笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

あ~、またか。と思うCMに出会ったので、久々につぶやいてみる

2012年10月19日 21時34分35秒 | テレビ
その1
対象:京都旅行中とおぼしき女子3人
場面:タクシーに乗り込み「美味しいお店あるかな」とひとりがのたまう。颯爽と「スマホ」を取り出す他の女子。どうやら良さげなお店を見つけたらしい。

その2
対象:観光中の夫婦とおぼしき二人
場面:女性からの質問に液晶端末で応えたり、お食事処などを検索する、ご亭主らしき男性

その3
対象:運転中のドライバー
場面:外の景色に目を奪われ正面の車に急接近!「あわや追突か?!」


その1へのつぶやき:なぜタクシーの運転手さんに聞かないのか?
→わからないことは地元の人に聞く、というのも旅の楽しみではないかと思うのだ。京都は日本語通じますしね。若者のコミュニケーション力をそれを求める企業自身が奪いつつあるように感じます。
それから、食事と宿泊は旅行の大切な要素。行動予定くらい事前に作ろう。

その2へのつぶやき:なぜ質問者はいつも女子なのか?
→足の向くまま、気の向くままのひとり旅ならば、突然の疑問にネット端末で情報検索もありかもしれない。が、このふたりは決定的にロマンティックではない。もう一度言う。「なぜ地元の人に聞かないのか?」。
神社仏閣の方々はおしなべて皆さんとても親切。ありがたいお話もしてくださる場合もある。なぜ、そのような「偶然の出会い」を求めないのか。ダンナよ、聞きたくないのか、聞けないのか、自分だけが使える(?)端末を見せびらかしたいのか?
100歩譲って、仮にその場に誰もいないのならせめて「帰ったら一緒に調べようか」とでも言えないのか?
それからこちらにも再度言う。「食事と宿泊は、旅行の大切な要素。行動予定くらい事前に作ろう」

その3へのつぶやき:この内容(CM)では、単に誤解と混乱を生むだけではないのか?
→車に必要なのは、アクセルとブレーキです。アクセルは加速するもの。ブレーキは停止させるもの。
コンピュータ制御でこのブレーキが自動で作動するような車が市場に出るような雰囲気。しかも、ある番組では正面の障害物を自動的に検知すると、それをよける動きをするような機能まで研究されているのだとか(番組の映像を観ていて怖かった)。
以前騒音がない車を市場に出して、視覚障害者のクレームを受け「音がでるように改良しました」といった自動車会社があったけれど、これでは自動車会社って購入者のことしか考えていないんでしょう、と言われても仕方がないと思う。
それにしても、ブレーキという運転者だけでなくその周囲にいる人まで巻き込む可能性のある部分を自動化してもいいものだろうか? これでは「わき見運転OKだよ~ん」的な印象を与えかねない。なんと後味の悪い演出のCMだろう。
原因は、事の重大性とCMのお気楽さにギャップがありすぎるせいだと思う。

運転が楽になりました、と売ってきたオートマチック車で「アクセルとブレーキの踏み間違いでコンビニに突っ込んだり、駐車場から落下した」なんていうニュースをこれまで何度目にしてきたことか。
どうせなら、コンビニに突っ込む直前で「自動検知システムがあってよかったよかった(^^)v」ってCMにすればいいのに(^_^;)。そのほうが絶対に売れる。
まぁ、ブレーキ云々よりも運転者のモラル教育の方が先だろう、と感じてマス。

沢山の情報、便利な品々。私は決してこれらを否定はしません。
スマホもネット端末も、緊急時のツールとして有用であることは「3.11」で帰宅難民になった身として痛感しましたから。対物自動検知システムも今後の高齢化社会を考えると自分自身を含めて、あってもいい技術だと思います。

ただ、便利さには必ずそれと引き換えにしなければならない「落とし穴(代償)」があるものです。それを忘れてはいけないと思うのです。
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