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テロと日本 2002年4月10日

2002-04-10 23:11:26 | NAO の論文集


 まず、最初に確認しておかなくてはいけないことは、「集団的」であれ「個別的」であれ「自衛権」の無い国家というのは存在しないということです。


 そして今回のテロに対する米国の報復に対してのみ、日本は新法を作ってまで加担しています。北朝鮮の拉致というテロ行為には何の行動もしめさない、また過去に起きたエジプトでのテロに日本人が巻き込まれたときも、今のように騒ぎは大きくなりませんでした。今回に関してはまるで「湾岸戦争」の呪縛から解き放たれんとばかりに、米国のご機嫌伺いに走っているように思われます。


 教科書問題、靖国問題は中国、韓国にご機嫌伺い、そして今回は米国にご機嫌伺いと、まさに日本の主体性の無さが顕著に表れています。



 そうです、一番のこの国の問題は独立主権国家として主体性が無いということにつきるのではないでしょうか。国益というものをないがしろにして、行き当たりばったりのご機嫌伺いの外交を続けてきた結果ではないでしょうか。


 日本の国家としての宿命は所詮米国の行動に追随することでしかないのでしょうか。では逆に日本が他国に攻められたとき米国は国家をあげて助けに来てくれるのでしょうか・・・疑問が残るところです。


 今回の戦争はテロリズムと民主主義の争いではなく「イスラム原理主義」と「アメリカ覇権主義」との争いです。テロの手段として民間機を乗っ取って民間人につっこむという卑劣な手をつかったことは絶対に許されることではありません。しかしアメリカ中心主義の押しつけが生んだ結果とも言えなくはないのでしょうか。


 ここで少し捕鯨の件を例に出して米国の覇権主義を解説したいと思います。古来から日本の食文化の一端を担っていた鯨は、今調査捕鯨によるミンク鯨の捕鯨のみ許され、今後全面廃止の方向で進んでいます。過去をひもといてみると、ペリーの来航はもともと日本を米国の捕鯨の経由地にするためでした。化石燃料が未開だった当時の燃料として鯨油は大切な米国の資源でした。しかし化石燃料が整った今、米国にとって捕鯨は必要のないことなのです。もともと鯨の皮を剥ぎ取って鯨油を取った後はまるごと海洋廃棄をしていた国に、鯨のひげ一本までを無駄なく感謝の念で使い切る日本人の文化性などは関係ない話なのです。まさに、聖書には牛や豚は食しても良いが、聖書に記されていない鯨は未開文明国の食うもの・・・というキリスト原理主義に基づいたものにほかなりません。そして、結果は自然界の海洋動物は食さず、米国の畜産品をどんどん購入してくれ!!というアメリカ拝金主義に行き着くのです。


 ここで今回の戦争に対して、日本が何をすればいいのか考えてみたいと思います。日本は何を望まれているのでしょうか?聞いた話では、ブッシュは小泉首相に戦線でのことより、日本国内の不良債権処理を早くやってくれということを言ったそうで・・つまり、日本は米国の経済建て直しのための今回の戦争に、戦場でのことはなにも期待していないから、日本の個人資産も含めたお金が、米国の活力になるよう整備してくれ・・と考えている、、と言ったら言い過ぎでしょうか?


 「日本は戦後あなたたち米国に押しつけられた憲法のせいで、今回のようなときに武力支援が出来ません・・戦場には行けませんが、戦後処理は日本にお任せ下さい、その分存分に我々の分まで戦って下さい」という国家広告を米国の大手メディアに全面ぶち抜き広告を掲載する、という手法はどうでしょうか?


 議論が米国の批判になってしまいましたが、この議論の本質は「では、日本は」ということです。冒頭にもお話したとおり、いまの日本にもっとも必要なのは独立国家としての主体性です。鳴り物入りで登場した小泉総理も、感情的表現で人気を博していますが、その現実はすべてなんの根拠も無い緊急避難的対応にすぎません。構造改革という、なんとなく日本がいい方向に変わっていくのではないかという期待を抱かせるなんの根拠も裏付けも無い言葉に、国民は疑問を感じないのでしょうか。


 今の憲法は当然変えて行くべきものであることは確かですが、憲法改正という議論も、よっぽど注意しないと、いまの主体性をもたない日本で進めていくとしたなら・・ますます骨抜きのとんでもない憲法になっていく可能性があります。


われわれが今一番必要としているもの、それは独立国家としての主体性を持つことの出来るシステム、そして政治家、それをささえる日本国民だと考えます。


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