アスペルガー症候群・ひろとの不思議な毎日・2

アスペルガー症候群と診断を受け1年6か月間不登校も経験した息子(15歳・高校1年生)との楽しい&不思議な毎日を綴ります。

診断書提出のために

2009-08-02 20:35:47 | 振り返り
今日は、朝からまたまた雨
午前中は涼しく扇風機もいらないような気温で過ごしやすい状態でしたが、午後は少しムシムシとしてきて、蝉も勢いよく鳴いていました。

部屋の片づけをしていて、懐かしいものを見つけました。

3年生のはじめの時に学童で息子の診断書(アスペルガー症候群の)を提出してもらいたいと言われました。
母が住んでいる市は、何人かの診断書のある子が学童で過ごしていると、指導員さんの加配や学童に補助が入ります。
他の地域は、もっと厳しい基準で支援級に在籍している児童や手帳を取得している児童ではないと補助や加配の対象にはならないそうですが、こちらは息子のような児童も対象とのことでした。

診断書をドクターに書いてもらうために、学校にお願いをして息子の1・2年生の様子を担任の先生だった2名に記入していただきました。

これが、本日出てきました。(WISC-Ⅲの検査結果と診断書とともに)

母はあらためて読んでみたのですが・・・ためいきが出るくらいびっくりな息子だったことを実感しました

1年生の担任の先生からは。
(学習面)
自分の席で授業を受けることが難しい→イライラして我慢が出来なくなると教室内を徘徊する。
また、誰かに相手をしてほしいのか人にちょっかいを出すようになる。
プリント学習や作業などの方が取り組みやすく、中でも算数などの回答の白黒はっきりつくような問題の方が取り組みやすいケースが多い。
体育や図工は比較的好きであり、内容によっては取り組む。
音楽が苦手で授業に参加しない。
4時間目になるとイライラし、集中出来なくなる場合が多い。
(生活面)
非常に人見知りをする。
上級生の前では固まってしまう。
給食のときも立ち歩いて食べる。
清掃活動は最初はまったく出来なかったが、少しずつ参加するようになった。

2年生の先生からは。
(学習面)
授業中は、ほとんど席につくことが出来ず、教室内を出歩いている。
親しい友達が、学習に取り組んでいても話しかけたりたたいたりして邪魔をする。
教師が止めようとすると、興奮してチョークや黒板消しをなげたりゴミをばらまいたりするなどの授業の妨害をする。
また、教師に対してぶったり、蹴ったり、ものを投げたりする。
掲示物や配布物を破く。
教室に戻らずに校内で勝手なことをして過ごすこともある。
場合によっては、指導されたことを耳で聞き取ることが出来ないことがある。
できなさそうな課題にはすぐに取り組まない。ただ、声掛けをしてきっかけを与えると渋々課題をすることがある。
(生活面)
気が向かないと体育着には着替えない。
提出物を持って来ているのに出さない。
片付けが出来ない。
学校に登校するとランドセルを机に置いたままで、友達と遊んでいる。
床の上に私物を置いたままにしている。
清掃には、担当の場所にいるが取り組むことが出来ない。
女性を嫌っていた。
(良い面)
学力は普通または普通以上あるように感じられる。
運動は得意である(リレーの選手、マラソン大会での好成績、体育での活躍から)
昆虫に関して詳しい。
図工に集中する。

と、こんな内容が記入してありました

このときの担任をしてくださった先生方は、母と連絡を密に取りながら、一生懸命息子と過ごしてくださっていました。
この状態の息子と・・・。

とっても大変だったのではと今読んでいても申し訳なかったなって感じています。

凄かった・・・

でも、現在の息子は

授業中、自分の席で過ごして、自分の私物もロッカーに入れて、掃除もするしフラフラと徘徊もしません。
物も破かないし、先生も殴ったり蹴ったりしません。
体育着にも着替えて参加します。
音楽の授業にも参加して、苦手な楽器は休み時間に音楽の先生のところに行って教わっています。
委員会の仕事も責任を持ってやっているし、クラスの係の仕事もきちんとやります。

たまに、学校の子と喧嘩はして手や足も出ますが、許容範囲。

こんなにも変化した息子です

きっと、少しの間学校をお休みしていたことが結果としては良かったのだと思っています。(1年6か月の不登校)
この期間を境に、息子はまったくの別人行動になっているので。

最近の息子をブログで綴っていると、「この子、普通じゃない?」って感じる方がいると思います。
けれど、こんな状態だった息子なのです

何かのきっかけや、成長・変化で、このようになって行くということ。
子供の元の性質は、本当はとっても穏やかで、素直で真面目で何事にも一生懸命取り組むということを、わかってほしいなって母は思っています。

あの1・2年生の時期は、思い切り「2次障害で、問題行動」を毎日繰り返していたのだと今では思えます。

けれど、あの時は親子で毎日が戦いだったのも事実です。

息子が大人になったら、この先生たちが記入してくださった用紙を息子に見せてみたいなって思っています。
どんな反応を起こすのでしょう・・・。

復帰から丸1年です

2009-07-16 19:56:34 | 振り返り
本日も暑かったですね~。(毎日同じ文章を綴っているような

今日から息子は給食がなくて短縮授業でした。
学童に行ったので、今日のお昼ご飯は学童で用意してくれていました。
(母はとっても助かります。)

明日は?と息子に聞いたら「金曜日だから学童は休むよ。」って。
???お昼ご飯はどうしましょう
部屋にお弁当を置いておいたら、絶対にこの暑さで危ないし。
けれど、息子の意思を尊重して「休んでいいよ~」と言ってしまった母です

お昼は、冷蔵庫にお蕎麦を茹でて入れとくからそれを食べているようにと思いついたので話しておきました
めんつゆも器に入れといて冷蔵庫に分かるようにしておくことにしました。

友達と遊ぶかもですが、遊ばないかもと昨日のブログのような感じで今はいます。
どうなのでしょうね~。

そうそう・・息子、明日で完全復帰から丸1年になります



こんな感じで通い続けました。

昨年の本日に急に夜息子が「明日、朝から学校に行くわ。」と母に
母は???って何を言っているのか理解できない状態でした。
1学期の最後の日に突然朝から学校に行こうと思うなんて思いもしませんでした。

とりあえず冷静を保って「わかったよ。何時に家を出るの?」って聞いて。
とっても早い時間を息子が答えたのですが「うん。わかったよ。その時間に間に合うように朝ごはんの用意もするね。」と伝えました。

前の日の夜のことなので、当日にならないとどうなるかわからないと思っていた母でしたが、当日本当に息子は自分が言った時間にスタスタと通学していきました。
学校にもすぐに連絡を入れて(朝から息子が学校に行きましたの報告)。

母は・・・現実が理解出来なかったくらいの不思議な気持ちだったと振り返ると思います。

息子がまたランドセルを背負って学校に通うとは思っていなかったので夢なら覚めないで~という感じでした。

1日だけの通学で、すぐに夏休み突入。
2学期初通学はどうかなと思って様子を見ていたら、やはりスタスタと通学していきました

それからずっと病気で休んだ以外は朝から通学しました


明日は祝1周年です
夜ごはんは、何か美味しいものを親子で食べようと思っています。

息子・・・凄いな~と自分の子供ですがしみじみと感じています。

息子にとって辛いことがたくさんあったと思うのですが、それを今では感じさせることもなく周りと過ごすことが出来て・・・息子の努力と凄い精神力だと思います。

祝2周年にこんどは親子で歩み続けます

過去のこと

2009-07-09 20:13:45 | 振り返り
今日は雨も降らず、蒸し暑くて。
息子は雨男なのかな~って思ってしまいました。(息子のプールの日だけいつも雨なので)

息子・・また不思議なことをしてきました。
50問漢字テストをまた休み時間に受けてきました
???って感じの母です。
息子も「100点また取れたけれど、カードはいらないよ。」と言っているし。
感情表現があまりない息子。
母が思うには、本当にとっても100点がうれしかったのだと今日のまたまた持って帰ってきたテストを見て思えました。

でも・・・先生も???状態だったのではと思いますが

本題です。

今日、母のブログに訪れてくださっている方のブログをじっくり拝見させていただいていました。
そうしたら、母は自分自身の息子が不登校になる前のことが鮮明に浮かんできました。
今日まで、その記憶がすっぽりと抜けていて。
心臓がそのころのように突然バクバクとしてきました。

息子の低学年のころ。
母は毎日、心臓がバクバク・不眠症に悩んでいました。
息子が学校に行っている間、不安で不安で。
当時の息子は毎日学校で暴れていて・学校から脱走して・・・。
何人も毎日泣かしている状態でした。
母もどうしてよいかわからなくて息子に会うと「今日は問題起こさなかった?」「誰も泣かさなかった?」と質問していました。
息子が「3人泣かしてきた。」「教室で暴れた。」「教室のものを壊したりやぶたりしてきた。」と。
そんな日々で、その都度「どうしてそういうことばかりするの!」「あばれたらみんなに嫌われるよ。」「学校からいなくなったらダメ!」と繰り返して言っていました。
そんな息子に「イライラしたら、教室から退出して。みんなの迷惑になるから。」とも言っていました。

周りの保護者の方たちも困り果てていて、個人面談の時も「ひろ君をどうにかしてください。」と担任の先生にみなさんが言っていたそうです。
母は学校の保護者の方に会うたびに「いつも本当に申し訳ありません。ごめんなさい。」と言い続けていました。

きっと息子の暴力は、息子が小さいころから母は家庭のこともあって(義理親と同居してました)とっても厳しい躾をしていました。
息子が悪いことをすると、言ってもわからないと叩いたし、外にも容赦なく裸足のまま放り出したし。
それが、学校で母から受けていた分を出してしまっていたのだと思います。

そんな学校生活が続いていて当時の担任の先生も周りの声を受けとめられることが出来なくて、息子に学校に来てほしくなかったのが本音だったのだと思います。

当時、あれ以上学校に息子を通い続けさせていたら親子で潰れていたと思います。

辛かったな~。

そのブログの方の記事を拝見して同じだった・・・と。

母はそんなことで、息子が学校に行けなくなって、ほっとしてしまったのだと思います。
周りからの声も、息子の問題行動からも遠ざかることができて。

そこから、だんだんと母の気持ちも落ち着いてきて、そしたら息子も落ち着いてきて。

そのころから、息子を怒鳴ったり・叩いたりがなくなって・・・。

今の母と息子になってきたのです。

みなさんからのコメントで、穏やかで・・・というコメントが多いのですが過去はこんな母でした。

辛くて・苦しくて・・・でも、息子を育てていかないといけなくて。

その後、数年かかって色々なことを軌道修正して・・・。

今現在の母がいます。

そうそう・・・現在の息子もいます

5年生の1学期から

2008-12-16 22:28:50 | 振り返り
今日は、昨日の続きです。

息子と初めて5月のはじめに学校に向かいました。
最初は、移動相談員さんがいる場所に。もしかしたらお世話になるかもと思い。
そこでは息子は、固まって話もできず・・・。
ずっとこの場所にはいられないと思って「支援級へ行ってみよう。」と声をかけました。
息子は児童の声が少しでもすると。廊下に出ることができず。
こんな調子で、学校に通えるのかな?と少々心配な母でした。
やっとの思いで、支援級へ。
授業時間だったので、クラスの子はビデオを見ていました。

教室には、息子のための机といすが。
これを見た瞬間、息子の目が。「机、懐かしいな。何年ぶりかな。」って。
机の上には、担任の先生が算数のプリントを用意しておいてくれました。
「こんなの、すぐに出来るよ。」って、いすに座って嬉しそうにプリントを始めました。

それから、支援級の子たちと自己紹介・・・。
息子は照れて「僕は5年生、だったかな~。よろしくお願いします。」って挨拶してました。
支援級の先生には「僕は、ひとりで大丈夫なので気にしないでくださいね。邪魔しないので。」と話していました。

しばらく支援級で過ごしていると、担任の先生も心配で授業を抜け出して息子に会いに来てくれました。それから校長先生も、事務室の先生も、保健室の先生も。
この状況を見ていて母は、息子これからも通学出来ると思えました。

翌週から週2回、登校。担任の先生が音楽で空き時間のある日を設定しました。
そして、このときから、息子はひとりで学校へ向かうことになりました。
はじめの日、母は心配で息子が無事に通えるかどうだろうって。
到着時間を見計らって、息子を学校の門まで見に行ってほしいと学校へ電話を入れておきました。
息子、門のところでやはりしていたそうです。
事務の先生が迎えに出てくれてやっと、学校に入ることができました。
毎回、状態が続いて、地域の方が学校に連絡を入れてくださって先生が迎えに出てきてくれたりだったようです。

教室(支援級)まで行くと、プリントをしたり本を読んだり。
嫌がることもなく過ごせました。
給食も一緒に用意したり、掃除もするように。(低学年の時は、掃除も???。給食の用意も???だった息子です)
支援級の先生や児童・保護者の方も息子と温かく接してくださってました。
担任の先生も、様子を見にきてくれたり、「次の時間、5年生は稲植えするけれど、ひろ君も来てみる?」と誘ってくれたり。
最初は「無理。行かない。」と言っていた息子が、段々と「行ってみようかな。」と言うように。
実際に行けるようになったのは、数日で行けるようになりました。
先生の影に隠れてたり、ちょっと離れたところにいたりだったみたいですが息子は帰宅後に「みんなと一緒に参加したよ。」って報告してくれました。
1か月ぐらいの間に、息子はちょこちょこ自分のクラスの授業にも参加できるようになっていました。
母は、5年生の3学期ごろに教室に入れるようになれればと思っていたのですが息子は急速に距離を縮めていきました。
6月に、校外学習がありました。この日までは、午後1時間自分のクラスで過ごすほどでしたが、先生と校長先生と打ち合わせをして、連れて行ってみようということになりました。
宿泊する部屋がもしだめなら、保健室、そこがダメなら母が迎えに行くということで参加。
そうしたら、別人のように息子はみんなと馴染んで気に止めなくても大丈夫なぐらいだったようです。

普通の学校生活に戻ってからは、やはり2時間目終了あたりに、支援級へ通学。
その後、3時間目が始まる頃に先生が迎えに来てくれて、自分のクラスへという感じで1学期終了まで息子は過ごしました。

終業式の日。
息子が「朝から学校に行くよ。」と。
で、本当に朝1番で、ひとりで学校に向かいました。

そして2学期。
初日。
息子は、とうとうこの初日から、学校に通常の時間帯&自分のクラスに通学しはじめました。

不登校期間はとても長かったので、通常まで戻すにもとても時間がかかることだと母は思っていました。
けれど、子供は気持が前向きになったときの底力はすごいものがあるんだということがわかりました。
息子が自分なりに考えながら&成長もして学校に復帰できたのだと感じます。 
その他、息子を取り巻く人たちがとても素晴らしい支援をしてくれました。
周りの方々に、息子は恵まれていたことも事実です。

こういう風に、支えてくれて応援してくれる人たちが増えてくれると良いなと母は感じます。

2学期も残り数日・・・。
きっと、最後の日まで息子は朝から通学すると思います。
授業中はとっても不思議な息子なのも事実ですが、それでも周りと違っていても通い続けた息子は凄いなと実感しています。
こんなに平穏な2学期を過ごした学校生活は初めてです。

息子の成長・・・素晴らしいです(めちゃめちゃ親ばかですが)                                                                                                                                                         

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       
                                                                                                     

5年生のはじめのころ

2008-12-15 19:53:57 | 振り返り
5年生初日・・・。
息子も母もどうしてよいかわからなかったので学校には通学しませんでした。
息子は学童に通学。
息子が帰宅するまで、学校のことは何もわからない状態でした。

帰宅後に息子が「また、4年生の時の先生なんだよ。学童の子が教えてくれた。」と嬉しそうに話してくれました。

けれど、学校から連絡が入らなく、息子にも先生が会いに来なかった状態でした。

何かが起こっている・・・。
母の直観でそう感じていました。

初日の21時過ぎに担任の先生から電話が入りました。
「また、今年も担任になりました。けれど5年生には補助の先生が入りませんでした。私、ひとりでは今までのように、ひろ君を見てあげることができません。これからのことの面談を早急にしたので、また学校の方にきてくれませんか。」とのことでした。

母が思っていた直観が的中でした。
息子は教室に通うことが出来ない状態だったので補助の先生がいないと過ごす場所がないことになってしまいます。大人の目がないと、ひとりで給湯室は許可が出ないとのことでした。

また不登校に逆戻りだ・・・。と母は思いました。
息子にそのことを伝えたら「4年生の時は楽しく過ごせたし、そんなに良いことは続かないから。僕は大丈夫だよ。また前に戻っただけだから。」と母よりも冷静でした。

母は学校ではなくて地域の問題なのかなって感じていました。
この地域は、今年度支援級を設置した学校があったので、そちらに人員が流れました。予算の関係で、補助員カット・補助員の時間も短縮になっていました。(このことは母がネットで調べました)

面談にて。
やはり、校長先生と担任の先生との面談でした。
校長先生からは、4年生の2学期から補助の増員の件で動いていたのにやはり増員されなかったことを説明されました。
どうしよう?との話で、母に1度教育機関に早急に話を持って行ってほしいと告げられました。保護者から話した方が良い方向に行くとのことでした。
母も学校の問題ではないと理解していたのでそうしますと。
校長先生が部屋から出てから、担任の先生と話をしました。
担任の先生は、母よりも落胆していて逆に母は「大丈夫です。3年の時も自宅で息子と過ごしてきましたから。息子もよいことは続かないって冷静なことを言ってましたし。」と話ました。
先生は、4年生の3学期にあんなに楽しそうに学校に来てくれて、あと少しで教室まで入れたかもしれないところまで来ていたのにと。

それからあとからの事務室の先生の話で、初日に電話がなかなかできなかったのは、校長先生に息子の学年の先生方が全員で息子のことで詰め寄って話し合いをしていたことを聞きました。
とっても、素敵な先生方で、一人の児童のことでこんなにも真剣に動いてくれていたのかと思うと、胸が熱くなったし母もどうにかしないとと思いました。

数日の間。
息子が「学童に先生が来てくれたんだよ。僕の教科書持ってきてくれた。それからサッカーを一緒にしてくれた。あと、放課後学習はまたしてくれるって。」と嬉しそうに話してくれました。「よかったね。放課後楽しかったもんね。」と息子に話、学校と疎遠になることは免れたとほっとしました。

母は、早急に教育関係の方と会う約束をしました。
校長先生からも、連絡がきちんとされていて話は通っていました。
そこには懐かしい先生も。息子が???と思った初日から息子と関わってくださっていた先生が今年度から異動になっていました。心強い!って母は思えました。
女性の元教師をしていた方と面談。
その方は「この地域は教育に予算をあまりとってくれない状況です。補助の増員を待っていてもただ1年経ってしまうと思います。補助がいなくても息子さんがどうにか学校で過ごせるように考えましょう。」と話てくれました。
息子の学校には支援級があるとのこと。今現在2名しか在籍していないこと。支援級では8名まで先生が見ることができるので、大人の目があれば過ごせる息子さんなら、そこに机といすを用意してもらってパーテーションで仕切りをしてもらう。
こういう考えはどうでしょうか?と提案してくれました。
母はなるほど・・・。
考える人が違うと、こういう考えが出てくるんだと思いました。
息子に聞いて承諾を取ることと、学校にもそれで対応してもらえるか聞いてみること、支援級の子供たちと保護者の方にも聞いてみたいとのことを母は話して帰宅しました。

息子に聞いたら「あそこなら他の人に会わないね。大丈夫かもしれない。」と前向きな答えでした。
そのあとで校長先生に連絡を入れて内容を伝えました。
次の日に、こんどは支援級の先生も入っていただいて面談をしました。
息子が同じ部屋で学習することで、他の子に迷惑にならないか心配をしていること。保護者の方にも説明をしておいてほしいとのことも伝えました。
息子のことは、ほっといても大丈夫なことも伝えました。

そして、5月の1週目息子は母と支援級のクラスに5年生になって初めて登校しました。

こんな5年生スタートを切った息子でした。



本日の息子・・・

学童に迎えに行ったら、指導員さんが「ひろ君、ベイゴマ大会ブロック優勝したんですよ。すごいです。」と話してくれました。
そんなとこまで勝ち進んでいたんだと母はびっくり
けれど息子は「ブロック優勝したって、景品がなかったよ。」って。
息子は何かと景品にこだわるので・・・
昨日の夜も、寝るまで思い出すと「あーだ・こーだ・・・」と。
付き合うの、めちゃめちゃ大変でした~。
なので母は、絶対息子にベイゴマの話はしない!って心に決めました

4年生のころ

2008-12-14 15:32:45 | 振り返り
今日も息子は賑やかに隣の部屋で4人の友達と遊んでいます。
すごーく賑やかで・・・。
午前中はクリスマス会で最初は思い切り固まっていて人気のないところに。
みんなでゲームをするのも最初は不参加。
景品があったことが分かった瞬間2回目のゲームから参加していました。
そのあとは、マイペースでケーキ作り・・・。
バイキングのお食事。最後はビンゴゲームで盛り上がれました
最初のゲームの景品が「図書カード」。それが欲しかった息子でしたが、なんとビンゴで「図書カード」をたまたまGET。ぐずぐず状態にならずに母は、ほっとしました

今日は息子の4年生のころを綴ってみます。
結果的には、1回も自分のクラスに通うことができませんでした。
けれど、とっても変化があった1年間でした。

新級1日目・・・。
学校の新担任の先生からすぐに連絡がはいりました。(現在も担任をしてくれています)
すぐにお話を聞きたいので会ってほしいとのことでした。
もう学校からは連絡が入らないと思っていた母だったので、今更?と思ったし状況も変わらないと思っていました。(それまで前担任からは1回も連絡もない状態でした)
とにかく次の日に学校に来てほしい。校長先生も話を聞きたいと言っているとのことでした。(この時点で校長先生も新校長先生になったことを知りました)

次の日・・・。
とっても険しい顔?で母は学校に向かいました。
校長室で面談。
新校長先生・新担任・教頭先生と母で面談。(教頭先生は全部今までのことを知ってる人でした)
開口1番、校長先生が「どうしてこういうことになっているのですか?何も私は聞いていないのですが。」と。
申し送りもないんだ。やはりって思いました。
母が今までのことや学校からは一切連絡も入らなかったこと・学童の指導員さんは連絡をすぐにくれて、息子の支えになってくれ学童には通っていることを話ました。
「そんな状況だったんですね。ほんとうに申し訳ない。息子さんも辛い状況でいままで過ごしていたんですね。学校の方が全面的に悪い対応でした。」と。
「どうにかまた、学校に通えるようになってほしい。学童に通っているなら放課後担任を学童に向かわせて、息子さんとの信頼を築けるようにします。私も学童に息子さんに会いに行きます。」と言ってくださり、その日から本当に毎日のように息子に会いに学童に足を運んでくれました。
この面談の最後に教頭先生が「力不足だったこと、本当に申し訳なかったです。何もしてあげられなかったこと後悔しています。」と・・・。

最初のころの息子は、学校に対しての敵対心は異常なほどでした。
先生が学童に会いに来ても、知らん顔・・・。話もしない状態でした。
先生からあとで聞いた話では、あの時期が1番大変だったし、どうしたら心を開いてくれるのか毎日悩んでいましたと言っていました。
補助の先生も息子の学年に配置をすぐにしていただきました。
学童訪問の時はこの補助の先生も一緒にという感じで過ごしていました。
少しずつ良い方向に・・・。
次のステップは、放課後学習になりました。(7月ごろから)
週1回、実験や工作をみんながいなくなったころに先生が息子を迎えにきてくれて行うようになりました。
でも、教室には入れない状態だったので、理科室や図工室。
実験は楽しかったようです。
母も数回、見学に行きました。
ペットボトルロケットを飛ばしたり、アイスクリームを作ったり(氷と塩を使った実験)、べっこうあめを作ったり、花火の原理を考えて作ってみたり。
息子のお気に入りは、べこうあめ作りや、かるめ焼き作り・・・。
この辺は、何回もやっていました。
放課後通えるようになったころから、先生にも息子は優しい顔を向けるようになりました。
この放課後実験は5年生の1学期まで続きました。

2学期に次のステップを・・・ということで、みんなが通っている時間に学校で過ごせないか?ということを考え始めました。(10月頃から)
息子に学校に昼間行けるか確認したら、人には逢いたくない・・・って。
どこか遭わないところは?と聞いたら「給湯室」と息子が教えてくれました。
そこなら通えるかもって。
そのことを先生に伝えて、先生の空き時間(音楽の時間)を給湯室で過ごしてみることに。
先生か補助の先生が時間に自宅に迎えに・・・。
他の児童に会わないように学校に着くように配慮もしてもらっていました。
とっても狭い給湯室・・・。
ここで、息子が手を付けそうな算数や理科のプリントをしたり図工をしたりしました。
たまに児童と遭遇。そういう時は息子は。&逃げて走って給湯室まで行っていたようです。
先生はクラスの子たちに、息子のことも話続けてくれていました。
教室には入れないけれど他の場所で学習していること。
人それぞれ大変なことがあること。
息子を見かけても騒がないこと。
作品が出来ると、息子の作品も教室に飾ってくれたり、テストも「ひろ君はみんなより先にさっきテストをしました。100点だったよ。」って。
みんなが息子のことを忘れないように、クラスの一員だってことを伝え続けてくださっていました。

徐々に給湯室通いを増やして3学期は午後からか4時間目くらいから毎日給湯室に通えました。

新校長先生・担任の先生・補助教員の人に、とっても温かく息子は接してもらって段々顔もいきいきし始めました。
3学期最後の日、校長室で息子はみんなが帰ったあと通知表も受け取ることができました。
放課後通学した日数も全部出席扱いして戴けてました。息子も「母さん、僕学校に73日も通ったよ。すごいでしょ!。成績も付いてるよ。Aがたくさん。」って目をキラキラ輝かせて・・・。

こんな4年生を過ごした息子です。
とってもこの1年間、母と息子は色々な人に支えられてちょっと違った学校生活でしたが幸せでした。
それと、こんなに人って優しいんだということを実感できた1年間でした。

関わってくれた方々、ほんとうにありがとうございました

2年生~不登校になるまで

2008-12-11 17:56:35 | 振り返り
いつも通勤の車の中ではCDを聴いているのですが、久々にFMラジオを聴いてみました~。
そうしたら、世の中は「クリスマス」一色なんだな~って・・・
息子は「どうせサンタはいないでしょ。親が寝てる間にプレゼント枕もとに置いておくんでしょ。」って・・・
めちゃめちゃクールです。

本日は、2年生~不登校になるまでを綴っていきます。
2年生スタートはどうなるのかな?と母も心配していました。
大好きだった、補助の先生も他の学校で立派な先生になってしまっていなくなりました。
当日、帰宅した息子「今度の先生は男の先生なんだよー。僕、うれしいよ。」と元気に教えてくれました。
1年生の3学期に校長先生と母は面談をしていました。
息子が女性が苦手なこと、それから普通学級は無理だと思うので支援級に入ることが出来ないか?との話をしてきました。
その時の話で、男性の先生が抜擢されました。
支援級の方は、息子は該当しない普通学級でこれからも支援していく方針、補助員も息子のクラスに1人付けるとの話でした。
補助の先生は女性だったので、息子は接することを拒否。
けれども担任の先生が男性だったことで教室にいる時間が増えたようでした。
2年生の担任の先生。
とっても息子のために一生懸命動いてくださいました。
今までで1度だけ参加できた「音楽発表会」も先生が息子に付きっきりで教えてくれました。その熱意が息子にも通じて当日ステージに立てました。
2年生の時の1年間は、校長先生との面談もなく先生と母とで協力して素敵な1年を過ごせたと思います。
息子は先生の机の下にもぐって授業を受けていたり、廊下で授業参加したり。それでも平然と「ひろ君、答えあってるね。」って様子をみんなと同じように見てくれていました。
息子が教室から消えようとすると手をつないで授業をしてくれたり・・・。
この先生、ずっと高学年担当だったので、もう1回息子が高学年になったら担任になってほしいな~と思っていましたが、今年度異動で他の学校に・・・。
きっと、今でも素敵な先生のままなのではと母は思っています。
大きな問題もなく無事に2年生修了でした。

3年生。
やはり男性の先生が担任になりました。けれども2年生の時息子は落ち着いていたのと先生のお陰で無難に過ごせていたことで、支援の先生は息子の学年には入りませんでした。
この先生は2年目の先生でした。
息子の話は4月の時点で面談をして伝えておきました。
けれど理解示さず・・・。周りの子と同じように接していきました。
息子がだんだん落着きがなくなり始めて、教室からもまた消えるように。(ほとんど事務室で過ごしていました。)
フォローもなくて周りの子たちから「へんなやつ」と思われはじめて、何かクラスで問題があると「ひろがやった。」とみんなが言うように。
3年生になると大人の前の顔と子供だけの時の顔を持つようになっているし、都合が悪いことも誰かのせいにするように。
クラスの中心核の子の名前を出すと、今度は自分がやられるということもあり、先生にも、親にも何かがあると「ひろにやられた。」と言うことが続きました。
息子は正直者なので、担任の先生に自分で何度か「僕ではありません。○○君です。」と話をしました。
けれど息子に先生は「うちのクラスは悪い子はいません。ひろ君しかそういうことする子はいないから、あやまりなさい。」と。

息子はこのころから「僕はどうせダメな人間なんだ。」って自己評価も下がって・・。結局、信頼できる人がいないと「パタ」っと学校に行けなくなってしまいました。

母はせっかく2年生で学校に適応できるようになったのに・・・という残念な気持ちと、けれどこのまま学校に通わせてももっと息子が大変なことになるという気持ちでいました。これが2学期の10月・・・。
ここから5年生の1学期まで、不登校という形になっていきました。


本日の息子
今日発売のDSゲームを大事に貯めていたお金で購入しました。
今は、夢中でゲームしています。

学校では楽しく過ごせたようです。
クラスの男の子に「冬休み、遊べたら一緒に遊ぼう。」って言われたととっても嬉しそうに話してくれました。
初めて同じクラスになった子みたい。(もしかしたら4年の時も同じだったかもですが1回も学校に行ってなかったので)
息子が言うには、とっても優しい子なんだ~と。
せっかくなので、どうにか日程を調整して遊べるといいな~と母も思っています。
この子のお母さんが授業参観の帰りに母に「息子がひろ君はとっても優しくて素敵な子なんだよって家で話してくれています。息子と仲良くしてくださいね。」ってわざわざ声をかけてくれたお母さんでした。「こちらこそ、色々わからないことばかりなので教えてくださいね。よろしくお願いします。」と母も話しました。

5年生になって息子、素敵な感じに成長してるのかも!って、母は嬉しく思う毎日です

1年生のころ

2008-12-10 17:54:08 | 振り返り
振り返り第3弾です・・・。
本日は、息子の1年生のころを綴ってみます。

息子の1年生は1学期までは完璧でした。
きっと、環境が変わって極度の緊張状態が続いていたのかな~と思い出すと感じます。
2学期の診断のきっかけのころからは、不思議がいっぱいになってきました。
それまで離席もなく授業に参加?していたのですが、このとき以後離席するようになりました。
教室にいても、フラフラしたり、床に寝ころんでいたり・・・。
学校外にも出て行ってしまったり。
廊下もフラフラ。校長室に遊びに行ったり、職員室に遊びに行ったりという感じでした。
突然、消えて先生があわてて探しまわるとプールにいたり。(このころは昆虫が大好きだったので、プールで水カマキリや、ヤゴを探しに行っていたようです。)

このころから「こだわり」も出てきたような。
母が学校に様子を見に行ったときに息子は11時45分になると必ず教室を出て行きました。
母が???と思っていると担任の先生が「給食室に毎日この時間に行って、献立表と違いがないか確認しているので。あと、ひろ君が食べられるものがあるかの確認もしているようですよ。」と教えてくれました。
1年生の担任の先生は、息子が変化してからもしかして?と思ったようで、対応の仕方を変えてくれました。(ベテランの先生なので)
息子の不思議にも、落ち着いて関わってくれました。
母はとっても、ありがたいなと思っていました。
3学期はとうとうほとんど教室にはいなくて、補助の先生が付きっきりでした。
二人で、他の部屋で学習したり、体育館があいている時に運動したり。
3学期の最後の日、息子は校長先生のところに行って「僕は2年生にはなりません。学校やめますから。」と伝えたそうです・・・。

以上1年生の時でした。


現在の息子のお話。
先週の金曜日に、足のうらに大きな水ぶくれ?が出来てしまった息子。
様子をみていたのですが、どんどん大きくなって中も水ではないような感じに
息子は痛みに鈍感。けれどあきらかに歩き方も変な感じで。
思い切って、昨日の夕方医者に連れて行きました。
そしたら、行くところ行くところ「本日は終了しました」の表示が。
仕方がないので薬局に行ってみました。
薬剤師さんに息子の足を見せたら、「これはかなり膿んでいます。病院にすぐに行って処置してもらった方がいいです。」って言われてしまいました
救急で病院へ。内科医しかいないといわれたのですが、またまた息子の足を見せたら「すぐ処置しましょう」って。
息子の順番になって処置室に入ったら「痛くしないでください。僕、痛いの苦手ですから。どのくらい痛いですか?100%中、何%ですか。」って質問してました~。
先生も看護師さんも「面白い子だな~。君は。」って大笑いしていました。
処置終了後「歯医者さんの麻酔よりは痛くなかったですね~。」と感想を言って、またまた先生と看護師さんから笑いをいただきました

母も「ぷっ」って笑えました・・・やはり不思議君です

診断の時

2008-12-09 17:53:52 | 振り返り
今日は、午後から冷たいになっています。
息子の学校では、学年閉鎖になった学年も・・・。
みなさんも、風邪をひかないように暖かくして過ごしてくださいね。

過去の振り返り・・・第2弾です。
息子が???になって2ヶ月後、病院の予約が取れました。(とってもラッキーだと言われました)
当日、息子を連れて車で2時間の病院へ。
学校からの息子の資料・相談窓口からの資料・隣の市の保健所の専門の方の資料・病院の紹介状を持って。
この日は息子は上機嫌。
このころ「僕は学校辞める!」と毎日毎日言っていたので休めたことがうれしかったようです。
病院で受付をして、資料と紹介状を渡しました。
看護師さんから、記入してくださいとかなりの枚数の用紙を渡されました。
(生まれたころから、現在までの様子を細かく記入)
その用紙を看護師さんに渡して、待つこと30分。
順番になりました。
ドクターが息子に絵を描いてもらったり、質問したり。
母の方にはこの資料を見ていてくださいと・・・。
そこには「アスペルガー症候群について」というタイトルが書いてありました。

しばらくしてドクターが母に「息子さんはアスペルガー症候群だと思います。」と。
母は、この言葉も知らないし流行りの「キレる子」だと思っていたしドクターの言葉が理解できませんでした。
薬を服用すれば治ると思っていたし・・・。

本当にこのときは何も知らなかったのでドクターに「いつ頃、治るのでしょうか?」と質問までしました。
そのあと説明を聞いて、母も落ち着いて。
息子が絵を描いている間に資料を読んでいてことごとくハマっていました。
今までの母の言葉や叱り方がまったく逆効果だったこともその時点でわかりました。
とてつもないショックと、でもどこかほっとした母がいました。

これが診断の時のことです。


それから今日の息子・・・
息子の漢字テスト、昨日はやはり不合格でした。
点数は26点・・・。でもよく見たら○の数が26個。
先生が点数を書き間違いしていました。
息子「26点じゃ無理だよ。」と最初は言っていたのですが、母が「52点だよ。」と言ったら、やる気が出ました。
けれど、昨日の夜は漢字の練習もせず・・・
本日、合格してきました~
みんなは今日2回目だったのですが、息子は3回目を受けてきました。
たまたま、本日「音楽」があり、顔だけ出して教室に戻って、もう1回漢字テストしたとのこと・・・。(先生の配慮です。)
その時に校長先生も息子の姿を見て教室に入ってきてくれました。
で、校長先生漢字のヒントも息子に教えてくれたらしいです。
「○番は、車編だったかな~」とか。
息子を取り巻く先生方は、息子に甘いな~と思いますが、それだけ支援してくださっていると思えます。
ありがたいな~
今日までは国語の時間にテストだったようで、明日から休み時間テストになるところでした。
息子「マジにうれしい。休み時間は貴重だよ、やっぱり。」と言っていました。
合格も素早く出来て、ほんとに良かったです。
昨日ブログに綴ったように、めちゃめちゃ褒めてあげました
(やっぱり、書いて覚えるのではなくて見て覚えた息子でした)

消えちゃいました

2008-12-08 18:04:16 | 振り返り
前回までの綴ったブログ、きれいに削除されてしまいました
母にとっての息子の成長記録でした・・・。

なのでまた少しずつ今までの息子の成長記録とその日の出来事も綴りたいと思います。

今まで訪れてくださった方は重複する記事も出てきてしまうと思いますが「そんな子だったな~」と思って読んでくだされば嬉しく思います。


息子の紹介・・・

息子は現在5年生。普通学級に在籍しています。
診断されたのは小学1年生の12月。(それまでは周りの子供と同じと思って子育てしていました。)

3年生の2学期から5年生の1学期まで学校に通学できない状態でした。(不登校に)

現在は学校に2学期から復帰出来て、元気に「行ってくるね!」と言って学校に行くようになっています。

こんな息子です。

診断のきっかけ・・・。

生まれたときから診断を受けるまでの数か月前までは何もなく平穏に過ごしていました。
1年生の1学期の時も先生からは「何の問題もありません。完璧なくらいです。」と言われていました。
2学期の10月のある日連絡帳に初めて先生から学校での出来事が記入されていました。
友達と学校で初めて喧嘩をしたこと。とっても興奮して1日中教室に戻ることができなかったこと。この件で先生方4名が携わったこと。
けれどその日には仲直りしておさまったとのことでした。

連絡帳を読んで母は両方ともが悪かったし、仲直りできたみたいだったので息子には「喧嘩はいけない。暴力もいけない。明日からはまた仲良くするんだよ。」と伝えました。

そうしたら次の日も学校に行った瞬間興奮。
喧嘩の日から、ずっとずっと興奮状態になっていきました。
数日後「1度、学校に様子を見にきてほしい。」と連絡が入りました。(家では落ち着いて過ごしていた息子なので何が起きているのかびっくりな母でした。)

学校に行って息子を見た瞬間「ただ事ではない!」と・・・。
初めて見る息子の顔つき・・・。
授業時間なのに、中庭で園芸用の長い棒を振り回したり男性の先生数人に追いかけられている息子を目の当たりにしました。
息子を母が捕まえて、とりあえず興奮を冷ましましたが、母ひとりではどうにもならない状態な息子だと思いました。
すぐに市内の相談窓口に相談に行きました。

この時点では流行りの「キレる子供」だと思い、躾で治るはずと思っていた母でした。甘えさせて育てたわけではなくて、逆にとっても厳しい躾をしていたので反動でこうなってしまったと思っていました。

これが、息子が診断を受けるきっかけでした。
今思うと、こういう風に意思表示を出してくれた息子で良かったと思っています。
早い時期に原因がわかったし、息子の気持ちに寄り添って子育てができるようになったのですから。

このことから、母の本当の子育てが始まったように感じています。



息子の本日・・・。
今日も、元気に学校に向かいました
苦手な漢字テストが本日あります。
1学期と同じ50問。90点取らないと合格出来ません。
きっと息子は不合格・・・。
なぜって、ランドセルから出てきた同じようなテスト。10点や28点でしたから
本番で同じテストを返してもらってから息子はきっと覚えに入るはずです。
1学期は3回目で合格。
今回は何回目合格かな~。
気長に母は待っていようと思います。
合格したら、めちゃめちゃ褒めちゃおうって思っている母です