[特選一席]
○ 「ウミ」という言葉が「海」とつながった五歳の夏が私の始まり (福島市) 澤 正宏
「『ウミ』という言葉が『海』とつながった五歳の夏」とは、福島県の内陸部育ちの作者が初めて「海」を見たのが「五歳の夏」であったことを意味するのでありましょうか?
だとすれば、その強烈な印象がいつまでも記憶に残っているので「五歳の夏が私の始まり」という表現となったのでありましょう。
〔返〕 冷たくて少し温くて塩辛くどぶんどぶんと「ナミ」が打ち寄せ 鳥羽省三
この段階では、未だ「ナミ」は「波」と結び付かないままなのである。
[同二席]
○ 桟橋に降りればすぐに走り出す祖母の前掛け祖母の手のひら (神戸市) 吉本邦子
何方が「桟橋に降りれば」「祖母の前掛け祖母の手のひら」が、何処に「すぐに走り出す」のでありましょうか?
作者の「祖母」に当たる方がなかなかの物好きかつ元気な女性であり、ご自身の乗った瀬戸内海巡りなどの船から島の「桟橋に降りればすぐに」、独特の「前掛け」姿と「手のひら」の印象も鮮やかに「走り出す」のか、とも思われますが、夏休みなどで帰省した作者が「桟橋に降りれば」、お出迎えに出られた「祖母」殿が「すぐに走り出す」ようにも思われ、意味不明の作品かと思われます。
短歌上で意味不明な箇所が在るのは、必ずしもその作品の欠点とはならず、逆に魅力になる場合もありますが、本作の場合の“意味不明”はただ単なる意味不明でありましょう。
〔返〕 桟橋を降りる前からひらひらと我を迎える祖母の前掛け 鳥羽省三
[同三席]
○ 思い出になるまでの時が辛いのを知ったあなたと別れた後に (杉並区) 平岡淳子
ごく平凡な題材であり、ごく平凡な発想であり、ごく平凡な表現である、と評者には思われるのであるが、作者にとっては、それなりの思い入れのある作品でありましょうか?
〔返〕 思い出となった今でも折節に辛いと思う彼との別離 鳥羽省三
[入選]
○ 今は亡き母のベッドでトントンと自分の胸を叩いて眠る (長崎市) ノーマン・カン
「ベッドでトントンと自分の胸を叩いて眠る」ということは、ごく当たり前のようにして在り得ることでありましょうが、本作の場合は、「トントンと自分の胸を叩いて眠る」「ベッド」が「今は亡き母のベッドで」であるから、「あの優しい母が愛用していたこのベッドで今夜も私も眠るのである。あの優しい母の記憶を胸に、私はいつまでも元気で生きて行こう。お母さん、お休みなさい」といった思いを込めて、「トントンと自分の胸を叩いて眠る」のでありましょうか?
〔返〕 我が胸をトントン叩き眠るとき夢に出て来る優しい母さん 鳥羽省三
○ 思ひ出に色と香りがついてくる父が鉋で削りしヒノキの (堺市) 石井宏子
選者は「色と香りがついてくる」という叙述を高く評価したのでありましょうか?
〔返〕 思い出は色と香りを伴って父が削りし桧の長押 鳥羽省三
○ ぱたぱたとランドセルのふたあけしまま走る子追ひき桜の下に (高島市) 藤田桂子
一首全体、印象鮮明な佳作である。
入学後間も無い我が子が、「ぱたぱたとランドセルのふた」を開けたまま、満開の「桜の下」を逃げまわるのを、素顔でサンダルを履いただけのお母さんが、追っかけまわした記憶は、いつまでも忘れられない親子の思い出となっているのでありましょう。
〔返〕 ばたばたとするのはママの足取りでランドセルのふたパタパタと鳴る 鳥羽省三
○ 回る回る目当ての娘まであと五人フォークダンスの曲よ止まるな (春日井市) 松下三千男
あと一人のところで「フォークダンスの曲」がピタリと止まったりして、「目当ての娘」の手に触れることが出来なかったりすることは、よく有り勝ちなことでありましょう。
〔返〕 二回目のフォークダンスは逆廻り目当ての娘からますます離れ 鳥羽省三
○ 過去の人どんどん波にさらわれて見えなくなったシャンパングラス (茅ヶ崎市) 木下 奏
題材を“若大将”や“サザン”の湘南にしたのが、“オジン・加藤治郎氏”にアピールしたのでありましょうか?
〔返〕 砂混じり若大将の思い出も波に攫われモテル湘南 鳥羽省三
○ わたくしの知らないわたしを知っているあなたが語るわたしの思い出 (東村山市) 岡本和子
バーバが話してくれたのは、「わたくし」が生まれた頃の「わたしの思い出」でありました。
〔返〕 「バーバはね、あなたのお手手が可愛くて一本一本なめなめしたの!」 鳥羽省三
○ ぎしぎしとわたしの髪を洗うのはリウマチを病む前の母の手 (我孫子市) 梅田啓子
「ぎしぎしと」という副詞は、擬声語であると同時に擬態語でもありましょう。
〔返〕 ぎしぎしはカミキリムシの羽の音その音立てて髪を洗ひき 鳥羽省三
○ 思い出を持たないひとのやわらかき頬、髪、指におやすみを言う (さいたま市) 中込有美
本作の作者・中込有美さんのかつての恋人は、自分の過去に何一つ「思い出を持たないひと」であったのであり、そんな淋しい彼と別れて、家庭生活に入られた今になっても、彼女は、「思い出」の中に棲む彼の「やわらかき頬、髪、指」に就寝前に必ず密かに「おやすみを言う」のでありましょうか?
だとすれば、これも一種の“一首の不倫短歌”と申せましょうか?
〔返〕 あまりにも淋しき過去を持つからと捨てにし彼を今も忘れず 鳥羽省三
○ 思い出を未来の僕が気にせずに小さなことで笑いますよう (潟上市) 渡辺崇晴
日本一の過疎県の住民に相応しく、あまりにも暗い内容の歌である。
でも、忌まわしい「思い出」は「気にせず」にいると言うよりも、一日も早くさっさと忘れてしまった方が宜しいのである。
そうすれば、過疎の町・潟上市ご在住の渡辺崇晴さんの「未来」は輝かしくもなり、「小さなこと」では無く“大きなこと”で笑えるようにもなりましょう。
〔返〕 埋めてから失敗したと泣いている八郎潟よ今は虚しく 鳥羽省三
○ 「ウミ」という言葉が「海」とつながった五歳の夏が私の始まり (福島市) 澤 正宏
「『ウミ』という言葉が『海』とつながった五歳の夏」とは、福島県の内陸部育ちの作者が初めて「海」を見たのが「五歳の夏」であったことを意味するのでありましょうか?
だとすれば、その強烈な印象がいつまでも記憶に残っているので「五歳の夏が私の始まり」という表現となったのでありましょう。
〔返〕 冷たくて少し温くて塩辛くどぶんどぶんと「ナミ」が打ち寄せ 鳥羽省三
この段階では、未だ「ナミ」は「波」と結び付かないままなのである。
[同二席]
○ 桟橋に降りればすぐに走り出す祖母の前掛け祖母の手のひら (神戸市) 吉本邦子
何方が「桟橋に降りれば」「祖母の前掛け祖母の手のひら」が、何処に「すぐに走り出す」のでありましょうか?
作者の「祖母」に当たる方がなかなかの物好きかつ元気な女性であり、ご自身の乗った瀬戸内海巡りなどの船から島の「桟橋に降りればすぐに」、独特の「前掛け」姿と「手のひら」の印象も鮮やかに「走り出す」のか、とも思われますが、夏休みなどで帰省した作者が「桟橋に降りれば」、お出迎えに出られた「祖母」殿が「すぐに走り出す」ようにも思われ、意味不明の作品かと思われます。
短歌上で意味不明な箇所が在るのは、必ずしもその作品の欠点とはならず、逆に魅力になる場合もありますが、本作の場合の“意味不明”はただ単なる意味不明でありましょう。
〔返〕 桟橋を降りる前からひらひらと我を迎える祖母の前掛け 鳥羽省三
[同三席]
○ 思い出になるまでの時が辛いのを知ったあなたと別れた後に (杉並区) 平岡淳子
ごく平凡な題材であり、ごく平凡な発想であり、ごく平凡な表現である、と評者には思われるのであるが、作者にとっては、それなりの思い入れのある作品でありましょうか?
〔返〕 思い出となった今でも折節に辛いと思う彼との別離 鳥羽省三
[入選]
○ 今は亡き母のベッドでトントンと自分の胸を叩いて眠る (長崎市) ノーマン・カン
「ベッドでトントンと自分の胸を叩いて眠る」ということは、ごく当たり前のようにして在り得ることでありましょうが、本作の場合は、「トントンと自分の胸を叩いて眠る」「ベッド」が「今は亡き母のベッドで」であるから、「あの優しい母が愛用していたこのベッドで今夜も私も眠るのである。あの優しい母の記憶を胸に、私はいつまでも元気で生きて行こう。お母さん、お休みなさい」といった思いを込めて、「トントンと自分の胸を叩いて眠る」のでありましょうか?
〔返〕 我が胸をトントン叩き眠るとき夢に出て来る優しい母さん 鳥羽省三
○ 思ひ出に色と香りがついてくる父が鉋で削りしヒノキの (堺市) 石井宏子
選者は「色と香りがついてくる」という叙述を高く評価したのでありましょうか?
〔返〕 思い出は色と香りを伴って父が削りし桧の長押 鳥羽省三
○ ぱたぱたとランドセルのふたあけしまま走る子追ひき桜の下に (高島市) 藤田桂子
一首全体、印象鮮明な佳作である。
入学後間も無い我が子が、「ぱたぱたとランドセルのふた」を開けたまま、満開の「桜の下」を逃げまわるのを、素顔でサンダルを履いただけのお母さんが、追っかけまわした記憶は、いつまでも忘れられない親子の思い出となっているのでありましょう。
〔返〕 ばたばたとするのはママの足取りでランドセルのふたパタパタと鳴る 鳥羽省三
○ 回る回る目当ての娘まであと五人フォークダンスの曲よ止まるな (春日井市) 松下三千男
あと一人のところで「フォークダンスの曲」がピタリと止まったりして、「目当ての娘」の手に触れることが出来なかったりすることは、よく有り勝ちなことでありましょう。
〔返〕 二回目のフォークダンスは逆廻り目当ての娘からますます離れ 鳥羽省三
○ 過去の人どんどん波にさらわれて見えなくなったシャンパングラス (茅ヶ崎市) 木下 奏
題材を“若大将”や“サザン”の湘南にしたのが、“オジン・加藤治郎氏”にアピールしたのでありましょうか?
〔返〕 砂混じり若大将の思い出も波に攫われモテル湘南 鳥羽省三
○ わたくしの知らないわたしを知っているあなたが語るわたしの思い出 (東村山市) 岡本和子
バーバが話してくれたのは、「わたくし」が生まれた頃の「わたしの思い出」でありました。
〔返〕 「バーバはね、あなたのお手手が可愛くて一本一本なめなめしたの!」 鳥羽省三
○ ぎしぎしとわたしの髪を洗うのはリウマチを病む前の母の手 (我孫子市) 梅田啓子
「ぎしぎしと」という副詞は、擬声語であると同時に擬態語でもありましょう。
〔返〕 ぎしぎしはカミキリムシの羽の音その音立てて髪を洗ひき 鳥羽省三
○ 思い出を持たないひとのやわらかき頬、髪、指におやすみを言う (さいたま市) 中込有美
本作の作者・中込有美さんのかつての恋人は、自分の過去に何一つ「思い出を持たないひと」であったのであり、そんな淋しい彼と別れて、家庭生活に入られた今になっても、彼女は、「思い出」の中に棲む彼の「やわらかき頬、髪、指」に就寝前に必ず密かに「おやすみを言う」のでありましょうか?
だとすれば、これも一種の“一首の不倫短歌”と申せましょうか?
〔返〕 あまりにも淋しき過去を持つからと捨てにし彼を今も忘れず 鳥羽省三
○ 思い出を未来の僕が気にせずに小さなことで笑いますよう (潟上市) 渡辺崇晴
日本一の過疎県の住民に相応しく、あまりにも暗い内容の歌である。
でも、忌まわしい「思い出」は「気にせず」にいると言うよりも、一日も早くさっさと忘れてしまった方が宜しいのである。
そうすれば、過疎の町・潟上市ご在住の渡辺崇晴さんの「未来」は輝かしくもなり、「小さなこと」では無く“大きなこと”で笑えるようにもなりましょう。
〔返〕 埋めてから失敗したと泣いている八郎潟よ今は虚しく 鳥羽省三