マリリンの映画日記

エッセイスト瀧澤陽子の映画ブログです!新作映画からオールドムービーまで幅広く綴っております。

明日、君がいない

2007年04月12日 | 映画
 高校生の頃、私は不良娘だった。

 イキがってモク(煙草)も吸っていた。私の通った高校は理系大学の付属の進学校だった。規律が厳しく勉強に熱心な高校だったので、それに逆らって不良していたのかもしれない。

 悪友の百合子とはモク友達だった。駅前から続く商店街が通学路だったが、私と百合子はわざと裏道を通り、登校下校と隠れて煙草を吸っていた。ある日、それを通りすがりのオバサンに見つかった。

 「あんたたち、高校生でしょ?T高校の生徒でしょ?煙草なんか吸っちゃダメでしょ!学校に連絡するから名前を言いなさい!」と呼び止められた。

 百合子と私は血相変えて一目散に逃げ、学校に通報されるのだけは免れた。しかし、私はその日以来、裏道で煙草を吸うのが恐くなった。元来軟弱で気の弱い私は、今思えば形だけの不良だった。でも、百合子は真剣な不良だった。彼女は小さい頃に両親が離婚して、祖母に育てられた。いつか母親が迎えにきてくれると待ちわびていたが、高校生になった時、母親は別の男と再婚した。母親は百合子を捨てたのだ。

 心に傷を持つ百合子とのん気な不良の私とは年季が違う。翌日の朝も堂々と百合子はセブンスターに火をつけ、おいしそうに吸っていた。

 「百合子、また見つかるとやばいよ。今日はやめなよ」と私が言うと、百合子は「ふん、弱虫なヨーちゃん」と私を蔑んだ。学校に続く裏道を私たちは一言もしゃべらず歩いていた。その長い沈黙の痛さは今でも忘れない。

 翌日の朝。いつも待ち合わせするを駅のホームに百合子はいなかった。しかたなく一人で登校すると、もうとっくに百合子は教室にいた。「百合子、どうして待っててくれないのよ?」と文句を言うと、百合子はツンと無視した。それ以来、百合子は、私を避け、一言も口をきこうとしなかった。

 しばし、私は寂しくて微熱にうかされたような孤独な学園生活をおくっていた。

 700人もいる同級生の誰もがそんな私の寂しい気持ちなどを知るよしもなかった。いや、私はその辛い悲しい気持ちを人に知られるのが恐かったのかも知れない。知られることが恥ずかしい。寂しさよりもむしろ虚勢心の方が強かったのだろうか。

 オーストラリアの19歳の青年(ムラーリ・K・タルリ)が初メガホンを撮った「明日、君がいない」を見た時、私は咄嗟に高校生の時のこんな自分を思い出した。

 友人を自殺で失った実体験を元に作ったこの映画の原題が「2:37」。ハイスクールの午後2時37分に起こった衝撃的な事件について、軸となる生徒6人がそれぞれの視点で事件を語っていく。

 若葉が生い茂り、きらめくような陽光が木の葉を射し、音楽室からはピアノの音が流れてくる。グランドではアメリカンフットボールに興じる男子生徒たちがエネルギーに満ち溢れた豊な肉体を持て余すように、体をぶつけ合っている。

 どこにでもあるような平和な学園の風景だ。しかし、そこに生きるティーンエイジャーの裏側の顔は、日本であろうとオーストラリアであろうとも同じだったのだ…。

 この映画の重要なシーンの全ては、学校のトイレの中で交わされる会話の中にあることにも興味深い。そういえば、私もよく高校のトイレの中で泣いたり、笑ったり、友達と悪さを企んだりしていた。

 排泄する場所こそ、思春期の青年たちが一番素になれる場所。この現実もまた、日本だけではなく、オーストラリアもそうだったのだ。その生々しいリアリティは、やはり、19歳のつい最近まで、現役の高校生であった監督だからこそ、描ける世界なのである。


【監督・脚本】ムラーリ K. タルリ
【出演】テレサ・パルマー、ジョエル・マッケンジー、クレメンティーヌ・メラー、チャールズ・ベアード、サム・ハリス、フランク・スウィート、マルニ・スパイレイン
【配給】シネカノン
【公開】4月21日から渋谷アミューズCQNにて