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エジプトに2700本の桜を寄贈、現地で植樹し満開の下で世界の平和を考える桜交流の輪を広げ、日本とエジプトの友好親善を高めたいという金澤義春会長の心意気。これこそエジプトと日本の親善交流を実施した金澤会長の功績は素晴らしい。民間人でここまでやる人が過去にいたかどうか私には記憶が無い。
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金沢ビル代表 金澤義春氏
所在地 川崎市幸区中幸町4-50
竣工昭和60年規模地上5階建て構造鉄筋コンクリート造総建築費約1億5000万円設備エレベーター、個別空調
★入居テナント
1階美容院2階東洋療術学院3階金澤土地建物 |
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金澤会長とは私も長い付き合いで、とにかく楽しい人。子どもとお年寄りを喜ばすために何でもやる人。私は生涯の中でこんなに楽しい人とは出会ったことがない。今の画像はエジプトから戴いた衣装を使って手品を披露している金澤会長。
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★プロフィール
昭和6年に、福島県で生まれた代表の金澤義春氏は、23歳で川崎市幸区に金澤土地建物を設立した。地元の事業者に様々な物件を仲介するとともに、医院や薬局などを町に誘致し、生活インフラの充実を図った。
昭和44年には東洋医学への関心が高まり、自らも治療院を設立した。ぜんそくや呼吸改善など、東洋学の方法で治療を行っている。
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左側の画像はムバラク大統領婦人と奥さんと金澤会長、それに右側の画像はたぶん金澤会長が疲れているから大統領夫人が会長大丈夫ですかといたわってるのではないかと、そう解釈していますが。
とにかく大統領夫人は品格といい思いやりといい、このようなファーストレディは日本人には見られない風格を感じるのは、私だけではないでしょう。
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昭和60年に金沢ビルを建設し、一部を賃貸するとともに、自らの活動拠点を確立。他、川崎市内に4棟のビルを所有経営する。
平成元年、戦後60年間手つかずだった川崎駅前の再開発を目指して、再開発組合組長に就任し、地権者の取りまとめを行う。
平成7年、川崎市は政令都市初の罰金つきガム、吸い殻、空き缶ポイ捨て禁止条例を施行したが、その提唱者として金澤氏は、全国的に知られるようになる。 |
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平成13年、懸案だった駅前再開発が着工。13年間かけた地権者への説得が実ることとなる。
平成15年、ミューザ川崎、他高層マンションが完成し、再開発計画が一区切りつく。
不動産の高度利用は必要不可欠で大変意義のある結果になったと思います」(金澤氏)その後、その条例変更が追い風となって、平成15年の「ミューザ川崎」等の大型ビルの完成に至ったのは言うまでもない。
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