マリリンの映画日記

エッセイスト瀧澤陽子の映画ブログです!新作映画からオールドムービーまで幅広く綴っております。

ワルキューレ

2009年02月26日 | 映画
 

 「ワルキューレの騎行」はワーグナーのクラシックの名曲だ。

 フランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』の戦闘シーンに力強く流れていたのが印象的である。ベトナム戦争へ無駄な介入をしたアメリカ国家を、アメリカという国が、真っ向から批判し反省した作品だった。

 そして、今回のトム・クルーズ主演の『ワルキューレ』も、ワーグナーの名曲「ワルキューレの騎行」が機密作戦のキーワードになっている。

 つまりヒトラー暗殺のキーワードである。ドイツ軍人の中にもヒトラーの独裁を糾弾し、自らの命を投げ打ってまで、ドイツ国家の平和を守ろうとしたドイツ軍大佐の功績を讃えたストーリーである。

 ユダヤ人を救ったドイツ人の物語『シンドラーのリスト』(スティーヴン・スピルバーグ 監督)とかなり近い内容だ。



 暗殺計画実行までの展開はシャープでハラハラドキドキ感はあるのだが、私はなぜか映像の中にすんなりと溶け込めなかった。それは、ナチの大佐であるべきトム・クルーズや他の参謀たちが英語を喋っていたせいかもしれない。

 映画はどの国を舞台にして創っても自由で然るべきである。その国の言語を使わなくても傑作はできる。そのいい例がベルナルド・ベルトルッチ監督の傑作『ラストエンペラー』だった。中国の清朝最後の皇帝溥儀(ジョン・ロー)を主人公にしたこの壮大なスペクタクル映画は、中国が舞台にも関わらず、極力英語で通し続けた。それなのに、全く違和感がなく、紫禁城の歴史に没頭し、陶酔していた。

 『ワルキューレ』になぜそれがなかったのか?世界の歴史から永久に消すことのできないドイツのヒトラー政権をテーマにしているからであろう。

 「ドイツ人の中にヒトラーに反駁した勇敢なドイツ人がいた」という事実は、ドイツという国の内側から誕生して欲しかった。

 アメリカ映画は大国のグローバリズムと正義感で、時として、他国への余計なおせっかいをする代弁者になることもある。

 それは決して悪いことではなく、埋もれていた世界の素晴らしい人材を発掘することに繋がる。斬新なことでもあり、アメリカだからこそ出来る仕業である。しかし、今回の『ワルキューレ』には、強い説得力が感じられなかった。残念だ。

 アカデミー賞主演女優賞を取ったケイト・ウィンスレット主演の『愛を読む人』の試写を見たばかりであるが、これもドイツのホロコーストがテーマの根底になっている。ケイト・ウィンスレットの年下の男の子と恋に落ちるドイツ人女性役の演技は凄まじかったが、作品そのものには『ワルキューレ』と同じものが流れているのを感じていた。



2009年3月20日公開。

監督:ブライアン・シンガー
出演:トム・クルーズ、ケネス・ブラナー、ビル・ナイ、パトリック・ウィルソン