『ヤノマミ』(国分拓著)読了。
アマゾンの奥地で1万年にわたって独自の文化と風習を守り続ける人たちのノンフィクション。
そんな人たちと、日本人のテレビディレクターとカメラマンが150日間にわたって同居するという。
その中で見えてくる、我々の社会の規範では語れない、理解できない生き方。
共感できるところもあり、和んだり笑えたりする部分もあるが、
全体的に、かなりショッキングな内容だった。
我々の社会ではタブーとされていることが当然のように行われていたり、
はたまた、我々の社会と同じようなところがタブー視されていたりと様々。
「ヤノマミ」とは先住民の言葉で「人間」という意味らしい。
我々の社会では目をそむけ、隠されるような事が、
ヤノマミの社会では剝き出しにされている事が多い。
性も暴力も、生も死も。
そんな彼ら彼女らも、当然僕らと同じ人間。
読み進めるごとに心臓が痛くなる。。
僕らが普段、いかにいろんなものから目を背け、感情を殺しているかを思う。
僕らは「社会」に生かされ、動かされている。
ヤノマミもヤノマミの「社会」を生き、「森」に生かされ、動かされている。
でも僕らの「社会に生かされる」というのは、人が作ったルールに生かされるということだから
「人に動かされている」という事に他ならないと。
でも文明の中で生きるってそういう事なのかなぁ、とも思ったり。
ヤノマミの生き方が本来の人間の生き方だ!と言い切るのは乱暴だとは思う。
でもヤノマミの生き方は、ある種、正直な生き方だとは思う。
僕らの社会でヤノマミと同じ事は出来ない。
でも、目をそらしている事、隠されている事に目を向けなきゃいけないと思う。
そこに目を向けさせないのが今の僕らの社会だと思うので、
今の社会に生かされつつも、今の社会にのまれてはいけない。
ヤノマミも、森に生かされつつも、森にのまれてはいけないと思っていたと思う。
目を向けなければいけない事。それは何なのか。何をすべきなのか。
考え続ける事、動き続ける事。
「面白い」では表せない、心臓に響く一冊だった。
アマゾンの奥地で1万年にわたって独自の文化と風習を守り続ける人たちのノンフィクション。
そんな人たちと、日本人のテレビディレクターとカメラマンが150日間にわたって同居するという。
その中で見えてくる、我々の社会の規範では語れない、理解できない生き方。
共感できるところもあり、和んだり笑えたりする部分もあるが、
全体的に、かなりショッキングな内容だった。
我々の社会ではタブーとされていることが当然のように行われていたり、
はたまた、我々の社会と同じようなところがタブー視されていたりと様々。
「ヤノマミ」とは先住民の言葉で「人間」という意味らしい。
我々の社会では目をそむけ、隠されるような事が、
ヤノマミの社会では剝き出しにされている事が多い。
性も暴力も、生も死も。
そんな彼ら彼女らも、当然僕らと同じ人間。
読み進めるごとに心臓が痛くなる。。
僕らが普段、いかにいろんなものから目を背け、感情を殺しているかを思う。
僕らは「社会」に生かされ、動かされている。
ヤノマミもヤノマミの「社会」を生き、「森」に生かされ、動かされている。
でも僕らの「社会に生かされる」というのは、人が作ったルールに生かされるということだから
「人に動かされている」という事に他ならないと。
でも文明の中で生きるってそういう事なのかなぁ、とも思ったり。
ヤノマミの生き方が本来の人間の生き方だ!と言い切るのは乱暴だとは思う。
でもヤノマミの生き方は、ある種、正直な生き方だとは思う。
僕らの社会でヤノマミと同じ事は出来ない。
でも、目をそらしている事、隠されている事に目を向けなきゃいけないと思う。
そこに目を向けさせないのが今の僕らの社会だと思うので、
今の社会に生かされつつも、今の社会にのまれてはいけない。
ヤノマミも、森に生かされつつも、森にのまれてはいけないと思っていたと思う。
目を向けなければいけない事。それは何なのか。何をすべきなのか。
考え続ける事、動き続ける事。
「面白い」では表せない、心臓に響く一冊だった。