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REQUIEM

2010-05-25 15:01:44 | インポート

SMCの予約詳細は5/3付のブログをごらんください

いよいよ残りわずかです

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先日紹介した、ワシもコラムを書かせていただいているWABマガジン「Soul Relations」が、早くも全面リニューアルした。なんというスピードの速さだっっ。鳩山総理にも見習ってもらいたいものである。。より読みやすく、より良い感じにリニューアルされてるんで、一度読まれた方も、再度訪れてもらいたい。

http://soul-relations.com/

訃報である・・。

ラッシャー木村氏が亡くなられた・・・。

ワシはガキのころから大のプロレスファン・・、小学校の頃の弟との遊びと言えばプロレスごっこ、、猪木に挑戦するため極真カラテを学び・・、大学時代はロックのライブに行くことと同じくらい「蔵前国技館」「後楽園ホール」etc・・にプロレスを観に行っていた。

1981年、、その当時は空前のプロレスブームで、倒産した国際プロレスから殴りこみに来たラッシャー木村率いる国際軍団と新日本プロレスは闘争をしていた。1981/11/5、、その決着戦が蔵前国技館で行われた・・。試合はランバージャックデスマッチ・・、反則勝ちもリングアウトも3カウントフォールも無し、、KOかギブアップでのみ勝敗が決まるというルールだった。 

試合はアントニオ猪木の腕ひしぎ逆十字によるTKO、、いうまでもなく観客は興奮のるつぼであった。。ワシもガッツポーズをして、大声で歓喜していたことを思い出す。。

当時、いかにプロレスブームであったかということを表すことに・・東京スポーツから週刊で、全ページカラー16ページの新聞「ザ・プロレス」が発刊されていたということがある。

その日の猪木VSラッシャー木村のことが書かれてある「ザ・プロレス」はいまでも大切に保管してある・・。

なぜって・・

Img051観客として、開場を待っているワシの写真が掲載されたから・・・・まだ若かったワシは、こんなことで大喜びしてたんだ・・はずかしぃぃぃ、、よくわからないから・・拡大してみた。

Img053 左下4人目くらいのメガネかけた奴がワシだ、、またそんなに髪が長くない・・。

ラッシャー木村氏のご冥福をお祈りいたします。

そして・・情念の作詞家、吉岡治氏が亡くなられた・・

女の情念を書かせたら右に出る人はいない・・

ワシは最近のJ-POPを聴くくらいなら、だんぜん演歌を聴くっっ。

吉岡先生作詞の名曲は数しれずだが、、天城越え、、命くれない、、まさに女の情念を綴った名曲ぞろいであるよ・・・。特にワシが好きなのは「好色一代女」・・・

「ああ、溺れる女は罪ですか

あなた、あなた、ああ ゆらゆらと

それぞれの利き腕で

夢を見るのも女・・・

あたし・・・・夫がいます

でも・・愛さずにいられない・・」

うう~~~ん、、しびれるねっっ。

ご冥福をお祈りいたします。


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