酔いどれ反省会

反省出来ない人の反省文

1月28日(日)曇り

2018年01月28日 22時06分57秒 | 日記
中華を食べようと思った。先日の話だけど、お昼は好きな中華屋でラーメンを食べようと思った。

その中華屋に向かっていた時、障害のある方々が働いているパン屋の前を通りかかった。

こういう店はよくあるし、ここの店の前はよく通るのでみなさんの働きぶりをよく見かけていた。

いつも店の前で「パンいかがでしょうかー?」と大きな声で宣伝をしているのを聞いている。

最近は寒いので、店頭にパンだけ並べて、店員は店内に入っているらしい。

その日、その店の前を通った時に、向こうからカップルがやってきて、店頭に並べてあるそのパンをちょこっと眺めた。

そしたら店内から店員さんがすぐに出てきたけど、カップルはすぐに離れて去ってしまった。

よくある事だ。何でもない、そんなことはよくある。

今日は中華を食べよう。好きな中華屋でラーメンを食べよう。

そう思っていた僕は、そのパン屋でパンを選んでいた。

たまに商品名が書かれていないパンがあり、「これは何ですか?」と訊くと

「これは高菜のお焼きです!」「これは何も入ってないパンです。ハムとか、チーズとか挟んで」とか説明してくれます。

選んでいる時に「寒いー」と言うので「寒いですよね」と言うと、「あ、ハハハ、はい」と。

高菜のお焼きと、カレーナンを購入した。とても美味しかった。

高菜は具沢山で高菜シャキシャキだし、カレーナンは具がゴロゴロのカレーで食べ応えあり。

初めてここでパンを買ったけど、たぶん、もっと美味しいパン屋はあるだろう。でもまたここで買いたいと思った。

歩きながら食べたけど、とても良い昼食だった。
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1月15日(月)晴れ

2018年01月15日 20時32分19秒 | 日記
冬が本気を出しているなぁ、と、毎朝起きるたびに感じる。一昨日より昨日、昨日より今日。そして今日よりも明日、なんだろうな。寒さもそうだけど、「疲れ」もまた日々着々と蓄積されているなぁ、とハッキリ感じる。昨日よりも今日。。週末。。今朝目が覚めた時の「起きれなさ」はなかなかのものだった。

休みの日は、遅い時間まで寝るので、朝食と昼食が一緒くたになる場合が多いけど、仕事の日は、出来るだけ部屋で朝食を食べるようにしている。大したものはない。朝何かを作る事はほぼしない。冷蔵庫にある常備菜ですます。今日は、白米と味噌汁(レトルト)、切り干し大根の煮物とたくあん(出来合い)のみ。この程度のごはんだけど、なぜだか部屋で食べる朝食が一番ちゃんと「食事をとっている」という感じがする。
昼食を部屋で食べる時も、パスタやオムライスや一品物が多いし、夕食はお酒を飲むので白米や汁物はない。やはり「白米と味噌汁」があると「食事感」が強い。「朝食は大事」と一般的にも言われているから、流されやすい、影響されやすい自分はそう感じるのだろう。でもこれから仕事だと思うと気が重いけど、部屋で朝食を食べている間は、気の重さはしばし忘れ、とても静かな気分になる。とても好きな時間だ。食事の時間で、朝食の時間が一番好きだ。
休みの日もちゃんと早起きして、しっかり朝食を食べ……たいけどなぁ。。寝ちゃうよなぁ。。
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1月12日(金)晴れ

2018年01月12日 22時45分16秒 | 日記
ようやく週末。。とは言え、今週は水木金の3日間しか仕事してない。。

それでも毎週末、同じくらいの疲労感に襲われるのはなぜだろう。

何なら、水木金しか仕事をしてないのに

「いつもと違うから余計に疲れるわー」

とか思ってしまうくらいの図々しさがある。

誰に対しての図々しさかもわからないし、誰も得しない図々しさだ。。

疲れ損。。
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1月11日(木)晴れ

2018年01月11日 19時46分28秒 | 日記
だんだん朝、布団から出るのが億劫になってきた。

どうにかこうにか布団から出たら、浴室のドアを開け、浴室内の窓を閉める。

それから部屋の暖房をつける。朝にシャワーを浴びるタイプなので、ヒートショック対策です。

そこまで不健康な生活だとは思わないけど、決して健康的な生活はしていないので、

ヒートショックは十分にあり得るし、それはつまり孤独死の可能性も同じく十分にあり得るという事なのだ。

心筋梗塞や脳梗塞、そんなものが起こったら、確実に発見は1カ月後で遺体は腐敗している。

それだけは勘弁してほしい。勘弁してほしいが、今部屋で倒れたら確実にそうなる。

朝起きて、シャワーを浴びてから服を着るまで、僕は「孤独死」におびえている。

服を着るところまで来ちゃえば、突然死ぬこともあるまい、という安心がある。

そこから仕事に行き、仕事のあれこれで頭と心がゴチャゴチャになり、

ゴチャゴチャゴチャゴチャゴチャゴチャゴチャゴチャゴチャゴチャゴチャゴチャゴチャゴチャしたまま帰宅し、

ご飯を作ってお酒を呑んで、ゴチャゴチャが多少おさまってきたと思ったら、

今度はまた明日への「孤独死」への不安がふつふつとわいてくる。

その不安を払しょくするためにまたお酒を呑む。気絶するように眠る。

朝、泥のように起きる。「孤独死」の匂いが充満している。

浴室のドアを開け、浴室内の窓を閉め、部屋の暖房をつける。

「生きる」という事をテーマに作品を作るとどんなものが出来るだろう。

ダンスでも演劇でも絵でも服でも音楽でも数学でも文学でもなんでもかんでも。

いろんな人の「生きる」というものへの向き合い方を観たい。

そんなの当たり前で、どんな作品にも「生きる」なんて含まれるよ!というかもしれんけど、

「それをテーマに!」と言われた時の作品ってまた違うと思うから、それが観たい。

僕自身のそれも見たい。作品を作るとしたら、どの媒体で作るんだろう。何でもやってみたい。
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1月8日(月・祝)

2018年01月08日 21時46分42秒 | 日記
昨日は友人とご飯を食べ、そこそこお酒も飲んだのに、例によって帰宅してからまた一人で食べ呑みし直して、気づいたらコタツで寝てました。朝の6時でした。

祝日です。布団をひいて寝なおしました。成人の日だか成人式だか、そんな日です。14,5年前か。僕が二十歳の頃なんざ、ただの鼻たれ小僧でした。未だに変わりません。ただの鼻たれ小僧です。

14,5年前の鼻たれ小僧は、まだ知らぬ「大人」というものへの不安と希望をもって、恐る恐るながらも挑戦的な気持ちで鼻をたらしていたわけですが、

30代も半ばになっての鼻たれ小僧は、未だにわからぬ「大人」というものへの妥協と諦めでもって、とにかく波風立てず、何も望まぬ腐った気持ちで鼻をたらしているわけです。

死ね。

そんな今の自分を「死んでしまえ」と思うのは簡単だし、常にそう思います。でも死ねません。だって怖いもん。「死ぬのが怖い」と思えるうちはまだ元気なんだなって思います。

今、夏目漱石の「野分(のわき)」を読んでいる。僕は全然読書家じゃないけど、漱石作品は好きでちょいちょい読んでいる。

登場人物が笑えるほどに僕より僕で、本当に愚直で頑固でどうにもならないほどに滑稽だなぁ、と。

だからこそとても愛しいけど、とてもつらい。でもやっぱり愛しい。

読みながら本当に、登場人物の愚直さが笑えるのだが、漱石がこれを「笑い」として書いていたわけではないんだろうなぁ、と思うと、漱石作品は、時代を超えて親しまれるのだなぁ、と思う。

もちろん「笑える」と言っても、ただ笑えるだけじゃないしね。当時としては笑える作品じゃなくても、今はそういう状況を笑えてしまうという事もあるっていう。いろいろと面白いです。

明日も仕事の準備あれこれで、本を読む一日になりそう。

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いやいや、いやいやいやいや、まだまだ挑戦していくぞ。いくぞ!!
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