青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります



(財)全日本空手道連盟松涛館流空手道拳心会師範西谷賢先生は青少年育成と特に子供のいじめ問題に取組んでいる唯一の先生です。ここに紹介します。

 名古屋市在住、市民グループいじめを無くす会代表、関西支部長、青少年育成連合会副理事長山本博美さんが、長女が、小学3年生だった十数年前ひどいいじめにあっていた。止めるべき、先生が加担するような状態で、学校にも教育委員会にも訴えたが、なかなか改善されなかった。6年生の時校長が代わって対策チームを、作るなどようやく本格的に取組んでもらえるようになった。それからが本当の戦いで長い道のりだったが、戦いの経験者として、是非皆さんに娘さん (山本恵美)の書いた文を読むことによって何か、得るものがあればと思いここにブログの記事として載せました。

一部、最初私は、この卒業論文を(子供の心に環境はどのように影響するのか)というテーマで進めていた。数冊の文献を読み子供の生きる力の根っこになってるものは何か、また親の役割とは、どんなものかなどを調べていた。その中で、辛い時や困った時に親がいてくれることが、何よりも子供の安心感に繋がっていて親から(私は特別に愛されている)と感じれるような時間やぬくもりが必要なんだと思った。そこで、先生からアドバイスを頂いたのをきっかけに、自分の今までの経験をまとめることになりテーマも改めて変更した。過去をこれ程深く思い返したのは初めてである。小学校4年生の時に(いじめ)にあった。ということを、思い返すということは、正直とても辛いことであり、複雑な気持ちだった。しかし今こうして保育者になることを、志し生活している私にとって、必要なことは何かと考えた時自分自身を振り返り見つめ直すということが大切であり、またそこから新しい何かと出会えたらいいと思った。過去は過去のまま、終わらすのではなく、過去から何かを学び、未来へ繋げていけたらいいと思う。あの時感じた気持ちや、あの時流した涙が決して無駄にならないように、人を思いやる気持ちを大切にしこれから出逢う子供達一人一人に幸せを与えてあげれるような保育者になりたい。あれから、十年以上も過ぎようとしている。時間はどんどん過ぎていくけれど、あの時、あの場所、あの気持ち を、忘れることは無い。十年以上たった今も、あの頃だけがなぜか長く重く感じる。 (いじめ)というきっかけが何だったかはよく解らない。分団登校の事で母が学校に要望の電話を入れた。私の家は一軒家で、住宅に囲まれたところにある。分団というのは、近くの子供同士が、グループになって、登下校するのだが、住宅のグループと住宅以外のグループに分けられていた。そこで問題なのが、住宅のグループの子供達は、車も自転車も通らない安全な住宅の中の、公園を通って、学校へ行くのに対し、住宅以外のグループは横断歩道も無く、どこから車がやってくるかもわからない四つ角で、しかも路上駐車だ らけの道を通って学校へ行くことになっていたのだ、また幼い小学生の集団が一番大きくても、六年生の判断で、道路を渡る、というのは、危険が大きすぎる、大型トラックまでも頻繁に通るこの道で、いつ、事故が起こ るかわからない。という現状のなかで、母は娘の命を守りたい一心で学校に安全な道で登下校させてくれ、と連 絡をした。学校に何かを言う・・・・・そのことがいつしか、地域中に広まって母は、何様のつもりだ、学校に口出しするな、出て行けといわれるようになった。母の周りにいた友達でさえ、地域の中で、一番偉そうにしている人や、PTAの人達の影響で、離れていき、そのうち母は、一人になった。皆と違うことをすると、冷たい目で見られる。それが正しいことであっても。皆が違うといえば違うとなってしまう現実、正しいことは何か、という前に多い方はとちらか、で、決められてゆく。母はだれに何を言われようが、自分の意思を曲げずどんどん前へ、立ち向かっていった。結局、この件に関しては、母の力で、横断歩道を付ける事になったし、路上駐車禁止の看板も置かれるようにな った。また、私も住宅のグループの子達と一緒に安全な住宅内を通って登校できるようになった。