マリリンの映画日記

エッセイスト瀧澤陽子の映画ブログです!新作映画からオールドムービーまで幅広く綴っております。

『ボーダレス ぼくの船の国境線』

2015年09月04日 | 映画

 

 

 

久しぶりのイラン映画である。

従来の子供が主演となるイラン映画と比較すると、今回の『ボーダレス ぼくの船の国境線』はどこか異臭を放っていた。

一つには、舞台がイランとイラクの国境線の立ち入り禁止区域に放置されて廃船にあることだ。

ここでイランの少年が一人で魚や貝を捕って密かにたくましく生活している。多分、彼は戦争孤児なのであろう。そこに、空爆から逃げてきたイラクの少年がこのイラン少年のアジトに侵入してくる。

イランとイラク。激しく警戒するイラン少年。すると、これは1980年のフセイン政権がイランを攻撃したイライラ戦争の話なのだろうか?

わからない…。

二人の少年はこの廃船の真ん中に大きなロープを張り、互いの陣地を守り合う。

私はいつの間にか、この二人の少年のやり取りに、目が釘付けになっていた。

イランの少年はペルシャ語、イラクの少年はアラビア語。二人の会話は成り立たない。

しかし、中盤でイラクの少年に思いもかけない秘密が露呈される。

その秘密は、まさに南アフリカのヨハネスブルグを舞台にした名作「ツォツィ」を彷彿させる驚くべきからくりなのである。

その「秘密」に、見る側は翻弄されるうちに、またもそこに第3の侵入者が現れる。イラク攻撃に従軍し、戦争に嫌気がさしたアメリカ人脱走兵なのである。

アラビア語、ペルシャ語、そして、英語がまた一つ加わる。三つ巴の言語の壁で、3人の意志疎通は全く取れない。

しかしである。

戦争に巻き込まれた人々は言語を超え、人種を超え、共に悲惨な運命を辿るのだと、この作品は強く訴えている。

「ロープ」という「ボーダー」があるにも関わらず、いつしかそれが取り壊され「ボーダレス」という本来のタイトルに変化するあたりが見事だった。

ラストシーンをどう理解するか?それは見た人の心の強さに関わってくるだろう。

【公開】2015年10月17日から

【監督】アミルホセイン・アスガリ

【出演】アリレザ・バレディ,ゼイナブ・ナセルポァ,アラシュ・メフラバン,アルサラーン・アリプォリアン