臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

『かりん』(3月号)掲載の愛川弘文さんの短歌六首鑑賞(再訂版)

2014年06月14日 | 結社誌から
 福島県喜多方市の熱塩温泉山形屋で行われた第七十二期将棋名人戦の第二局は、羽生三冠の第一局に続いての二連勝で終わった、とのこと。
 これまで、森内名人との名人戦での対局は、その実力にそぐわず、羽生三冠に分が無かったのであるが、本七十二局に関して言えば、このまま羽生三冠の一方的な勝利に終わってしまうように予測されるのである。
 私はと言えば、久しぶりに向かった歌評へのパソコン打ちなので、昨日は自分の思いの丈を充分に述べ尽くすことが出来ずに、今朝も裏山から聞こえて来る鶯の渓渡りの声に耳を傾けながら、起き抜けにパジャマ姿のままで机に向っているのである。


(千葉・愛川弘文)
〇  霜月は人を恋う月公園の桜紅葉が入り日に映える

 ひと口に「紅葉」と言っても「伊呂波紅葉・蔦紅葉・楓紅葉・漆紅葉・ぬるで紅葉・空木紅葉・満天星紅葉・草紅葉・公孫樹紅葉・渓紅葉・イタヤ紅葉・柿の葉紅葉」などと、七十路半ばになって、今や地獄の閻魔大王の前に引き出されようとして悪あがきをしている私の朦朧とした記憶の中に在るそれでさえも、十指を以ってしても数えきれない程である。
 本作の作者・愛川弘文さんは、数多い「〇〇紅葉」中から、虫食いだらけで格別に色彩鮮明とも思われない「桜紅葉」を選び出して、この一首の歌を成したのであるが、よくよく熟慮してみると、本作を佳作たらしめた要因の一つは、そうした数多い「〇〇紅葉」の中から作者が選んだ(と言うか、作者の目に入った、と言うか)のが、私たちの身辺に有り触れた「桜紅葉」であった点である、と思われるのである。
 歌材として「桜」を採り上げながら、今を盛りの満開の桜花を選ばずに、殊更に「桜紅葉」を選ぶ歌人はそんなに多いとは思われません。
 しかしながら、あれはあれでなかなか風情の感じられるものであり、近藤芳美の名著『新しき短歌の規定』の中に、「秋雨のしとしとと降る療庭の桜紅葉の音なく散りぬ」という、病気療養中の無名の一青年の作品、病める者の情念が込められた佳作が引用されている。
 ところで、「霜月」とは旧暦十一月の異名であり、私の季節感覚からすれば初冬半ばといったところである。
 然るに、本作の作者の居住地が千葉市内であることや本作から享けるイメージから推すと、作中の「霜月」は、初冬というよりも晩秋といった感じであり、「作中の霜月」=「新暦の十一月」と受け取っておいた方が適切かも知れない。
 とすると、その十一月の半ば過ぎの、とある小春日和の夕刻(その日は日曜日ででもあったのでしょうか?)、本作の作者の愛川弘文さん、即ち、五十路半ばの千葉市ご在住の高校国語教師は、ご自宅の近所の公園のベンチにでも腰掛けながら、「入り日」に照り映えている「桜紅葉」に見惚れているのである。
 と、その時、彼の脳裏に浮んだのは、目前にしている「桜紅葉」の輝きが今年最後の輝き、即ち、この年の命の最後の輝きであり、その輝ける命の在り様は、教師生活三十数年を閲して、生涯平教師のままで終わろうとしている、ご自身のそれと何ら変わりがないという、切ない思いであった。
 それと同時に、彼の脳裏には、彼ご自身の半生の中で出逢った、数々の人との思い出が去来するのであり、その多くは、恋多き彼の青年時代に袖擦り合った女性であったのでありましょうか?
 本作は、私が尊敬して止まない馬場あき子氏主宰の結社誌『かりん』(三月号)の「作品Ⅰ・A」欄の二席、しかも、その冒頭を飾った佳作ではあるが、何事につけても一言申し添えずに居られない評者の駄弁を以ってすれば、「霜月は人を恋う月」という詠い出しの二句は、何時か何処かで目にしたような感じの月並みな十二音であり、「如月は人を恋う月」「水無月は事多き月」「長月は人呪う月」「極月は金恨む月」などと、幾らでも言い替えが可能なような気がする、とも申せましょう。
 しかしながら、そうした思いは、結局のところ、この佳作を前にしての、評者の嫉妬心が起因する言い掛かりであり、「公園の桜紅葉が入り日に映える」という下の句と「霜月は人を恋う月」という上の句との、生涯一教師の思いの丈の籠った組み合わせは、やはり、不即不離の関係を持つものと感じざるを得ず、一言居士の私・鳥羽省三と言えども、この際は潔く脱帽せざるを得ません。


〇  くしゃくしゃの白山茶花をくしゃくしゃの笑顔に眺む試歩の老夫は

 作中の「白山茶花」の花期と、前作中の「桜紅葉」の見頃とは重なり、たまに訪れた孫娘たち二人に裏山の公園の鞦韆を漕がせながら、目前の桜紅葉に見惚れながら思念に耽っている折に、ふと後方に視線を遣ると、其処の生垣には、「白山茶花」の花が清楚な顔をして微笑んでいた、といった図柄が、私の最近の体験の中の場面にも、確かに在ったような気がする。
 と、すると、本作も亦、前作同様に、とある小春日和の一日に、作者のご自宅最寄りの公園ででも、作者ご自身が実見なさった光景に違いありません。
 「くしゃくしゃの白山茶花をくしゃくしゃの笑顔に眺む」と、本作の作者は、「試歩の老夫」の姿に、ユーモラスで温かい目を向けておりますが、彼の「くしゃくしゃの白山茶花をくしゃくしゃの笑顔に眺む」る「試歩の老夫」こそは、軈て、そんなに遠くない時期に、必ずや遣って来るに違いない、作者ご自身の姿であり、今、こうしてこの作品の鑑賞文を綴るために頭を捻っている私、即ち、川崎市南生田在住の鳥羽省三の今日の午後の姿なのである。
 人間、七十路を越えてしまえば、手足の動きや耳目機能の低下など、身体の衰えは目に余るものがあります。
 残された定年までの数年間を、健康には十分にご留意なさり、奥様及び生徒諸君を大切にして、稔り多き教師生活をお過ごし下さい。


〇  石炭を知らぬ生徒に語りつつ『舞姫』という古書を繙く
〇  ディベートにならぬ『舞姫』豊太郎を弁護する者たじだじとなる
〇  豊太郎の気持ちもわかると言いしゆえに女生徒全部を敵にまわしぬ

 「石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと靜にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ來る骨牌仲間も『ホテル』に宿りて、舟に殘れるは余一人のみなれば」とは、森鷗外作の『舞姫』の書き出しである。
 神奈川県立の高校の教壇に国語教師として立ち、彼の「国定教科書向きの著名な教材」を、少なく見積もっても十回ぐらいは扱ったことがある私も、本作の作者・愛川弘文教諭と同様に、「石炭を知らぬ生徒」たちに、この作品を語ることの虚しさに四苦八苦したものでありました。
 したがって、二首目「ディベートにならぬ『舞姫』豊太郎を弁護する者たじだじとなる」とは、その時、その折の、私の実感そのものでもありましたが、私の場合は「豊太郎の気持ちもわかる」とまでは口に出しませんでしたので、「女生徒全部を敵にまわしぬ」といった段階にまでは至りませんでした。


〇  夜明けまで不思議な時間を共有す流星群を妻と眺めて

 「しし座流星群」を観測しようとして、私が、折からの寒さに震えながらも、我が家の狭庭の片隅の鋳物製の椅子に二時間以上も座っていたのは、確か、昨年の十一月十八日の深夜のことのように思われます。
 丁度、その日のその深夜に、数多ある組み合わせの中から不思議なご縁で選ばれて結ばれた、本作の作者・愛川弘文さんとその愛する奥様とは、「夜明けまで」眠らずに「流星群」を「眺めて」いたのでありましょうか。
 「夜明けまで不思議な時間を共有す」という上の句は、「しし座流星群の神秘的な輝きを目にした事もさることながら、数多い女性の中から選ばれて結ばれた奥様と共に、この夜、こうして、夜明けまでの長い時間を眠らずに共有している事の不可思議さをお思いになっての感慨を託されての十七音」でありましょう。                          


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。