臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(6月8日掲載・其のⅠ・木曜日出血サービス版)

2014年06月13日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

(ホームレス・坪内政夫)
〇  山谷までさがし歩いた亡母と聞くカーネーションよ大空に咲け

 「母の日」という極めて即物的な名称を授かっている日に、「カーネーション」を贈るという風習は、私たち日本国の同盟国・アメリカ合衆国に由来する、とか。
 それは、1907年にフィラデルフィアのアンナ・ジャーヴイスという女性の提案により翌年同市で最初の母の日が祝われた事に始まり、母親の生存の有無に拠ってカーネーションの色を赤と白とに区別する事も彼女の発案に拠る、とか。
 我が日本国の唯一無二の同盟国たるアメリカ合衆国で母の日が盛んに祝われるようになったのは1930年代のことであり、1934年5月に、アメリカ合衆国の郵政省が、母の日の記念切手を発行してこの日のPRに努めたのであるが、是もこの日が一般的に知られ、広く海外にまで普及する一因になったようである、とか。
 我が日本国に於いては、1931年(昭和6年)に大日本連合婦人会が結成されたのを機に、その当時の皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」としたのであるが、1937(昭和12)年5月8日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された後、1949(昭和24)年ごろからアメリカ合衆国の例に倣って5月の第2日曜日に行われるようになった、とか。
 私たち日本人は、何事に於いても、アメリカ合衆国の猿真似をしたがりますが、「母の日」の風習も亦、その例外ではないのである。
 それにしても、一所無住の「ホームレス」を売り物にしている坪内政夫さんが、母の日の習慣に通暁しているとは、「おどろき桃の木カーネーション」とは、この事を指して言うのでありましょうか?
 と、まあ、真に熱の入らない論評を加えて本作の鑑賞を終わらせていただきますが、評者はそもそも、一人前以上に文字も書け、一人前以上に短歌も詠めるご仁が「ホームレス」と称して、朝日歌壇に投稿して来ること自体に首を傾げざるを得ないのでありますから、こうした措置を採らせていただくのである。
 いわゆる「ホームレス」、即ち住所不定の日雇い労務者や行方不明者が寝泊まりするドヤ街と言えば、直ぐに連想するのは、東の山谷、西の釜ヶ崎である。
 とは言え、ドヤ街が在るのは、何も山谷や釜ヶ崎ばかりではなく、横浜に「寿町」在り、名古屋に「笹島」在りで、同じ東京にも「高橋」というドヤ街が在るのである。
 然るに、本作は、詠い出しの五音を「山谷まで」としている。
 つまり、本作の作者・坪内政夫さんには、「高橋までさがし歩いた亡母と聞く」とか「寿町までさがし歩いた亡母と聞く」とか「笹島をさがし回った亡母と聞く」とか言う詠い出しではネームバリューの関係で、ぱっとした短歌にはならないだろう、との強かな計算があり、「山谷までさがし歩いた亡母と聞く」という詠い出しにしたのでありましょう。
 また、「カーネーションよ大空に咲け」という下の句もあまりにも調子が良過ぎて嫌味である。
 〔返〕  笹島でセツルメントをしてた頃私の未来はバラ色だった


(福津市・堀内澄子)
〇  花束が二つ並びぬ娘より娘は子より「母の日」なれば

 文意不明瞭な一首としか言えません。
 〔返〕  吾に呉れ子より貰ったカーネーション二束捧げて娘は微笑めり


(飯塚市・甲斐みどり)
〇  どんたくに初参加して風景の一点となる大好き博多

 筑豊の飯塚からわざわざ出掛けて来て博多どんたくの踊りの輪の中に我が身を投じるような跳ねっ帰りのおなごが「風景の一点」となって、いつまでも満足して居られましょうか?
 いずれそのうちに、彼女は、ライブ喫茶「照和」の常連客の一人になって、狂態の限りを尽くした挙句に、質の良くない男性に騙されて薬塗れにされて、我が身をフーゾクに沈めるに違いありません。
 ところで、今年の「博多どんたく」即ち「第五十三回・博多どんたく港まつり」は、去る 5月3日・4日の両日、二百数十万人の見物客を集めて賑々しくも行われたのである。
 祭り闌の5月4日の午後の明治通り(呉服町~天神)の賑いは、わざわざこの祭りを見物する目的だけで博多の街を訪れた、東京からの旅行客さえも目を白黒させて驚いていたほどであった。
 〔返〕  フーゾクに淪落してから気が付いたあのどんたくの日こそ曲がり角なり


(半田市・榊原めぐみ)
〇  霧まとい迫る不気味な艦隊のごと集団的自衛権行使

 「霧まとい迫る不気味な艦隊」とは、「安倍晋三氏の無謀な策略によって、この度、急激に浮上した、現内閣の憲法解釈の変更に拠る『集団的自衛権行使』の直喩として、極めて有効かつレアリスティックな表現である。
 身に纏い来る深い「霧」の中からどっと押し寄せたる敵艦隊の如く、安倍総理の無知蒙昧な策略に拠って、どっと押し寄せたる「集団的自衛権行使」論争、といったところでありましょうか?
 「霧まとい⇒迫る不気味な⇒艦隊の⇒ごと集団的⇒自衛権行使」といった、「句割れ」「句跨り」の効果を巧みに利用したリズム感覚も目新しくて素晴らしい。
 恰も、モノクロの戦争映画を視ているような思いで鑑賞させていただきました。
 〔返〕  邪心もて平和憲法蹂躙すアベノミクスよ地獄に墜ちよ


(函館市・武田悟)
〇  津波の碑・飢饉の碑ある大八洲頭垂れずに解釈変へる

 「津波の碑」や「飢饉の碑」の前に額づいて、只々「頭」を「垂れて」、世界平和と国民生活の安全を禱って居れば宜しいのに、憲法九条の解釈を勝手に「変へる」とは何事ならむ、という訳でありましょう。
 それにしても、「大八洲」とは、大時代的なものを持ち出したものである!
 彼・安倍晋三総理は、八百万の神の怒りに遭って、いずれ雷に打たれて死んでしまうに違いありません。
 〔返〕  南無八幡安倍晴明お願いだ安倍総理を悩殺し給え


(新潟市・伊藤敏)
〇  反戦を詠む投稿歌増えにけりそれだけ危機の迫れる証しぞ

 私が尊敬して止まない朝日新聞社の良識ある記者諸氏は、集団的自衛権行使反対のキャンペンを張っているのであり、朝日歌壇の選者諸氏は選ばれてその一翼を担い、彼らの任務の一部を代行しているのである。
 〔返〕  厭戦を詠む歌確かに増えにけり日本男児の金玉失せた


(大阪市・藤田ミヤ子)
〇  昆虫の標本のごとく臥せる日々癌やっつける薬に負けて

 「やっつける」という他動詞の存在がこの一首の魅力の全てでありましょう。
 〔返〕  自転車の車輪の如く働いて尚且つ借金塗れの従弟


(いわき市・馬目弘平)
〇  見るほどに貌も仕草も明るくて老いも子どもも無邪気な泥鰌

 文意不明。
 おそらくは、「せっかく川から獲って来たのであるが、『泥鰌』という淡水魚は、その『貌も仕草』も『見るほどに』あまりにも『明るくて』『無邪気』なので、年取って大きくなったのも、小さくて『子ども』みたいなのも、とても食べる気がしない!」といった意味であろうが、文意不明な一首と言わざるを得ません。
 〔返〕  見るほどに貌も仕草も可愛くて泥鰌食べたととても思えぬ
      見るほどに貌が長くて優しくて馬目さんとはよくしたもんだ


(瑞穂市・渡部芳郎)
〇  渇水の瀞に眠れる龍神の目覚め待たるる鮎上る川

 一首の意図するところは、「鮎釣りの解禁日を待ち焦がれている釣り師の心の描写」に在るのでしょうか?
 だとしたら、あまりにも婉曲に過ぎる表現である。
 〔返〕  南無観世八大龍王阿耨多羅三藐三菩提鮎遡上
 上掲の返歌は、今年の鮎漁が無事を終了したことを、河川の守り神たる「龍王様(一説にその実態は日本獺だと言う)」に報告し、お供え物のお餅や鮎などを参加者全員で食する際に歌われる呪言歌である。
 鮎などの河川魚を捕獲する漁は、海水魚を捕獲する漁とは異なり、必ずしも大漁であることを願わないので、いわゆる「大漁祈願祭」の類の祝祭を行わずに、今年の漁が死者を出すことも無く、無事に終わった事を
龍王様に報告し感謝する「感謝祭」が行われているのである。
 これを以ってしても、河川漁師たち相互の間に、今風に言えば「エコの精神」が共有されていたことが窺われるのである。 


(広島市・大堂洋子)
〇  お隣のおばあちゃんちのおすそ分け蕨の灰汁は五月の緑

 「お隣のおばあちゃん」は、大堂洋子さんちに「五月の緑」を思わせる「灰汁(あく)」に浸したままで、裏山にえっちらおっちらして出掛けて採って来た「蕨」を「おすそ分け」したのである。
 〔返〕  お隣の大堂さんちのお返しの最中の箱に縮緬着せよう


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