おはようございます。
「大関陣総崩れ」(`´)
昨日もTV桟敷で観戦です。(^_^.) 情けないですね、目も当てられない、開いた口がふさがらな
い、・・その他形容の言葉があるのでしょうが、とにかく歯がゆいです。大関陣の不甲斐なさが!
大関を破った力士がインタヴュー室に呼ばれてコメントしていますが、それらの力士の態度や
言葉から「勝って当たり前」の雰囲気が漂っているようにみえます。そう感じるのは私だけでしょう
か? 安美錦なんかは2日続けてですし、「今日も(5日目:琴奨菊戦)(インタヴュー室に)来ます」
と言わんばかりの貫録でした。(*^。^*) 期待しても無理かと思いますが(^.^)大関よ、
もう少し大関らしくしてくれ!!(`´)
「あれから18年」
今朝のニュースで「阪神・淡路大震災」から18年が経ったことを報じていました。もうそんなになる
のかと・・月日の流れの速さを改めて認識しました。当時は私もまだ会社勤めでしたので
いつものように起床してTVのスイッチを入れますと画面は関西地区の地図の上に震度を表す
数字がぎっしりと羅列されていました。その時、記憶にあるのが神戸の震度が示されてなかったこ
とです。しばらくして(それも相当経過してから)確か震度7が報告されました。
画面に表示された数字だけでは被害状況は想像できなかったのですが、次々に映し出される
映像を目にして「血がひく」ような戦慄を覚えたことを今でも思い出します。世の中にはこんな恐ろし
いことがあるんだろうか?信じられないことでした。
その日からしばらくは会社でも、営業先でもこの地震の話でもちきりでした。私が勤める会社は
本社が大阪でした(今もそうです)。会社はすぐに被災地へ金銭や薬品の支援を行い、私たち組合
員も見舞い金を出し合いました。会社はさらに組合の見舞い金と同額を提供してくれました。
もうこんな大きな地震は無いだろうと思っておったのですが・・、2011年の地震と津波です。
災害は忘れたころにやってくる。と言うのは真実を衝いているような気がします。
数年前、神戸を訪れましたがその時は震災の跡が見えないほど立派に再建されておりました。
被災者や行政の力に感心したことを覚えております。
日本はどこにいても「地震」から逃れられないようです。日々の減災意識が重要ですね。
私の記憶はなんとなく辛い出来事とあるようです。(^_^.)
これからは楽しい思い出で記憶のアルバムが出来ますように!(*^。^*) (^.^)/~~~