3月9日(日)
1か月ほど前の2月初め、岐阜県にお住いの女性から、1枚のお便りが届きました。
――90歳を過ぎる曾祖母が亡くなり遺品の整理をしていると、大事にしまってあった箱の中から、卒業証書やら教科書のようなものが出てきました。最初、私たちも捨てようかとも思ったのですが、以前住んでいた唐津の小学校に所縁のある品々のようで、私自身も唐津小学校の出身でもありますので、もし学校の歴史を知る物として子どもたちの学習にでも活用されるのであればと思いお便りいたしました。――
こういった内容のお便りでした。
さっそくお電話を差し上げ、いただくことにしました。
数日後に送られてきた品々です。
上段右から、唐津小学校の前身の市開小学校の卒業証書、唐津尋常高等女子小学校の卒業証書、修身の教科書。
下段右から、手習い(習字)のお手本、通知表、授業料納帳。
唐津尋常高等女子小学校の卒業証書には、玄関前に銅像のある大川謙治校長の名前もありました。
この手習いのお手本は、文政年間(1818~1830年)のもの。
ちょうど、赤獅子(文政2年)や青獅子(文政7年)ができたころにあたります。
開いてみると、手紙の書き方を練習するようなページには、何度も筆先を整えたあとが残っていました。
特に興味深かったのが、修身の教科書です。
修身という教科は、今の道徳にあたります。
今回の学習指導要領の改訂により、道徳の時間の教科化と評価を行うことが話題となっていますが、明治の時代、すでに修身の時間は評価を行う教科の1つであり、しかも読書や作文などよりも先、一番最初に位置づけられていたことがわかります。
今の教科書が数社の中から選定されているように、当時の修身の教科書にも数社の版があったようです。
送られてきたのは、明治15年東崖堂刊行のもの。
「・・・起居眠食より進退周旋等の簡易なる日用動作礼法を示し、児童をして、その容儀を整正し軽躁浮薄の行為なおらしむること・・・」を目的として、この本が書かれていると「緒言」に記されています。
第2章から書かれていることも、興味深いものです。
「朝早く起きて顔を洗い、口を漱(すす)ぐべし」
「顔をふいて父母の前に行き、手ぬぐいをおいて挨拶をなすべし」
「食事の時は行儀よく。膳に向かい箸をとり、飯粒など散らすべからず」
「食物を口に含みては言うべからず」
「衣服の類を毀損する如きいたずらをすべからず」
「刃物はもちろん長き竿または尖ったものを玩ぶなかれ」
こうした、日常生活や礼節についての具体的な記述が、ひとつひとつ丁寧に書かれてあります。
福沢諭吉は「学問のすゝめ」で、
「・・・今かかる実なき学問は先ず次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり・・・」
と、読み・書き・計算や地理・歴史・究理・経済学など、実際の生活に必要となる学問をまず学ぶべきだとし、さらに、
「・・・修身学とは身の行いを修め人に交わりこの世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり・・・」
と説いています。
当時の文明開化を進めてきた日本が、西洋の文化的な生活になじんでいきながらも、日本の良き道徳的なこころやふるまいを大切にしていくことを、国づくりの根幹である教育の中心に据えた、それが、「修身」と言う教科のねらいだったと思います。
修身の教科書を含め、これらの品々は、時宜を見て保護者の皆さんや子どもたちにも公開したいと思っています。
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