徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

父のことー入院100日目 えっ、退院ですって?-

2016-03-06 09:31:34 | 父とのこと
父が療養病棟のある病院に入院して100日が経つ。
家の階段の上でが倒れてからおよそ8か月。
その折々のことをこのブログに認めてきた。

そして入院して100日が過ぎた一昨日、
妹から主治医との面談の仔細が送られてきた。

要約すると・・・。
①血液検査の結果は何にもないわけではないが、
安定している。時々夜中に奇声を発することもあったりするので、
少々の安定剤は使っている。

②父のように特に大変な手当てを必要とする病気を抱えていない場合、
2年ごとに変わる医療制度で、
4月から長く入院すると病院が赤字になる仕組みになる。
なので、しばらくしたら施設に転院してほしい。

③もし、施設で肺炎になったら、またこの病院に来ればよい。
病気にもよるが、その繰り返しになるだろう。

④高齢者は妄想したり、暴言を吐いたり、暴力をふるったり、
皆そういう風になる。これは当たり前のことである。
施設でも高齢化が進んでいて、そういう人ばかりだから普通のことである。

妹は、本気で近くの施設を探さなくちゃと言っていた。

実は妹、少し元気になってきてはいた父を間近にみていて、
近くの施設を見学し、話を聞いたりしてくれていた。
そして、その結論として、
この病院が今の父にとっては最善の選択ねと、
私たちは話していたばかりだった。

この一日前、私たち姉妹は、いつものように長電話をした。
内容のほとんどは父のこと。

妹は毎日のように父の病院に行って様子を見てくれている。
今は文明の利器があるので、
それがリアルタイムで送られてくることもある。
一番臨場感があるのは「LINE」。
短い動画が送られてくる。
文章化される前の父の姿がよくわかる。
それから、メールや家族限定のFacebookを使って、
もっと詳しい状況が送られてくる。
これで夫たちや子どもたち、近しい親戚と父のことを共有する。

もちろん?、私たち姉妹はそれでは足りずに、
その後に時間を見つけての長電話となる。

その直近の長電話で、
父にとっては何が一番いい状態かということを話していたばかりだった。
そして、この病院にいることが父にとって最善と結論を出していたのだ。

妹が見学して話を聞いた施設の話では、
おむつ替えは4回ということだった。
今の病院では5,6回替えてもらっている。

もし個室の場合、今の父には刺激がなさすぎる環境になる。
今の病院では、時々もぞもぞ動き出す父を
ベッドの上に置きっぱなしにはできず、
車いすに乗せて、ナースステーションに置いてくれていることもある。
ここでは看護師さんの行き来もあり、声かけもある。
父はそこで父なりに過ごす。

この病院に転院したての頃はとても考えられない
父の回復というか、元気さではあるのだ。

父はレビー小体型認知症をもっているので、
妄想やら、夜中に大声でしゃべったりという症状がある。
そのために定期的にアリセプトなどの薬を飲んでいる。
ところが、その薬が2日切れただけでも、妄想、幻覚などの症状がひどくなる。
たった2日でそんなことがと思われるかもしれないが、
父の場合はそうなのだ。

幻視、幻覚がひどくなると、向精神薬を処方される。
しかし、父の場合は、これが効き過ぎの状態になり、
運動系がやられてあっという間に、何もできない状態になる。
喋り方もこれも瞬く間にフガフガになるのだ。

こういうことを今回の病院に入院するときには
私たちのできる範囲で説明した。
そのためか、あるいは病院の積極的治療はしないという方針のためかは分からないが、
ともかく、父が薬を過剰投与されることでの副作用はなく、
92歳で、レビー小体型認知症持ちとしての、
それなりの生活を送れるようになってきていた。

とっても正気で元の父のような時と、
妄想国に支配されているときが
その日、その時間によってかわるがわるに訪れるが、
それでも、父は父だった。

胃瘻にしたときはとても悩んだけれど、
こうして、私たち家族にとっては
こういう時をもてるというだけでも、
やってよかったと思う。

けれど、状態が安定してくると、
退院しなければならないということになる、
という現実に直面した今回。

父は、病院のこの4人部屋に慣れ、
ここを自分の家と思っている節もある。
「どっかいくのか?老人ホームか?」なんて言うこともあると妹。
こうして慣れたのに、父の心配通り、
またホームを探さなくてはならない。

全身症状が落ち着くと同時に、退院か・・・。
3か月ちょっとここにいて、
慣れて落ち着いているのに退院か・・・。

確かに病院から施設に戻れることは喜ばしいことではあるけれど、
生活の場がこのように落ち着かないというのは、
父にとってどうなのかなって思ってしまう。

「高齢者を生きるって、本当に大変です」とは恩師の言葉だが、
全くその通りと、思ったり。

妹がふと、「今って、子ども時代と人生の最後の時期は
施設で過ごすっていうのが当たり前になっちゃったのかしらね。
家に人手が余っていない家族構成だものね。」と一言。

子育ても人生の最後も、
誰かが「時間と労力」を差し出さないと、
人は人であることを全うできない時期なのだと、
考えてしまったのでした。