストに移籍したのをきっかけに、芸名も「佑」を「甫」に変えたりして、いろいろ頑張ってきたみたいだねえ。
これからも益々気張ってやっていってください。

そういえば、同時期にサントリーの「緑水」に出てた宮崎あおいちゃんも、取材してたのでした。
指折り数えると、どうやらその前後なんだよなあ、2人がつきあい始めたの。

小さくて、可愛らしくて、こっそり「本当は言っちゃいけないんですけど、お茶、苦手だったんですよ」なんてことを言ってた彼女。
今では立派な女優さんになりました。

何はともあれ、お幸せに。
……なんてことを考える小雨の夜なのでした。

安藤政信

2005-04-07 02:57:08 | こんな人でした
……多分、コレまで会ったことのある男性で
彼くらい綺麗な人をオレは知りません。
そして「俳優ってなんだ?」と、考えさせられる人でもあります。

最初に会ったのは、96年。
北野監督作品『キッズ・リターン』のパブ取材でした。
松竹の横の公園で、共演の金子くんと一緒に、
自転車に乗ってもらったり、弁当食ってもらったり。

その後、ちょっと間を空けて
00年『スペーストラベラーズ』、『バトル・ロワイアル』
01年『サトラレ』、『RED SHADOW~赤影』と
立て続けに取材をしました。
これって、とても稀なことなんですね。
だからまぁ、印象深いし肩入れもしちゃうんですが。

彼は「役を入れる、役を出す」ということを
どうしてもしてしまうタイプの役者さんだと思います。
自分の中に役を入れる、それをフィルムが回っているときに出す。
器用か不器用かは何とも言い切れないけど。

映画という長期にわたる撮影でそれをしてしまうと、
役者はかなりヘヴィになってしまうようです。
『バトル・ロワイアル』のときは、こんなことを言ってました。
「毎日、人を殺すことばかり考えてるから、辛い」

そのときの役は冷徹な殺人者・桐山。
作品の中の「不条理」を体現する役どころ。
役の頻繁な出し入れが、どんどん重荷になっていた感じだったのを覚えています。

思い返せば、最初の取材でじゃれ合う友だち同士、
みたいな写真をセッティングしたときにも、自分で絵を作ったあと、
「シンジ(役名)っぽい?」と出来を聞いてきたような気がします。

このときからすでに「役を入れる、役を出す」みたいなことを
していたんだなぁ、と思います。

最後の取材になった『赤影』のときは、
さすがに間を置かずの取材だったので、安藤君もオレを覚えていたみたいで。
カメラマンに雰囲気を指示して
服に付いたゴミを取ったりしてたら、
「この人さぁ、うるさいんだよねえ」
なんてことをニヤニヤ笑いながら、ぼそっと。

「きちんと役を出して写るからさ、うるさいこと言うなよ」と
言外に言ってたのかもしれません。

だから、オレも言い返したものです。
「いいから、取材中に、ソファに寝ころぶなよ!」

池内博之

2005-03-26 01:35:42 | こんな人でした
今日、「笑っていいとも!」に出てたので、思い出して(笑)。

一番最初にお会いしたのは、彼がまだ高校を出るか出ないかの頃でした。
ポカリのCMの坊主頭そのままで、まだ慣れてない感じでした。
「建築関係の学校にも行ってみたいんですよね」と話してたのを覚えています。

彼は、何というか、きっと作り手が「使いたくなる役者」なのだと思います。
こいつ、オレがいじったら絶対面白いぜ、と
作り手に思わせる、何かがあるんでしょう。

個人的には98年公開の『BLUES HARP』を見て、
「お、来たな!」と思いました。
全体の物語の流れと、周囲のキャラ造形に長けた映画だったのですが
そういうとき、主役は意外と埋没してしまうもんです。
でも、池内君は、きちっと浮き出てました。
線の太い、でも押しつけがましくない好青年。
そんなポジションを手に入れたのかな、と。

でもって、2度目にお会いしたのは
『スペーストラベラーズ』のパブ取材のとき。
オレとしても初めてのスタジオ作り込み撮影&インタビューでした。
そのときには、素直に「いい男になったなぁ」と感じましたね。
映画の中で割り振られた役は、まぁ、今となってはどーでもいい役でしたが。

もっともっと場数を踏んで、
たまにハズれた役もこなしつつ、
いい俳優になってもらいたいもんです。

色黒の人、ちょっと憧れてるし、オレ(笑)。

(1996 下半期&2000 下半期)

魔夜峰央、ローリー寺西、オナペッツ

2004-09-09 00:45:23 | こんな人でした

4人でひとまとめかよ! と言われるかもなんですが、
まぁ、いっぺんにお会いしたので、ってことで。
というか、同じような空気感がね……。

このお4方(って言うのか?)は、
「パタリロ!」の再録本のおまけ鼎談でご一緒しました。


魔夜さんは、知る人ぞ知る「モテ」さん。
愛妻家であることを公言してはばからない、
そのロマンチストっぷりが、原因と見ました。
何せ、奥さんに請われて一緒にバレエを習い始めちゃったりするのですよ?
そりゃ、ある意味旦那さんとしての理想型でしょう。

物腰も柔らかで、でも、そーいう優先順位をきっちり持っていて。
「私の恋人だったら、大事にしてくれるんだろうな」という
女性の想像力をかき立てるんだろうなぁ。
と、お勉強させていただきました。


ローリー氏は、その前に一度お会いしてたんだけれど、
やっぱり「いい人」。
周りに気を遣って、ときにそれが行き過ぎになる。
頭が回って、でも時折意識的にそのリミッターを外す、
そんな壊れ方をする人。

きっと、自分に対する客観評価が明確だから、
調子に乗って踊らされることが少ないんだろうなぁ。
バラエティの制作サイドからすると、
そういうところがもしかしたら使いづらいのかも。
ほら、何も考えないバカの方が扱いやすいじゃん?
賢くて損をしてる人かな。
もちろん、精神的に異形であることは確かなのですが……。


そして、実は彼らのことが一番書きたかったんだけど、
オナペッツのおふたり。
これがさ!
化粧しないでやってきたんだけどさ!
抜群にいい男なんだよ!
腹立たしいくらい!

あのね、いわゆる露出してる彼らって、
ドラァグ・クィーン系でしょ?
でもって、お世辞にも美しいと言えない感じ。
コレは、実は「元は美形」ってことの裏返しだったのですね。
ほれ、美人に化ける女形って、ぺったりした顔でしょ。
つまり、そういうこと。

ふたりとも背は高いわ引き締まってるわ、
派手目のスーツが似合ってるわ、
連れてた女の子は美人だわで、
ショック&羨ましかった(笑)。

オナペッツは、化粧無しで売り出した方が良かったのでは……。


八木亜希子

2004-08-13 03:43:40 | こんな人でした
最初はお見かけしただけでした。
(って書き方でも分かるように、ええ、好きなんです、八木ちゃん)

6年ほど前。
とあるムックの仕事で「めざましテレビ」と「スーパーニュース」に潜入取材をしたことがありました。
「めざまし」は深夜スタートの取材で、朝までずーっとうろうろし、
体内時計狂いっぱなしのまま、「スーパーニュース」の取材。
で、当時「スーパーニュース」のメインキャスターをしていたのが八木さん。

少なからず好意を持っている女性ですから
(ええ、好きなんです、八木ちゃん)そりゃ、気になります。
気になりますが、前述のように、とにかく眠い。
んでもって大あくびをしているところを、見られてしまったのですね。
それが最初に彼女と目があったシーンでした。

その次にお会いしたのは、某お笑い研究者が書いた単行本の巻末企画の仕事でした。
三谷幸喜とその著者と、そして進行役の八木さんが対談(鼎談)して、
それを書き起こすのが仕事でした。
取材の前日、共同テレビまで赴いて打ち合わせをして、そして当日。
こうして3度会うことになったのですが、
その3回で分かったことは、この人はまぁ、つかみ所のない人だな、と。

実際は、とても頭脳明晰で、ツボはぴたりと押さえる人なんです。
でも意識的か無意識か、その押さえたツボを微妙に、でも見事に外す。
天然といえば天然なのかもしれません。
きちんと進行をこなしつつ、時折、とんちんかんな合いの手を入れる。

なんつーかね、もう、いいんですよ。
本当の愛嬌ってのは、こーいうのを言うんだな、と。
妙にオトコに媚びることが愛嬌だと思ってる女性がいたりするのですが、
そいつぁ大きな間違いで。
賢さに裏打ちされてない愛嬌なんざ、何の価値もないんです。

ついでに言えば、スポーツ紙で「八木亜希子結婚!」という見出しが踊ったのは
この取材の翌朝のことでした。
何となく落涙。

(1988 下半期&2002 下半期)

一条ゆかり

2004-07-12 07:35:58 | こんな人でした
我が朋友からのご指摘がございまして。
「オマエが一条さんのことを師匠って呼んでるの、
知らないやつには訳わかんないよ」と。
ごもっともなので、書きます。むふぅ。


一条ゆかり。
言わずと知れた少女マンガ界の女王。
オレの認める、数少ない天才の一人、です。

最初お会いしたのは、某悪魔教団の小暮閣下との対談の席でした。
オレは例によってライターとして参加してたんですが。
このお二人、妙に「気を使う」タイプなんですよ。
相手のフィールドに立って話してあげようとしすぎるあまり、
会話が空回ってしまう、そーいう悲しい組み合わせでした。
で、オレはそういう時、しゃしゃり出ることにしてるんです。
こっちをいじり、あっちに突っ込み。
記事なんざ、後でオレの発言を削っちゃえばいい訳なので、
要は現場が盛り上がればよい、と。

そのときの印象がやけに強かった、と一条さんは言っておりました。
こんなに対談に入ってくるライターは珍しい、と。
ということで、彼女が白泉社の『メロディ』という雑誌でコラム連載をするときに、
ご指名をいただいた、という次第。
そこから2年間、月に一度、一緒に酒を飲みながら
今回のネタはこうしようああしようと打ち合わせなどで
顔を合わせてたのでした。
(主に飲酒がメインだったことは言うまでもございませんが)


その後、この連載がになったときも、編集に参加したりして、
機会があれば会って酒飲んだりしながら、
今に至るわけです。

この人の凄いところは、
きっちり努力の出来る天才である、というところ。
というか、努力し続けられる才能がある、ってことかもしれないです。
デビュー以来、沈むことなくトップを張ってる少女マンガ家なんて
皆無です。
しかも、自分のしていることを「仕事」と認識できているところなんか
(食うために働いているから仕事は別に好きじゃない、
みたいなことを言う人、死ぬほど嫌いなので)
こっ恥ずかしいけど、尊敬してます。

「マンガ描いてるってことは、ワタシの最大のウリだからさ」
なんて言い放つくせに、
左手が動かなくなるくらい、ペンを握り続けてる。
面白い作品を見ると本気で悔しがるし、
つまらない作品を見ると「ワタシならこう描くのに!」と憤慨する。
オトナの癖に大人気ない。

一条さんは、オレのことを誰かに紹介するときに、
「ワタシの友だちのライターさん」と言います。
オレも、彼女のことは友だちだと思ってるんだけど、
それ以上に、オレの考えとかスタンスとかを
オレより先に言葉にしている、という実績から見て
「師匠」と呼んでます。
こないだそう言ったら「フザケンナ」と言われましたが……。


いい女ってのは、年齢に関係なく存在してるんです。
それを教わっただけでも、師匠と呼ぶにはふさわしいかと。

マンガ家大御所3名様(ロイ基準)

2004-06-27 02:31:16 | こんな人でした
「子供の頃、よく読んでたのよね」と
友だちが名前を出してきたマンガ家が、
そーいえばみんな会ったことのある人だったので、
ちょっと驚きながらアップ。


萩尾望都

一度目は取材で、
二度目はS社のパーティーの二次会でお会いして、
そのときはなぜか二人きりになるような席だったので
小一時間、膝を突き合わせるような形で話し込みました。

話題は、萩尾さんの結婚観やら、
物語の作り方やら。
今思えば、とても貴重な世間話。

彼女は、とても「女性」で、
おっとりとした物腰の中に、
作家としての矜持を持っている人でした。

また、マンガ家としては珍しく、きちんと「衣装」の勉強をした人なので、
服の基礎的な構造やベーシックな造りに知識があり、
資料をあたらなくてもコスチュームを描けるのだそうです。

なるほど、と感心しつつ、
帰宅してから『スターレッド』を読み返したのでした。


弓月光

師匠の一条さんに連れられて出かけたパーティーの席で
ちょっとお話したのですが。

外見は、失礼ながらただのオッサン。
でも、とてもとてもサービス精神の旺盛な人で、
「あぁ、こりゃ女性にモテるわ」と思わせてくれましたね。

ただ優しいんじゃなくて、
オトコとして優しい。
人間として優しいと、いつの間にか「いい人」にカテゴライズされちまうものですが、
彼はその一線が分かっているんじゃないかなぁ。

伊達に少女マンガで長年描いてきたわけじゃねーな、と。


和田慎二

S社のインタビュー記事でお会いしたんですが(決別前)、
その一環で、一緒に警視庁に取材に行ったりして。

この人は、まぁ、基本コンセプトが「乙女」なんです。
ルックスは自画像どおりのヒゲクマさんなのですが、
心が乙女。

彼の乙女心はloveではなくアクションに向いているのが、
まぁ一般的な尺度とは違うところなのだけど、
常に夢を見ている感じのする(もしくは、自分の作り出す世界に夢を見ていられる)、
そんなオジさんでした。

結果的に長編をものしてる人なんだけど、
その原動力になってるのはパワフルさではなく、
この乙女心なのではないかな、と
オレは勝手に思ったものです。


早坂茂三(故人)

2004-06-22 22:22:36 | こんな人でした
いや、故人2連チャンに意図があるわけではなく……。


駆け出しの頃、某ビジネス雑誌でデータマンをしていて、
早坂氏を取材したと記憶しています。

当時、取材対象者の選定すら任されていて、
ひとりで取材に行かされていたのに、
早坂氏は「オレも行かないとまずいだろう」と、
編集者(いつも一緒に仕事をしていた人ではなく)が同行。

同行するはずだったのですが、
これがまた、遅刻してきたわけですよ、
その編集者が。
遅刻にうるさい人だから遅刻するなよ、と
言っていたのにぃ。

事前の打ち合わせもあまりしていない上に、
駆け出しもいいところだったオレなので、
どうしたもんかとしばし逡巡。
意を決して、事務所を訪れたら、案の定、大声で叱られました。
いわく、取材を申し込んだほうが遅刻するとは、
社会人として考えられない、云々云々。

お説ごもっともなので、
こちらはもう、恐縮しきり。
さんざん叱り飛ばした後で、
「まぁ、時間通りに来たあなたに言っても仕方がないけど」。

あのぅ、叱った後で言わないでください……。

人柄は、一見豪放磊落な見かけの裏にある、
繊細な部分と臆病な部分が見え隠れして、
オレとしては「面白い人だな」と思ったんだけれど。
古いタイプの政治家と二人三脚をしてきた出自のせいか、
その後、華やかな表舞台には、長居出来なかったようです。
ご意見番的な役割には馴染めなかったのでしょうかね。
著作は多く記したようだけど。

ご冥福をお祈りします。

記事

(1994 ?)

西田尚美

2004-06-19 00:50:57 | こんな人でした
最初にお会いしたのは『学校の怪談3』のパブ取材だったかな。
西田さんがいい、ではなく
西田さんでもいい、みたいな流れの取材だったのですね。
出演者なら誰でもいいや、みたいな。

でも、しかし。
取材はとてつもなく楽しくて、
普段なら「お疲れ様でした」と言うはずの取材立会い(東映広報)の人が
「楽しかったです!」って笑いながら言うくらい、
時間中、ずーっと笑いっぱなし。

肩肘張った部分がこれっぽっちもなくて、
飄々として自然体。
だから、こちらもいつもの調子が出て
笑いっぱなしで(それはそれで問題あるけど)終わったのですね。

2回目は、ちょっと無理やりにブッキング。
ほぼパブではない企画で、でも
もう一回会ってみたいな、と思ったので。

相変わらず、ふらりと取材現場に一人で現れて、
写真撮影のときも、手ぐしでちょっと髪を整えるだけ。
女優なんだから、もう少し気を使っても……、とこちらがハラハラするほど。
飄々未だ健在、って感じでした。

どうやら、その雰囲気が彼女のよいところであり、
逆に言えば、いまいちブレイクしない原因なのかも……。
このまま中年になってほしいなぁ。

(1996&2002)


古尾谷雅人(故人)

2004-06-18 00:14:02 | こんな人でした
正直、怖かったです。

オレは、基本的に怖がったり、過度に期待したり、
そーいう「変な感情の動き」を無しに取材するんですが、
古尾谷さんは怖かった。

ぶっきらぼうだったし、
こっちの言葉に乗って話をしてくれるわけでもなかったから、
怖い感じがしたのはしょうがないことだったのかもしれない。
でも、今にして思えば、それは、
彼の「感情の動き」が読み取れ切れず、オレが勝手に空回りしてたからだと分かります。

実際、彼は全然怒ってるわけではなく、
インタビュー後の撮影のときには、こちらの意図を汲み取ってくれて
かなりバカなオファーにも快く応じてくれたものです。

「取材を受ける人を楽しませる」ってことが出来切れなかったわけで、
ただただ、自分の実力不足を反省したりするのです。

(1996 ?)


天方直美

2004-06-11 15:20:24 | こんな人でした
avexからデビューして、そのときに取材をした人。
正直言って、あんまりピンと来なかった。
当時はavexバブルみたいな頃で、
女性シンガーが大量生産されてたから(今もそうか?)
まぁ、言うなれば「目玉がない」その他大勢、だった感じで。

実際お会いしても、ただただ普通の人だった覚えが。
いつの間にかデビューして、流されちゃってここにいる、みたいな、
良くも悪くも自己主張のない感じ。

その後、めっきり見かけなくなったなぁ、と思ったら
こんな感じで活動を再開してたみたいです。
アポロシアターで腕試しをしてみたりしてたようで、
もしかしたら、そういう「武者修行」を経た今は、
昔とは感じが変わっているのかもしれない。
内側から「歌うモチベーション」が湧けば、実力はある人だし
面白いことができるんじゃないかな。
と、偉そうに言ってみる。

今、もう一度機会が有れば、お会いして話を聞いてみたい人。

(1996 ?)

寺田農

2004-06-10 01:19:04 | こんな人でした
って誰? とか言わないように。
名優です。

本当は、寺田さんに取材だったのではなく、
「ドラマの消えモノ(劇中に使用する食べ物)は美味いのか?」
という思いつきだけの企画で、
そのとき撮影していた『もう涙は見せない』
(いわゆるジェットコースタードラマ。うわっ、懐かしい!)
の撮影現場にお邪魔したときにお目にかかりました。

撮影場所は、ハウススタジオ。
別の部屋で今まさに撮影されているときに、
なぜか取材で入ったハズの僕らが、
テーブルに残されていた天ぷらを食っていたんですから、
そりゃ、その場にいたキャストさんは驚いたことでしょう。

「ん? 何の取材?」と、気さく&にこやかに話しかけてくれたのが寺田さん。
実はこれこれこういう取材で……、と説明すると
楽しそうに笑ってくださった上に
「そうかぁ。いや、消えモノといえば、一番は何と言っても
テレ朝だよ」
と、非常に有益な情報までいただいてしまい、
なんとなく肩身の狭い思いで取材していた僕は、
救われたような気がしたものです。

寺田さん、ありがとう(笑)。

ちなみに、
この企画の姉妹編「どこの局の食堂が美味いのか?」
では、NHKの食堂で着流し姿の古谷一行さんを見かけたのですが
遠くからちらり、だけだったので一項目を割かないことにします。
でも何でここで書いたかというと、
羽二重かぶって着流しで局の食堂にいる古谷一行、って絵が
あまりにインパクト大だったので、です。

(1993 下半期)

竹内結子

2004-06-08 04:33:56 | こんな人でした
女優さんとしてとても実力のある人。
『ランチの女王』のOA時に取材しました。

実際お会いした時のイメージは「とにかくノーマル」。
ごくごく普通の女性であり、社会人さん、という感じ。
そのときは、漠然と「当たり前だけど、実物は美人だなぁ」
だったのだけど、最近映画『恋火』のパブでバラエティ番組出まくりなお姿を見てると、
もしかしたら、とてもムラのある人なのかな、と。

ムラがあるっていうのは、つまり、
気持ち優先で、物事に固執しない、ということ。
女優という看板を掲げてる人は、その看板ゆえに行動が限定されてしまって
逆になかなか気持ちを優先で行動できないのかも。

彼女は、女優さんでありながら
次に起こす行動が「ほんの少しだけ読めない」ような
でも、安心して見られるような、そんな人だったのだな、と
最近再確認したのでした。

(2002 下半期)

大沢樹生

2004-05-28 18:35:10 | こんな人でした
実は、この「こんな人でした」を書こうかな、と思い立った
その動機になった人。

取材をしたのは、某メジャー芸能プロダクションの報復人事が終わり
地味に活動再開をした頃だったかと。

見るからにキツい顔立ちだし、
テレビで見る限りの言動もオレの嫌いな「ヤンチャ系」。
そんな感じで、取材に赴く前は気が重かったんですよ。

ところが、これがまた、あーた。
凄まじくいい人。
とにかく優しい。
一生懸命言葉を探してくれたし、
我々取材陣に気を使ってくれている姿勢も素敵でした
(もしかしたら、それが彼のすべてではないにせよ)。


この人を取材したお陰で
「会ってみなくちゃ分からない」という、
至極もっともなことを実感できた、と言っても過言ではないかな。
とても驚き、とてもありがたい経験でした。

(1995?)

瀬戸朝香

2004-05-25 04:31:01 | こんな人でした
某少女雑誌の編集をしているとき。
どーしてもページが作れずに、
当時所属していた事務所の担当者の人に泣きついて取材させて貰いました。
そんな「急な上にこれといったパブも無い」ような取材だったのに、
彼女はとても感じよく応じてくれた記憶があります。

当時、元ヤンキーだとか、生意気だとか結構意図的な悪い噂を立てられて、
伸び悩んでいた時期だったと記憶しているんですが。
でも、実際はとても穏やかで、
人の話をきっちり聞いてから答えるオトナな女性でした。

上記のような状況で取材を受けてくれたご恩と、
比較的下顎骨ががっしりしている女性が好みだ、ということで
人知れず応援しているタレントさんです。

(1995?)