今日は雨の心配がない一日でした
。
が・・・寒い
。
現在も空気が冷たい感じがしています。
今日のタイトル。
そういえば、この時期から息子は不登校になっていったのだなぁって。
きっと、不登校になる子たちはこの時期が多いのかもしれません。
息子は、小学校3年生の秋から5年生の1学期まで不登校でした。
4年生の1年間は自分の教室に1回も通うこともなく教科書も新品。学校から配られたノート類も新品のままでした。
そんな息子が現在は、当たり前のように毎日毎日、学校に通っています。
周りの同級生もほとんどが息子のこのような過去を知っています。
けれど、なんとも感じていなくて接してくれていて。
もちろん、中学校から同じ学校になった同級生はそんな過去も知りません。
息子が授業に出なかったり、学校でパニックを起こしたりしていたことも知りません。
今、振り返ってみると、不登校になる前もとてもとても大変な毎日でした。
母も度々、学校から連絡を受けて足を運んでいたり、息子の付添をしたり。
同級生の保護者の方に会う度に「いつもすみません。」と呪文のように謝っていました。
そんな息子で、不登校になって・・・・。
本当は、そんなことになったらとても焦らないといけなかったのかと思いますが、母はホッとしました。
息子が学校に通わなかったら、色々な問題も勃発しない。
息子が自分から学校に行くと言うまでは母は「学校に行ったら?」と言う言葉を1回も言いませんでした。
母も相当、参っていたのだと思います。
現在、不登校のお子さんがいらっしゃる方、登校渋りのお子さんがいらっしゃる方。
その時は、親もとても疲れていると思います。
なので、自分も休息出来る・・・と思えると、焦らないのではと感じます。
人生の中のほんの数年のこと。
それと、その学校に行かない時期に、他の重要なことを学べるチャンスだと感じてほしいとも思います。
息子はその間に、一人で留守番がしっかり出来るようになりました。
家の中の手伝いもできるようになったし、自分でお昼ご飯を温めて食べたり、洗濯物を畳んでおいてくれたり。
本人が学習もしたほうがよいかなぁと思った時から、毎日コツコツと少しずつ学習もして。
そんな感じで過ごしていました。
一緒にずっと過ごしてしまうと、母も焦ったかと思いますが、母はずっとその時期もフルに働きに出かけていて。
息子が用事があると電話が来て。
ほぼ2年間そんな感じでした。
絶対に、不登校になったからと言ってその時期が無駄とは思わず、そういうことがあったからその時期に出来たこともあると感じながら過ごしてほしいと思います。
学校の方とは、先生にもよるのですが。
戻す時は、段階を経て。
最初はだれにも会わない放課後に数分だけ学校にいられたらOKと思って。
それから、徐々に、放課後、少し先生と学習が出来るようにして、その後は本人の意思を聞いて、どこなら同じ時間に学校で過ごせるか。
その後は、自分の教室の前の廊下で授業を受けられるようになり、次に1時間だけ教室に入ることが出来て。
そんな感じで息子が学校に戻っていきました。
戻ることは、「とても本人は勇気がいることだった」と母に話してくれたし、「素敵な先生との出会いもあったから戻ることが出来た」とも話してくれました。
友人も大切なのですが、やはり不登校になってしまった時は、学校の力・先生の力が重要だとも感じます。(ここが難しいけれども)
なんとなく。
ふと、あのころのことが思い出されて。
そんなこともあったなぁと感じて。
現在は、息子も母も遠い遠い思い出の話しになっています。
そう思える日が、覗いてくださっている方にも訪れるといいなぁって思います。
辛くて、大変だと思いますが、こんな感じの親子もいたなぁって思ってくださるといいなぁと。

が・・・寒い

現在も空気が冷たい感じがしています。
今日のタイトル。
そういえば、この時期から息子は不登校になっていったのだなぁって。
きっと、不登校になる子たちはこの時期が多いのかもしれません。
息子は、小学校3年生の秋から5年生の1学期まで不登校でした。
4年生の1年間は自分の教室に1回も通うこともなく教科書も新品。学校から配られたノート類も新品のままでした。
そんな息子が現在は、当たり前のように毎日毎日、学校に通っています。
周りの同級生もほとんどが息子のこのような過去を知っています。
けれど、なんとも感じていなくて接してくれていて。
もちろん、中学校から同じ学校になった同級生はそんな過去も知りません。
息子が授業に出なかったり、学校でパニックを起こしたりしていたことも知りません。
今、振り返ってみると、不登校になる前もとてもとても大変な毎日でした。
母も度々、学校から連絡を受けて足を運んでいたり、息子の付添をしたり。
同級生の保護者の方に会う度に「いつもすみません。」と呪文のように謝っていました。
そんな息子で、不登校になって・・・・。
本当は、そんなことになったらとても焦らないといけなかったのかと思いますが、母はホッとしました。
息子が学校に通わなかったら、色々な問題も勃発しない。
息子が自分から学校に行くと言うまでは母は「学校に行ったら?」と言う言葉を1回も言いませんでした。
母も相当、参っていたのだと思います。
現在、不登校のお子さんがいらっしゃる方、登校渋りのお子さんがいらっしゃる方。
その時は、親もとても疲れていると思います。
なので、自分も休息出来る・・・と思えると、焦らないのではと感じます。
人生の中のほんの数年のこと。
それと、その学校に行かない時期に、他の重要なことを学べるチャンスだと感じてほしいとも思います。
息子はその間に、一人で留守番がしっかり出来るようになりました。
家の中の手伝いもできるようになったし、自分でお昼ご飯を温めて食べたり、洗濯物を畳んでおいてくれたり。
本人が学習もしたほうがよいかなぁと思った時から、毎日コツコツと少しずつ学習もして。
そんな感じで過ごしていました。
一緒にずっと過ごしてしまうと、母も焦ったかと思いますが、母はずっとその時期もフルに働きに出かけていて。
息子が用事があると電話が来て。
ほぼ2年間そんな感じでした。
絶対に、不登校になったからと言ってその時期が無駄とは思わず、そういうことがあったからその時期に出来たこともあると感じながら過ごしてほしいと思います。
学校の方とは、先生にもよるのですが。
戻す時は、段階を経て。
最初はだれにも会わない放課後に数分だけ学校にいられたらOKと思って。
それから、徐々に、放課後、少し先生と学習が出来るようにして、その後は本人の意思を聞いて、どこなら同じ時間に学校で過ごせるか。
その後は、自分の教室の前の廊下で授業を受けられるようになり、次に1時間だけ教室に入ることが出来て。
そんな感じで息子が学校に戻っていきました。
戻ることは、「とても本人は勇気がいることだった」と母に話してくれたし、「素敵な先生との出会いもあったから戻ることが出来た」とも話してくれました。
友人も大切なのですが、やはり不登校になってしまった時は、学校の力・先生の力が重要だとも感じます。(ここが難しいけれども)
なんとなく。
ふと、あのころのことが思い出されて。
そんなこともあったなぁと感じて。
現在は、息子も母も遠い遠い思い出の話しになっています。
そう思える日が、覗いてくださっている方にも訪れるといいなぁって思います。
辛くて、大変だと思いますが、こんな感じの親子もいたなぁって思ってくださるといいなぁと。