こんばんは。
昨日は所属する「読書会」の例会でした。今月の課題の本は「三たびの海峡」
(帚木蓬生著:新潮文庫)でした。あらすじは、主人公の韓国人が日本人によって
強制連行され(一度目の海峡)福岡県にあった炭鉱で強制労働させられる。
その強制労働から「脱走」し日本女性と結婚し韓国に戻ります。(二度目の海峡)
そしてそれから約50年後に、現在の満足する韓国での生活を捨て、再度日本へ
渡ります(三たびの海峡)。何故今の何不自由ない生活を捨ててまでして、苦しい
辛い、悲しい思い出しかない日本へ来るのか?また、何故「三たび」で韓国へ帰る
「四たびの海峡」が無いのか? そんな疑問を抱かせながら、主人公の日本へ来て
からの現在と、過去の回想録で展開されて行きます。
舞台は福岡県の或る炭鉱です。私も高校時代まで炭鉱の、いわゆる「炭住長屋」で
暮らしましたので、情景が鮮やかに(^_^;)イメージでき、感情移住がスムーズでした。
この著書の文章に韓国人が日本を評して「他人の土地に無断で入り込み、いいよ
うに荒らし回り、あげくの果てには人間狩りをして自国に連れ去り、奴隷同様に
こき使う。それがこの国のやり口だ」と発言する場面があります。私はこの部分
を読んでかなりショックでした。「嘘だ!日本人はそんなあくどいことをする人間
じゃない!」
嘘であって欲しい、と叫びたい気持ちでした。
もう一か所、今までの私の感情と異なる部分がありました。それは「ボタ山は資本
家どもの排泄物だよ」の台詞です。私は毎日「ボタ山」を目にして育ちました。
ですから現在故郷に足を踏み入れ「ボタ山」を見ると、「選炭場」で働いていた「おふく
ろ」を連想しますし、当時(小学時代)の活気にあふれた「炭鉱」を思い浮かべます。
私にとっては華やかな「復興」のイメージでした。それがこの小説に出てくる、強制労
働者には上記のように「ボタ山は資本家どもの排泄物だよ」と唾棄されるべきものと
して映っていたのですね。これも少なからぬショックでした。同じものでも環境によっ
て違ったものに見えるのですね。考えさせられました。
この小説は今までの私を「変えた」と言うことで、私にとっては面白い作品でした。
長編ですが私の好きな「サスペンス」風に展開され、(^_^;)一気に読みました。(^u^)
お勧めです。(*^^)v (^.^)/~~~