12月8日(月)
5年生の総合的な学習の時間。
旧唐津銀行本店を見学しました。
この建物は、旧イギリス方式の建築物で、最も似ているのはロンドン市警だそうです。
これは、2階からの眺め。
下のフロアには、まだ佐賀銀行唐津支店として使用されていた、私が学生だった頃までは、たくさんのお客さんでごった返していたことを覚えています。
今は、唐津市の重要文化財に指定され、歴史資料館あるいはイベント会場として活用されています。
この旧唐津銀行はを設計した人は、田中実という明治時代の建築家。
そして設計を監修した人は、田中実の恩師であり、東京駅や日銀本店などを設計した辰野金吾。
唐津の生んだ偉大な建築家です。
東京駅開業からちょうど100年を迎える今年、5年生は、辰野金吾の生き方に学ぶ学習を進めることになりました。
今日は、その学習の初めとして、旧唐津銀行館長の北島さんに、この建物や辰野金吾のことについてお話を聞きました。
はじめに、辰野金吾の生涯について、紙芝居をしていただきました。
明治4(1871)年、唐津藩主小笠原長国により開校した英語学校「耐恒寮」に学んだ金吾は、そこで、のちに内閣総理大臣となった高橋是清と出会います。
「耐恒寮」は、廃藩置県によって唐津藩がなくなったため、わずか1年半で閉校となります。
そこで、金吾は、恩師高橋是清を頼って上京し、工部大学校(のちの東京大学工学部)に学びます。
この工部大学校を首席で卒業したことで国費留学生となった金吾は、イギリスに留学し、帰国後は、ジョサイア・コンドルの後任として工部大学校教授に就任、日本を代表する建築家としての道を歩み続けたのだそうです。
紙芝居のあと、館内を見て回りながら、北島館長のお話を聞きました。
辰野金吾や弟子たちの設計した建築物の特徴は、「赤レンガ」です。
東京駅もこの赤レンガづくりです。
旧唐津銀行の2階には、こうした東京駅の建築設計に関する資料も、いくつも展示してありました。
それからもう1つ。
現代の名工として指定を受けている、江川町の長野修三さん(長野鈑金加工)の手により製作された銅板飾りが、東京駅大改修工事の時に使われていることも知りました。
見学が終わり、子どもたちは、建物の周りを外から眺めました。
あらためて辰野方式のレンガ造りの建物の美しさを感じることができました。
帰る途中、大名小路の酒井医院の前で、「耐恒寮跡」の石碑を見つけました。
これから5年生の子どもたちは、総合的な学習の時間で、前半の「米ライフ」で身に付けた学び方を生かして、後半の「辰野金吾の生き方に学ぶ」学習を進めていくことになります。
子どもたちが、郷土の偉人の生き方を通してどのようなことを考え、学んでいくのか、とても楽しみな学習です。