青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります



思い出すなあの当時、横田道場出身石塚君の若き時代の写真(赤い半袖)昭和39年6月生まれ、出身川崎市,  夜間高校卒業後、東京都立商科大学卒業、現在はある中堅の運送会社の役員青少年育成連合会の副事務局長と、土手芋の会の代を務めている。それまでは長い道のりがあったけれど、後日特集で紹介する。性格は真面目で温厚、友達思いで優しい、しかし、間違ったことをすると、怒るときは、しっかいと怒るそれに、空手で鍛えた強い精神力を持っている。最も期待しているすばらしい男だ。

第四部 実録、青少年育成連合会関西支部長山本親子のいじめ撃退

人の噂・・・・・・・

母が私を助け、守ってくれたために、担任S先生が「山本さんのお母さんと山本さんには気おつけなさい」と言った言葉によって離れていった友達と地域中に広がる「山本恵美のお母さんは怖い人」という噂によって離れていった友達・・・。
もう何がなんだかすべてに疲れたような、辛い、苦しいという気持ち以上のところへ墜とされたような感じだった。
母は本当に一生懸命私のことを想って学校に話をしてくれている。
毎日、毎日学校と連絡を取り合っている姿に、親の愛情を痛いくらい感じていた。ただ、その時は母に感謝をする余裕もないくらい、私自身も精一杯だった。
三月の中頃、私はもうクラスの雰囲気に耐えられなくなった。
普通の授業時間は良かった。国語や算数を自分の席で聞き、ノートを写す。何をしていなくても、とりあえずは時間が過ぎる。そういう時間が私にとっては最高だった。
私が耐えられなくなる程、辛かったのは、創意や特別活動の時間だった。この時間は、ほとんどゲームやお楽しみ会の時間で何人かのグループを作る。それも、好きな子同士という形で行われていた。
先生が「○人集まったら座れ」と言った後、皆が私を入れないように急いで○人グループを作る。誰も私のことを見ようとはせず、グループのできた子たちの、はしゃいだ声だけが響いていた。私はそれでも教室の中を歩いた。ある時、まだグループのできていなかったWさんが「恵美ちゃんが入るなら嫌だ。私、やめる」と言った。その言葉を聞いた時は、「もう嫌だ」と心底思った。
母は以前から、好きな子同士はやめてほしいとS先生に言っていた。
半端がでて、私が心を痛めることを予測していたからだ。それでも、「お宅のような意図で指導しておりません」との返事だった。その次の日、Wさんから紙ぎっしりに「ごめんね」と書かれた手紙をもらった。   第5部 期待してください