手帳なわたし

手帳オタクな私。若い時からその時々の生活のスタイルに合わせて手帳を選び、使い方を工夫してきました。私の今の究極をご紹介。

辛く重苦しい日々の中で〜「2021・主婦日記」の第4週目〜

2021-01-24 | 2021年の主婦日記
(↑冷食の「エビチリ」を入れてみました。普通に食べると味が濃すぎと思いましたが、お弁当に2つくらい入れると、アクセントになって美味しい。ちょっと贅沢したが。)




        




12月の冬至を越して、

少しずつ少しずつ日が長くなり、

明るい日差しの暖かい日もありますが、

太陽が雲に隠れると、

グッと底冷えがして、

あたりも暗い雰囲気になる独特の時期ですね。


世の中はコロナ一色。

わたしも、

仕事と食材の買い物だけの外出で日々を送っている今日この頃。


もともとそんなに外に出る時期ではないけれど、

春先の自粛の時よりも、

気持ちは滅入るかな。


今は我が県でも病床が逼迫していて、

もし自分がコロナ以外で体調を崩しても、

入院させてもらえるんだろうかと心配になる。


徹底して自分の身体は自分で守り、

病院に厄介にならないようにしないといけないですよね。

これ自体は当然のことですけど、

いざという時に入院できないのではないかと思うと、

誰しもちょっとした緊張感はあるかな。


マスコミはワクチン接種の話題を日夜取り上げ、

少しでも人の気持ちを盛り上げよう、

前向きにさせようとしている感じだけれど、

果たしてそんなに上手くいくのか、疑問も湧きます。

疑心暗鬼になってる自分がいるのも事実。

とうの昔に、

国や県、住んでいる街のコロナ対策には

期待感もなくなってしまってるし・・・。


個人的に言えば、

わたし自身は、昨年秋の段階でこの春からの仕事が決まったことが、

唯一明るい話題。


でも、

ほぼ仕事の内容も変わらず、

仕事の形態も変わらないようだけれど、

このコロナ禍の元、

夫や息子が、来年度はどこまで家にいるのかもはっきりしないので、

まーさんのヘルプの度合いがどんどん増えていく中、

逆に自分に仕事があることが不安要素にもなってくる。


これまでのように、まーさんをヘルプしながら、

上手く仕事をしていけるのか、

自分の体調とどう付き合いながらいくのか、不透明なまんまです。


毎年綱渡りなのに、

来年度は輪をかけて綱渡りになりかねない。


さらに、先週は親友に辛く悲しい出来事がありました。

わたしはただただ神様に祈る日々でした。

全ては神様の御手の中。

それを知っていても彼女のことを思うと辛かった。

「神様どうして」と叫びたくなった。



わたしたちの年齢になると、

若い時にはなかった様々な弱さを自分のうちに見ます。


精神的にも弱くなってるし、

身体も弱くなってるし。


しかし、

ただこれまで長く生きてきて、

自分が経験してきたことだけが、

その弱さに負けない知恵と理性的に物事を判断する力を

与えてくれるのではないかと思っています。



立ち往生するような出来事に出会っても、

感情的に浮き沈みがあったとしても、

へこたれそうになったとしても、

これまでの人生で得た知恵を用いながら、

それこそ頭を使いながら、

何とか今という重苦しい時期を乗り切っていきたいと思います。



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2 コメント

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Unknown (ちかこーん)
2021-01-24 23:37:56
「生きているだけで丸儲け」
そんな言葉も聞くけれど,
本当に毎日なんてことなく健康に平和に生きていることが
どれだけ幸せなことなのかということを身にしみて感じる一年です。
人生の経験値が少しずつ色んなことに動じなくなっていく一方で,
こんなに儚いのかと思うことも増えた気がします。
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Unknown (まんじゅう顔)
2021-01-25 09:27:04
ちかこーんさん、本当にそうですね。「生きているだけで丸儲け」、いい言葉です。
生きたくても生き続けられない人をそばに見ると、「今なんとかでも生きられている」ということの重さを実感します。与えられた命を生き抜くこと、これは私たちに与えられた使命くらいに思います。
確かに「人生の儚さ」を強烈に感じますけど、不思議にわたしくらいの年になると、その儚さの中で生きているということが腑に落ちるようになるのだなと思います。これも経験なのかと。よく高齢者が「いつお迎えがあっても」という言葉を言われますね。当然、生への執着がなくなったわけではないと思うけれど、一種達観した言葉だと思うんですね。その気持ちが徐々にわかって来たように思うこの頃です。
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