NAO'S BAR

LIVE & SHOTBAR CAROUSELAMBRA
ライブ案内
広島県呉市中通3-4-18 2F

MOTHERFUCKER OF THE YEAR

2008-10-23 11:30:02 | インポート

行ってきたよ~モトリークルー広島公演

081022_181546 しかし、、

LOUD PARKと全く同じセットリストじゃんかぁ~ おまけにRED HOTをやらなかったので、一曲少ない・・

たった1時間ちょっとのライブ・・なめとんのかい あれでチケット9500円は高すぎるぞ!  いくらステージプロダクションの都合があるとはいえ、フェスティバルのゲストでのライブと、ワンマンのホールツアーのセットリストが一緒だなんて・・・まあ、超有名曲ばかりのヒットパレードみたいなライブだったので、楽しかったっていえば楽しかったんだが・・それにしてもなぁ~ あとモトリーのライブはいつも音がでかすぎる・・とくにミックのギター、、まあ、全体がでかくてもきちんと音が粒立っているから、ミキサーの技量はたいしたもんだけど。 はやく終わったので広島の「ゆうさく」でご飯。。 道中のタクシーの運転手さんが、ロック好きでイングヴェイのギターを練習してるっていう話をしたのがなんともうれしかったりする。

まあそんなこんなのライブだったけど、うれしかったことがひとつ

081023_103536 ニッキーシックスのピックをゲットしちゃいました

それも2枚

白いほうはニッキーが実際に弾いてたピックで裏には今回のアルバムタイトルの「SAINTS OF LOS ANGELES」と書かれてあり

黒いほうは、たぶんばらまき用日本専用のピックで裏には「SAINTS OF JAPAN」と書かれている。

これはめちゃめちゃうれしい。 いままでも数多くのミュージシャンのピックをゲットしてきたが、一番うれしいかも・・。

ワシはギターはいろんなミュージシャンに影響を受けてきて、ある程度自分のスタイルというものができていると思っている。だけどたまにライブとかでやるベースのほうは、自分でもあまり上手いとは思っていない・・

Img022 だからステージでのアクションやスタイルは模倣である。

誰の模倣かというと・・ニッキーシックスだ。かっこよさは月とスッポンではあるが、、とりあえず少しでもニッキーのかっこよさに近づけたらなあ・・と思ってる。

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KICKSTART MY HEART

2008-10-21 14:03:26 | インポート

歴史物はまた今度

今日の夜は、ほぼ一年ぶりに来月ライブをするワシのバンドのリハーサルだ。

今日のリハーサルの内容が今後のワシのバンドをどう進めていくかを決めるであろう大事なリハーサルだ。 気合気合

今日はリハーサルなんで一般客は入れない、、明日はライブを観にいくので臨時休業、、明後日は定休日なんで、、実質3連休だ  かせがないといけないときにやばいっすよ・・

そんな明日のライブは・・

2778076108 MOTLEY CRUE

彼らのライブは、いつもすばらしい。

なんとなくイメージ的にパーティーロックで、ライブもイケイケの行き当たりばったりの演奏のように思われがちだが、彼らのライブは非常に緻密に計算され構成されている。ニッキーシックスは非常に頭の切れるミュージシャンだ。 LOUD PARKの様子はいろんな人のブログでわかるんだけど、ワンマンは今日の福岡公演が皮切りなので、まだどんなライブになるのか見当がつかない。 10、11、12月のライブ三昧のスタートにふさわしいライブであることを期待するよ。。

Dscf2644 

これは

MARCYのシグネイチャーギターであるPEA-MARCY model に着けられている、EARTHSHAKER デビュー25周年記念オリジナルピックガード。

本来はMARCY本人のギター以外では、このギターを購入した人にしか手に入らないのだけど・・

081020_163239_2

特別に手に入れさせていただきましたぁ~

ありがとう

やっぱり、人と人とのつながりっていいよね。

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新・CAROUSELAMBRA

2008-10-19 16:47:58 | CAROUSELAMBRA

前回の「歴史物」は「EPISODEⅠ~Ⅴ」という副題・・そうこれはSTAR WARSシリーズから引用。 では今回の「続・新・・」と続く映画はなんでしょう 

映画といえば・・今日は「スパイ ゾルゲ」を借りて観た。。なんで今さら・・なんだけど、「おくりびと」のモックンの演技が良かったんで、、ついつい。  で、観てみると・・共産スパイのリヒャルト・ゾルゲや尾崎秀実は戦争を止めるためにスパイをした善人で、日本国や日本軍が悪人という、クソッたれ左翼思想の映画だった・・まさに朝日新聞思想 途中で観るのをやめようかと思ったくらいだ。。 まあ、最後まで観たんだけど、エンディングに流れたのは「想像してごらん、国家も国境も宗教もなくなれば平和がくるよ」というファッキン左巻きソング、ジョンレノンの「イマジン」・・ モックンの演技はよかっただけに残念な内容の映画だった・・

Dscf2100 CAROUSELAMBRAは月に一度くらいのハウスバンドのライブや、話を聞きつけたバンドたちが集まってきて、まずまずのスタートを切った。やっと呉にもライブができる店ができた、、と喜んでくれる人もたくさんいた。 

その頃のワシは・・・オープンの年が、青年会議所の理事長予定者、次の年が理事長、その次の年が日本の委員長、その次の年が日本の筆頭議長、その次の年が広島県の会長、そのまた次の年が中国地区の会長、、、と、一年のうちの三分の二は呉にいない・・・そんな生活を続けていた。 もちろん家庭も崩壊状態、、お店のほうもほとんどスタッフに任せっきりになっていた・・・。六本木の帝王といわれて調子に乗って六本木で毎夜毎夜散財していたバカなワシもこの頃さっ。  でも社会のために真剣に活動していた。きらら公園には「この公園は呉市で初めてワークショップによって作られた公園です」と立て看板があるが、呉市に初めて「ワークショップによるまちづくり」の概念を持ち込んだのはこのワシだ。この頃は行政のまちづくりの裏アドバイザーのような存在でもあった。威張るわけでもないがNPOの概念を呉に広めてNPOネットワークの構築をしたのもワシである。たくさんの政治家の知り合いもでき、近年の総理大臣は福田総理以外はお会いしたことがある。言論人では小林よしりんや金美齢さんとも親しくなって、、なんか恐いものなしだった。今となっては恥ずかしい限りだが、まさに有頂天だったのだ。。。CAROUSELAMBRAのことはほったらかしにして・・・

スタッフの女の子たちは、残念ながらROCKの話がまったくできない・・もちろん楽器もできない・・・ROCKが好きなお客さんが来ても、ワシがいないので、音楽の話をすることもできないし、ワシがいないときは楽器を勝手に弾かせないようにスタッフに指示してたので、楽器で遊ぶこともできない、、、、オープン当初にできた顧客の人たちの足も徐々に遠のくようになっていった。

また、この頃働いていた女の子たちは、ワシが面接して決めていたので、みんなそれなりに可愛いかった・・ その辺のスタンドバーで高いお金払うなら、、ワシの店で安いカクテル一杯飲んで女の子と話して・・・という感じで、客層が音楽好きから、ふつうのスケベなおっさんへと変わっていった・・。 音楽を楽しみに来るわけではなく、女の子が目当てのお客さん、、そういう客層へと変わっていった・・・

ハウスバンド「FYNUL VYNUL」は定期的にライブしてた。 この頃のライブは今日はBON JOVIデー、今日はRAINBOWデー、今日はVAN HALENデーという感じで、その日その日で、一つのバンドのライブをフルコピーするという非常にマニアックでかつ非常に技量のいるライブをやっていた。かわいそうなのはヴォーカリストで、そのたびに15曲くらいの新曲を英語でまるおぼえして、歌いこなせるようにならないといけないのだ・・ワシや他のメンバーはもともとROCK好きだから知ってる曲だが、その当時のヴォーカリストはもともとフォーク畑のやつだったので、まったく知らない曲を2~3週間で15曲、ワシらのバンドで歌えるレベルまで持っていかないといけなかった、、大変だったと思うわ・・ワシも妥協はゆるさなかったし。

そのうちメンバーの一部が仕事が広島市に変わって、住居も広島市内に変わったりして、以前より頻繁にライブができなくなってきた・・

客層も変わったので、ライブをやっても観客が動員できなくもなってきた。。悪循環につぐ悪循環でお店にもバンドにもジレンマを感じていた・・

たぶん続く・・・・

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続・CAROUSELAMBRA

2008-10-17 14:38:19 | CAROUSELAMBRA

081017_140839 昨夜は藤原紀香とお付き合いする夢を見た・・こういう夢を見ている時に目が覚めるとマジ腹が立つ・・・・

店の名前を決める時、、、ROCKに関係する名前をつけようと思っていた。たとえばバンド名とか、曲名、、いくつもの候補が上がり消えていった。あまりにもメタルすぎると客層が限られそうだし、ということで「トランシルバニア」とか「アンセム」とかも候補に挙がっていたがボツ・・ 最終的にワシらくらいの年代の人にウケがいいようにとLED ZEPPELINかQUEENあたりの曲名を店の名前にすることにした。「MOBY DICK」「BLACK DOG」「KILLER QUEEN」・・・いろんな候補が挙がった。

その中で、どうしても気になる曲名があった。「CAROUSELAMBRA」・・単語の意味もわからないし、読み方もレコードについている日本語訳に「ケラウスランブラ」と書いてあるだけ。・・いまだに本当に「ケラウスランブラ」と発音するのかも不明だ。歌の歌詞の中にも一度も「CAROUSELAMBRA」という言葉は登場しない・・。 ちなみにお客さんで来たアメリカ人やイギリス人に「CAROUSELAMBRA」の発音と意味を何度か聞いてみたことがあるんだけど、、、誰一人わからなかった・・。 ツェッペリン最後のスタジオ録音となるアルバムに収録されている曲で、ジョンポールジョーンズのその当時の趣味がモロにでた、シンセサイザー中心の10分にもおよぶ曲で、どちらかというと評価の低い駄曲だ。

まわりと相談しても、なんとなく不思議な響きがするし、意味不明なところもワシの店らしくっていいんじゃないか・・という意見だった。Index_back

今となっては、もう少しみんなが覚えやすい店名にすればよかったかな・・とも思ってはいるのだが、店名は「CAROUSELAMBRA」に決定した。

告知のポスターやチラシにはロバートプラントを無断拝借して・・

当時のワシのバンドは、バンド名が「カスタード・パイ」・・なんとも可愛らしい名前だが、れっきとしたLED ZEPPELINの名曲。

ワシの店のハウスバンドとして、月一回くらいのペースでライブをしていた。

Band_old_sinji このバンドはもっぱらLED ZEPPELINのコピーばかりをやっていた。

それはもうジミーペイジばりにバイオリンの弓でギター弾いたり、ダブルネックギターが登場したりと、コテコテのツェッペリンバンドだった。

しかし、「アキレス最後の戦い」とか「天国への階段」とかどの曲も10分くらいある大作ばかり演奏していたので、ツェッペリンファン以外にはあまりにもウケが悪くって・・

ミーハー心も出てきて、もう少し若い女の子にもウケるように「BON JOVI」とか「AEROSMITH」とかをやるバンドを作ろうと、メンバーはほとんど変わってないけど、新たなバンドを結成した。

それが10年にもわたっていまだに第四期になるけど活動をつづけている「FYNUL VYNUL」だ。・・・

ごめん、もう少しだけ続く・・・

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CAROUSELAMBRA

2008-10-16 19:02:56 | CAROUSELAMBRA

ワシの記憶が定かなら、ワシの店「LIVE&SHOTBAR CAROUSELAMBRA」がオープンしたのは、1997/8/1だ。

呉にないもの、、「音楽好きが集まって酒を飲みながら思い思いに演奏できる店」、、そんな店がやりたい、、と昔から思っていたが、、死んだ親父が残してくれた洋品店をやめていいものかという葛藤がいつもワシにはあった。  

バブルもはじけて、当時会社が東京に所有していたマンションも値が下がり、維持費はかかるばかりなので手放そうとしていた。 当時の景気ではなかなか買い手も現れなかったのだが、やっと買い手もみつかり、そのお金をそのままにするよりは有効活用しようと思った。 今後商店街で物販業を営んでいっても先がないことも予想がついた。・・儲けはなくてもいいから、好きなことがやりたい・・多分親父は草葉の蔭で泣いているだろうが、、ワシはあまり商売には向いていない・・。  いまこそ、ライブバーをやる時だと思った。

やるからにはとことんいい店にしたかった。 東京などのライブバーにはよく行っていたが、大体は地下の薄汚い店だ。ワシは内装にはこだわった・・ライブをやってないときは気軽に女の子でも来れるようなちょっとは小洒落た店にしたかった。 照明器具などは店舗デザイナーの人と何度も打ち合わせして決めた。。トイレのドアノブ一つ一つにもこだわった。

音響機材は友人の音響屋にとことんいいものにしてもらった。

奥の部屋は、いまでこそ物置兼控え室としてしか利用してないが、当初は、個室として利用してもらうためのものだった・・酒を飲みながらの会議や、コンパなどに使ってもらえるように作った。

今でこそワシ一人で切り盛りしているが、オープンしてから何年かはは女性スタッフが二人いた。もともと最初はワシはオーナーとして、カウンター内には入らずに、カウンターに座って飲みながらお客さんと話をしたりして、希望があれば演奏したりするスタイルをとっていた。

スタッフの女の子も決まった。

お酒のメニューや、オープン当時はあったFOODのメニューもスタッフと何度も会合を重ねて、カクテル作りのトレーニングもして、、

家に山積みになっていたギターたちもすべてお店に引っ越しをして、、

Home_holl

オープン前のプレオープンには友達や知り合いを招待して、、

いよいよワシの新しい人生のスタートとなる8/1をむかえた

少しだけ続く・・・


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