今日はまとめて気になってる事を一気に言います。とにかく学校のセクハラ問題が多すぎる。もう今の子ども達は教師はエロイというのが常識。それに教育委員会のいい加減さ。いい加減にしろ。みんな魚で言えばヒラメだ。ヒラメの目はいつも上を向いている。何故こんなに教職員の質が落ちたのか。その原因が全国の学校の校内暴力の急増。それによって相変わらず多い、いじめの問題や自殺(10代の自殺年間600人前後)
それに一番問題視しているのは不登校の問題。私はこの問題を重視したい。何で神奈川は小中生の不登校がトップなんだ。それと同時に校内暴力も多い。多分組合の力が強いだけ教師達が子ども達より組合活動に力を入れているからだ。とにかく最近相次いで悪質な教師の事件が続いた。
その中でも川崎市で続けて起きた事件。その1が子どもをガムテープで手足をグルグル巻きにし拉致し裸の写真を撮るという供述だったが最後はいたずらしようと思ったに違いない。途中で逮捕されたから良いが、もしかしたら顔がばれているから女児を殺したかも分からない。だいたいこのケースが多い
。その2学校内のトイレに盗撮カメラセット。こんなことやって何が楽しいのか。これって変態以外考えられない。とにかく学校の教師には、こういう変態が余りにも多すぎる。それも悪質。それに表に出るのは氷山の一角。こういう非常識教師によって被害を受けた児童はどんなに苦しんでいるか胸が痛む。しかしセクハラ被害を受けた子ども達は中々表には出ない。学校は分かっていても隠してしまう。何故ならば問題が表面に出れば自分たちの出世に影響するからだ。
子どもを持つ親はしっかり教師達を監視したほうが良い。そこまで今の教師達は堕落している。中には一生懸命働いているもいるが、比率からすれば女性教師の方が真面目に一生懸命子ども達の為に働いている。問題を起こしている教師のほとんどが男だ。ダメ教師は学校から排除しろ。ダメ教師は学校から排除しろ。
今日は東日本大震災の被災地訪問、青森、岩手、宮城、秋田県を一週間廻り昨日帰ってきた我が親友の青少年育成連合会特別講師五十嵐由人さん。長い期間お疲れさんでした。とにかく五十嵐さんは忙しい中、被災地に行って多くの情報や避難している沢山の被災者、未だ街は瓦礫の山、まだ当分片づけを終わるまで、多くの被災者もすでに限界にきているのではないかと感じたそうです。
それに手元にお金がないので不自由で仕方がない。でいるだけ義援金でもいただければと云う話しに、怒りがこみあげて来た。多くの被災者は大津波を受けたために着の身着のままで逃げてきたので、手元にお金が無いので、買い物ひとつ出来ない。それを聞いてるうちに行政は何をやっているのか、早くお金を回した方が良い。その為にどれだけ多くの人達が被災者の為に義援金の一部として寄付したか。多くの国民は直ぐにでも義援金が被災者に渡っていると思っているはずだ。それが2か月過ぎても渡っていないと云うのはどう云う事だ。すぐに渡っていなければ国は義援金が被災者の方に早く渡るように指示を出すべきではないだろうか。どうしてもやる事が役人のやる事だ。そんなの関係ない。命の方が優先だ。
ここで再度、一生懸命慰問に出掛けて行った我が親友、五十嵐さんのプロフィールを再度紹介します。
皆さん見てください。「エンジョイライフショッピングセンター」株式会社アイワールドのオープニングセールで集まった数え切れないくらいの人の数。ディスカウントブームの先駆者五十嵐さんの思い切ったディスカウントビジネス。奇抜な建物を見ても何かレジャーランドを小さくしたような、夢の世界をイメージ。やはり大勢の人を呼び込むアイディアは普通じゃない。
五十嵐 由人(よしと)氏 のプロフィール ----
昭和17年7月7日(1942年)福島県会津の農家の長男として生まれる福島県立農業高校を2年で中退、「商人』 を夢見て上京。独立資金を稼ぐため、18才で独立林業の事業主となる。昭和40年念願の小売業ダイクマに入社、寝食を忘れて仕事に打ち込み雑貨仕入れで、全国各地を飛び回りディスカウント時代の原型を創る。昭和50年(1975年)神奈川県に「エンジョイライフショッピングセンター」株式会社アイワールドを設立、社長に就任。創業2年目相模原店オープン20億円を売上げその後も業績を伸ばしホームセンター、ディスカウントブームの先駆者として活躍。
次々と画期的な企画を連発し、流通業界の注目を集め、世界の一流品、ブランド品、高級品を世界中を廻って輸入し、相模原に9万?の当時としては先がけの巨大ショッピングモール開店、さらには東大和市にも、同コンセプトによる大型店舗をオープン、時代の寵児として業界の話題をさらい続けた。グループ会社を合わせ400億円に及ばんとした時に、過大投資が命取りとなり資金ショートし、2002年7月22日、民事再生に突入した。
財産放棄、引責辞任と言ういさぎよい決断によって2002年12月11日史上最短で民事再生認可、次いで個人の民事再生も最短で認可された人生の表舞台で時代の兆児も経験し、一転急落地獄の底も体験し、人生の両面を知って社会が見えて、再起をはかり会社も立ち上げ事業をする一方では、「生きる研究所」として若き経営者の育成、全国へ講演活動、また、事業経験を生かして複数の会社の顧問、変ったところでは演歌が好きで三波春夫先生や北島三郎先生を信奉し、高じて演歌歌手として活躍、ディナーショーなど各地で歌ったり、講演活動をしています。
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国旗は日の丸、国歌は君が代