青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります





毎日のように出てくる新たないじめが原因で自殺をした生徒。おそらくまだまだ自殺をした生徒がいるはずだ。私は以前から文科省が年間のいじめによる自殺の件数が余りにも少ないばかりか、都道府県の教育委員会から上がってくる自殺の件数が、どれだけでたらめだったのか。



今回の大津市の中2自殺の問題で教育委員会や学校がいじめと自殺の因果関係を隠すために嘘八百隠ぺいを当たり前みたいにやる行為は教育者のやる事ではない偽善者のかたまりだ。これが今回ネットの普及によりあらゆる事実が暴露され、もう教育委員会や学校が嘘をついていた事や隠ぺい、それに生徒達に、かん口令をひくなどの行為に一番この問題に不信感を持っているのは生徒達ではないだろうか。
この事が明るみに出ると今まで学校の中でいじめがあったにも関わらず、何故子どもが自殺をしたのか理解出来ない遺族が沢山いた。



しかし今回の件でまさか教育委員会や学校がこんなに嘘をついたり、都合の悪い部分があれば隠ぺいする。自分達を守る為にはあらゆる手段を使って、真実を隠し通す。そして自分達の都合のいい話をでっちあげる。本当に泥棒よりたちの悪い連中だ。それに学校の教師達が同調する。
 とても一般の我々には理解出来ない。こんな教師らに子どもを預けたくない。今川崎市で教師をやっている一部の先生が我々の活動を陰から支援してくれるので、意外といろいろな情報を流してくれる。



前回2年前に起きた多摩区の南菅中学で起きた生徒の自殺は直ぐに私の事務所に連絡があり、急いで行動開始が出来た。そして我々に入った自殺に関しての情報が、事実かどうかの確認を教頭と話し合った。我々の得た情報と教頭の話しが全て一致した。それから自殺をした生徒のフルネームや住所それに生徒に対してのいじめをしていた加害者の名前も全て分かっていたのでそれも含めて全て教頭に事実確認をしっかりやるようにと話をした。普通だったらまず詳しい事件内容にはノーコメント。自殺をした生徒の名前から全てを個人情報と云う事で話しをする事はなかったであろう。後は私のブログを見て頂ければ全てが分かりますので、見てください。



ただ残念なのは、家族やまわりの生徒達から聞いていた真矢君は、友達からも人気があり気持ちの優しい生徒で家族思いの生徒だったと聞いた時、家族にすればどんなに悔しい思いをしているのか、手に取るように私には分かる。だから余計に真矢君の死をいい加減にして欲しくない。真矢君の遺書はいじめは絶対悪だ。だからいじめは絶体やるなというメッセージだと云う事を学校の教師はしっかりと受け止めなければいけない。我々も川崎市内の学校内でいじめが起きないように、地域の皆さんと協力して情報収集し、いじめがあった時には学校側と協力して、いじめを直ぐに止めさせる対策をとります。



それと今小中学校の少女を狙う児童ポルノを愛好する多くの大人が芸能人とかタレント募集と云いながらアイドルになりたいかと声をかければ100%のってくる。しかし目的はほとんど児童ポルノ。中身は水着姿にさせそれが段々エスカレート。そして最後はポルノ。そしてこいつらのたちの悪いのはもし親に分かった場合には、契約違反と何百万も金を違約金として取り上げるという悪質業者が物凄い勢いで増えている。それに対しこれを規制する法律がないので業者はやりたい放題。早く国はこういう業者を取り締まる厳しい法律を一日も早く作る事だ。警察は国が厳しい法律を作らない限り手も足も出ないとなれば、やりようがないと言っている。皆さん日本の政治家は本当に子どもを大事にしないと云う事を長い社会活動をしてはっきり分かった。



やはりこの問題を解決出来る人は、大阪の維新の会の代表橋下徹市長しかいないと思っています。今の政治家で愛国心の持っている政治家が何人いるだろうか。本当に愛国心を持っているなら、子どもは日本の未来だと云う事を自覚せよ。それにこれ以上日本を体たらくな国にするな。

最後にこの児童ポルノの内容はNHKの番組で平成24年8月20日に我々が書いた児童ポルノとほぼ同じような事を番組で訴えていた。これからはインターネット社会。政治家の皆さんは、インターネットの力を軽く見ないように。この日本のかじ取りをしっかりやってもらいたい。


青少年育成連合会の関西支部長の山本博美氏
鹿川副理事長がいじめの問題のスペシャリストとして評価とにかくいじめ問題や名古屋中学生5000万円恐喝事件などその他のいじめ問題で名古屋で活躍。名古屋市教委の天敵と呼ばれた、泣く子も黙る行動派ばかりではなく、人情家で自分の子どもがいじめに遭って戦った事がきっかけで、その手腕を鹿川氏がかい青少年育成連合会の関西支部長として活躍。現在に至る。

名古屋に住んでいた時の頃からいじめの問題で活動した頃からの説明。 

名古屋市在住、市民グループいじめを無くす会代表、関西支部長、青少年育成連合会副理事長山本博美さんの長女が、小学3年生だった十数年前ひどいいじめにあっていた。
止めるべき、先生が加担するような状態で、学校にも教育委員会にも訴えたが、なかなか改善されなかった。6年生の時校長が代わって対策チームを、作るなどようやく本格的に取組んでもらえるようになった。

それからが本当の戦いで長い道のりだったが、戦いの経験者として、是非皆さんに娘さん (山本恵美)の書いた文を読むことによって何か、得るものがあればと思いここにブログの記事として載せました。


第1話 実録青少年育成連合会の山本関西支部長のいじめ撃退

 最初私は、この卒業論文を(子供の心に環境はどのように影響するのか)というテーマで進めていた。
数冊の文献を読み子供の生きる力の根っこになってるものは何か、また親の役割とは、どんなものかなどを調べていた。その中で、辛い時や困った時に親がいてくれることが、何よりも子供の安心感に繋がっていて親から(私は特別に愛されている)と感じれるような時間やぬくもりが必要なんだと思った。

そこで、先生からアドバイスを頂いたのをきっかけに、自分の今までの経験をまとめることになりテーマも改めて変更した。過去をこれ程深く思い返したのは初めてである。小学校4年生の時に(いじめ)にあった。
ということを、思い返すということは、正直とても辛いことであり、複雑な気持ちだった。
しかし今こうして保育者になることを、志し生活している私にとって、必要なことは何かと考えた時自分自身を振り返り見つめ直すということが大切であり、またそこから新しい何かと出会えたらいいと思った。

過去は過去のまま、終わらすのではなく、過去から何かを学び、未来へ繋げていけたらいいと思う。
あの時感じた気持ちや、あの時流した涙が決して無駄にならないように、人を思いやる気持ちを大切にしこれから出逢う子供達一人一人に幸せを与えてあげれるような保育者になりたい。
あれから、十年以上も過ぎようとしている。時間はどんどん過ぎていくけれど、あの時、あの場所、あの気持ちを、忘れることは無い。十年以上たった今も、あの頃だけがなぜか長く重く感じる。

いじめ)というきっかけが何だったかはよく解らない。分団登校の事で母が学校に要望の電話を入れた。
私の家は一軒家で、住宅に囲まれたところにある。分団というのは、近くの子供同士が、グループになって、登下校するのだが、住宅のグループと住宅以外のグループに分けられていた。そこで問題なのが、住宅のグループの子供達は、車も自転車も通らない安全な住宅の中の、公園を通って、学校へ行くのに対し、住宅以外のグループは横断歩道も無く、どこから車がやってくるかもわからない四つ角で、しかも路上駐車だらけの道を通って学校へ行くことになっていたのだ、また幼い小学生の集団が一番大きくても、六年生の判断で、道路を渡る、というのは、危険が大きすぎる、大型トラックまでも頻繁に通るこの道で、いつ、事故が起こるかわからない。という現状のなかで、母は娘の命を守りたい一心で学校に安全な道で登下校させてくれ、と連絡をした。学校に何かを言う・・・・・

そのことがいつしか、地域中に広まって母は、何様のつもりだ、
学校に口出しするな、出て行けといわれるようになった。母の周りにいた友達でさえ、地域の中で、一番偉そうにしている人や、PTAの人達の影響で、離れていき、そのうち母は、一人になった。
皆と違うことをすると、冷たい目で見られる。それが正しいことであっても。皆が違うといえば違うとなってしまう現実、正しいことは何か、という前に多い方はとちらか、で、決められてゆく。
母はだれに何を言われようが、自分の意思を曲げずどんどん前へ、立ち向かっていった。

結局、この件に関しては、母の力で、横断歩道を付ける事になったし、路上駐車禁止の看板も置かれるようになった。また、私も住宅のグループの子達と一緒に安全な住宅内を通って登校できるようになった。

一つの問題が解決したものの、(学校へものを言う)という噂が広がり続け、(恵美ちゃんお母さん怖い)とか(恵美ちゃん遊ぶとすぐお母さんが学校に言う)などと色んなことを言われるようになった。

4年生の時、音楽が大好きな私は生まれて初めて部活というものに出会い音楽部に入部した。たくさんの期待と不安を持ちながら初日の部活に参加したあの日のことを今もよく覚えている。

それぞれのパートを決めるから)と言われ、私は友達と一緒にバトンをすることになった。

バトンのグループは廊下のほうに集められ、六年生の先輩を中心に、バトンの回し方など教えてもらった。

一人の六年生Aが、(じゃあ、四年生一人ずつやってみて)と言ったので、私はまだ、ほんの数分前に始めて触ったバトンを、それでも一生懸命回してみた。(・・・・トーン)バトンは落ちた。

すると突然Aに謝れといわれたのだ。私は、なぜ謝らなくてはいけないのかもわからないし、謝ることはないと思ったので小声でなぜ謝らなくてはいけないのと言った。Aはさらにきつい口調で、謝れ、謝らなければ殴るぞと言ってきたのだ、周りの六年生は楽しそうに見ているだけ、一人の六年生に、謝ったほうがいいよと言われた。

私は、急に怖くなって、すいませんでしたと言った。それからその後も黒板に、赤字で山本恵美しっかりやれと書かれ、Aを含む六年生、また五年生から、嫌がらせを受けた。私は、家に帰るとすぐに母の胸に飛び込み泣いた。泣きながら今日の事を母に話した。母は学校に連絡し、事実を確かめてほしいと伝えた。

あの頃、母が私を助けてくれるために、どれだけ苦労し辛い思いをしているか、全くわからなかった。母は、いつも私には、大丈夫だよお母さんに任せときなさいと笑ってくれた。その笑顔を見るたびほっとして学校へ行きたがらない足が前に進んだ。




東京都中野区の中学で起きた鹿川裕史君の自殺(葬式ごっこ)が発覚。この事件によって全国からいじめや自殺の事件が多く発覚し日本中に激震が走った。その時に鹿川裕史君の父、鹿川雅弘さんと講演活動の途中で会い意気投合。一緒にいじめ撲滅をしたいと云う鹿川さんに心を打たれ、鹿川さんを青少年育成連合会の副理事長なってもらい、北海道と九州を除き、鹿川さんが社会人なので、時間が許す限り活動を展開。