前日に続きピアノの話。というのはたまたま今日の朝日新聞朝刊(2009年5月23日)で、写真のようなバイエル教本というテーマだったからだ。日本におけるピアノ教本の「王道」バイエル(フェルディナント・バイエル(Ferdinand Beyer 1803年7月25日 - 1863年5月14日)離れが進んでいるという興味深いテーマだからだ。ただし残念ながら、Wikipediaには彼の説明は非常に少ない。またさらに驚くべきことには、ドイツ語版のWikipediaには名前すら掲載されていないのである。(なお、バイエル教本の日記だが次のブログも面白かった)。
我々は、単調でつまらない訓練を不要であると言い切るわけにはいかない。しかし、なんの工夫もせずに、反復練習のみを要求する教育であってはならないだろう。無味乾燥な教育というのは19世紀のヨーロッパ近代の発想でしかなかったのだ。
なお、この点と関連して興味深い読み物に、サイードの『遠い場所の記憶』という自伝がある。サイードというのはエジプトで英国流教育と米国流教育を受けた植民地的アラブ人である。サイードによると、前者の教育手法は実につまらないものだったらしい。これに対して20世紀的なアメリカ流教育は、学ぶ者にたいする配慮にあふれていたようだ。非常に面白い証言だと読みながらおもったものだ。
19世紀イギリスの教育は、バイエルのピアノ教本と同じ精神であったといったら、言い過ぎか。
我々は、単調でつまらない訓練を不要であると言い切るわけにはいかない。しかし、なんの工夫もせずに、反復練習のみを要求する教育であってはならないだろう。無味乾燥な教育というのは19世紀のヨーロッパ近代の発想でしかなかったのだ。
なお、この点と関連して興味深い読み物に、サイードの『遠い場所の記憶』という自伝がある。サイードというのはエジプトで英国流教育と米国流教育を受けた植民地的アラブ人である。サイードによると、前者の教育手法は実につまらないものだったらしい。これに対して20世紀的なアメリカ流教育は、学ぶ者にたいする配慮にあふれていたようだ。非常に面白い証言だと読みながらおもったものだ。
19世紀イギリスの教育は、バイエルのピアノ教本と同じ精神であったといったら、言い過ぎか。