てがみ座「海越えの花たち」観劇。
素晴らしい。戦時中の物語。もっと歴史を知らなきゃいけない。自分が生きる時代と国の事をもっと知らなければいけない。
なぜ僕らは自分の国に関してこんなに無知でいられるのか。なぜ他の国の人たちは政治に関心を持ち、自国の事を熱心に考えられるのか。やはり教育の違いなのではと思う。他の国の事はそこまで知らないし、根拠も無いので僕の予想でしかないのだけど、今の日本はドリル式の詰め込み方式の教育でしかない。これはおそらく戦後から今に続くまで変わらぬ教育だと思う。
もちろん変わっているところもあると思うが、それも個々人が「違う」「危険だ」と思って個々人で、つまり教育の現場に立っている人間の中で、そう気づいた人が動いている・・・その人なりの授業の工夫などで・・・という範囲にすぎない。国レベルではまだ何も変わっていないのは事実だろう。表面的な見直しはなされているけど、根本的なところは変わっていない。それはもう現場現場で教員が考えるしかないのか。だとしたら教育課程とは何なのか。もっと生きた教育をするべきなのだ。考える力をつける。今の日本に関して、自分が生きる時代、国に関してもっと考えられる力を育てなければならない。それを、ただの詰め込み方式で考える力を排除し、言われた事しかできない人間を作るという教育でしかない現状。
難しい。わからない。
僕自身、詰め込み式で育った人間で「考える」という力が著しく欠けた人間である。そういう自覚があるなら「じゃあ考えろよ」という話なのだが、ドリル式を叩き込まれ、30年以上、考えずに生きてきた人間に、「考えろ!」と言ったところで「よし、考える!」とはならない。
何をどう考えればよいのか変わらないのだ。「いや、今の国の現状とか、自分の生活とかさ!!」など言っても、「え、国ってどう考えればいいの?自分の生活も、バイトとは言え、そこまで不自由ないし、、、何か、難しい本を読めばいいんすか?」とか、単純にわからないというのが現状だと思う。僕だって、毎晩酒かっ食らって、KATO'Sキッチンだなんてある程度好きなもん食ってね、そこまで不自由は感じてないです。
それでもここ数年のニュースを見たり、お世話になっているANTIBOに関わって、こんな僕でも危機感を感じる事がある。そして今回のてがみ座を観て、いろいろ感じた。まだうまく言葉に出来ないけど、とても大事な感情。今こういう芝居が上演されること、そしてそれを観れたこと、とても貴重な時間でした。役者もみんな素晴らしい。
ぼんやりしていると不感症で何事にも無関心にされてしまうような生活だけど、こういう舞台を観に行くのだって、とても大事な事だと思う。いろいろ観て、いろんな人と話して、もっと感じて、考えて、言葉に出来る人間に。言葉に出来ずとも、もっと発信できる人間に。実際に危険な状況になったら手遅れ。すでに、、、という事もあるとは思うけど、諦めてはいけない。
うーん、、書いても書いても、書いたそばから「違うなぁ」と思ってしまう。言葉は難しい。。でも芝居を観て感じたことは本物。
てがみ座「海越えの花たち」、26日(火)まで。お時間ある方はぜひ、ご覧になってください。