アスペルガー症候群・ひろとの不思議な毎日・2

アスペルガー症候群と診断を受け1年6か月間不登校も経験した息子(15歳・高校1年生)との楽しい&不思議な毎日を綴ります。

4年生のころ

2008-12-14 15:32:45 | 振り返り
今日も息子は賑やかに隣の部屋で4人の友達と遊んでいます。
すごーく賑やかで・・・。
午前中はクリスマス会で最初は思い切り固まっていて人気のないところに。
みんなでゲームをするのも最初は不参加。
景品があったことが分かった瞬間2回目のゲームから参加していました。
そのあとは、マイペースでケーキ作り・・・。
バイキングのお食事。最後はビンゴゲームで盛り上がれました
最初のゲームの景品が「図書カード」。それが欲しかった息子でしたが、なんとビンゴで「図書カード」をたまたまGET。ぐずぐず状態にならずに母は、ほっとしました

今日は息子の4年生のころを綴ってみます。
結果的には、1回も自分のクラスに通うことができませんでした。
けれど、とっても変化があった1年間でした。

新級1日目・・・。
学校の新担任の先生からすぐに連絡がはいりました。(現在も担任をしてくれています)
すぐにお話を聞きたいので会ってほしいとのことでした。
もう学校からは連絡が入らないと思っていた母だったので、今更?と思ったし状況も変わらないと思っていました。(それまで前担任からは1回も連絡もない状態でした)
とにかく次の日に学校に来てほしい。校長先生も話を聞きたいと言っているとのことでした。(この時点で校長先生も新校長先生になったことを知りました)

次の日・・・。
とっても険しい顔?で母は学校に向かいました。
校長室で面談。
新校長先生・新担任・教頭先生と母で面談。(教頭先生は全部今までのことを知ってる人でした)
開口1番、校長先生が「どうしてこういうことになっているのですか?何も私は聞いていないのですが。」と。
申し送りもないんだ。やはりって思いました。
母が今までのことや学校からは一切連絡も入らなかったこと・学童の指導員さんは連絡をすぐにくれて、息子の支えになってくれ学童には通っていることを話ました。
「そんな状況だったんですね。ほんとうに申し訳ない。息子さんも辛い状況でいままで過ごしていたんですね。学校の方が全面的に悪い対応でした。」と。
「どうにかまた、学校に通えるようになってほしい。学童に通っているなら放課後担任を学童に向かわせて、息子さんとの信頼を築けるようにします。私も学童に息子さんに会いに行きます。」と言ってくださり、その日から本当に毎日のように息子に会いに学童に足を運んでくれました。
この面談の最後に教頭先生が「力不足だったこと、本当に申し訳なかったです。何もしてあげられなかったこと後悔しています。」と・・・。

最初のころの息子は、学校に対しての敵対心は異常なほどでした。
先生が学童に会いに来ても、知らん顔・・・。話もしない状態でした。
先生からあとで聞いた話では、あの時期が1番大変だったし、どうしたら心を開いてくれるのか毎日悩んでいましたと言っていました。
補助の先生も息子の学年に配置をすぐにしていただきました。
学童訪問の時はこの補助の先生も一緒にという感じで過ごしていました。
少しずつ良い方向に・・・。
次のステップは、放課後学習になりました。(7月ごろから)
週1回、実験や工作をみんながいなくなったころに先生が息子を迎えにきてくれて行うようになりました。
でも、教室には入れない状態だったので、理科室や図工室。
実験は楽しかったようです。
母も数回、見学に行きました。
ペットボトルロケットを飛ばしたり、アイスクリームを作ったり(氷と塩を使った実験)、べっこうあめを作ったり、花火の原理を考えて作ってみたり。
息子のお気に入りは、べこうあめ作りや、かるめ焼き作り・・・。
この辺は、何回もやっていました。
放課後通えるようになったころから、先生にも息子は優しい顔を向けるようになりました。
この放課後実験は5年生の1学期まで続きました。

2学期に次のステップを・・・ということで、みんなが通っている時間に学校で過ごせないか?ということを考え始めました。(10月頃から)
息子に学校に昼間行けるか確認したら、人には逢いたくない・・・って。
どこか遭わないところは?と聞いたら「給湯室」と息子が教えてくれました。
そこなら通えるかもって。
そのことを先生に伝えて、先生の空き時間(音楽の時間)を給湯室で過ごしてみることに。
先生か補助の先生が時間に自宅に迎えに・・・。
他の児童に会わないように学校に着くように配慮もしてもらっていました。
とっても狭い給湯室・・・。
ここで、息子が手を付けそうな算数や理科のプリントをしたり図工をしたりしました。
たまに児童と遭遇。そういう時は息子は。&逃げて走って給湯室まで行っていたようです。
先生はクラスの子たちに、息子のことも話続けてくれていました。
教室には入れないけれど他の場所で学習していること。
人それぞれ大変なことがあること。
息子を見かけても騒がないこと。
作品が出来ると、息子の作品も教室に飾ってくれたり、テストも「ひろ君はみんなより先にさっきテストをしました。100点だったよ。」って。
みんなが息子のことを忘れないように、クラスの一員だってことを伝え続けてくださっていました。

徐々に給湯室通いを増やして3学期は午後からか4時間目くらいから毎日給湯室に通えました。

新校長先生・担任の先生・補助教員の人に、とっても温かく息子は接してもらって段々顔もいきいきし始めました。
3学期最後の日、校長室で息子はみんなが帰ったあと通知表も受け取ることができました。
放課後通学した日数も全部出席扱いして戴けてました。息子も「母さん、僕学校に73日も通ったよ。すごいでしょ!。成績も付いてるよ。Aがたくさん。」って目をキラキラ輝かせて・・・。

こんな4年生を過ごした息子です。
とってもこの1年間、母と息子は色々な人に支えられてちょっと違った学校生活でしたが幸せでした。
それと、こんなに人って優しいんだということを実感できた1年間でした。

関わってくれた方々、ほんとうにありがとうございました