私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『スーラ』 トニ・モリスン

2010-04-27 20:22:56 | 小説(海外作家)

ボトム(どん底)と呼ばれる丘の上で育った黒人の少女、奔放なスーラとおとなしいネル。正反対の性格をもつゆえに、少女たちは固い友情で結ばれた。二人で犯した許されざる罪でさえ、隠し続けられるほどの絆。だが時がたち、ネルの結婚式の日を迎えると、なぜかスーラは町を去ってしまう。十年後に二人は再会を果たすものの、その友情は…。
黒人社会の光と影を、女性たちの成長とともに描く、ノーベル賞作家初期の傑作。
大社淑子 訳
出版社:早川書房(ハヤカワepi文庫)



以下の文章は、すべて誤読だとわかっていて書いていることを、先に記しておく。


さて、本書は少女二人の友情を描いた作品である。
だがこの作品、少女二人の物語だけに集中せず、わき道に逸れることが多い。

大体冒頭でシャドラックという心を病んだ男の話が登場するのだが、このエピソード、メインである少女二人の物語と、そこまで深く関わりはないのだ。
もちろん、これはこれでおもしろいし、後々恐ろしい事件へと発展して読ませる力があるのだけど、全体的には蛇足なんじゃないかな、という気はしないではない。
そしてそのほかにも蛇足だな、と感じる部分はある。

だがエレーヌとネルの旅で感じた白人男性のいやらしい視線のように、作者は、黒人蔑視を含め、物語を取り巻く全体の空気を描きたかったのかもしれない。
メインの部分はこじんまりとしたモチーフだが、全体として見ると、大きな物語である。


もちろん、メインの少女の友情の話もおもしろい。
二人の関係には、いろいろな曲折があるし、感情が入り乱れている。
だが、ラストのネルの涙からして、ネル自身が思っている以上に、二人の間には強いきずながあったようだ。

だが最初にそのシーンを読んだとき、いまひとつ僕にはピンと来なかった。
ネルが、スーラのために涙を流すに至った流れは理解できるものの、あまりに抽象的に感じられて、実感に乏しかったからだ。
それは、僕の頭が悪いからなのか、それとも僕が男で、女の友情が理解しづらいからかはわからない。

もちろん二人の友情の堅さを示すエピソードは多い。
二人が白人の男にいじめられたとき、スーラは自分の指を切り落とし、相手をおどして、ネルを守っている(ただしその行為にネルはドン引きだったことが後から語られるけれど)。

だが、ネルはそのスーラに、自分の夫を寝取られることとなる。
けれどネルは夫に逃げられたとき、夫の不在ではなく、スーラの不在をさびしいと思った。
それはネルにとって、夫のこと以上に、スーラとの関係が大事であり、真に深い部分で結びついていたのは夫ではなく、スーラだったという証拠でもあるのだろう。

しかしこの関係が、どうも僕にはピンと来ないのだ。
すなおに受け止めればいいのだろうけれど、何かが、僕の心にしっくり来ない。


あるいは、二人の関係は、ラストでネルが感じた以上に、美しく、真摯なものでない。
そう、ふいと邪推したことが、ラストにしっくり来なかった原因かもしれない。

その邪推の理由は何かというと、二人の関係が、ことによると、悪徳によって結びついているかもしれない。そう見えなくもない点にある。

僕個人の見立てだが、スーラもネルも、結果的に見れば、悪徳に惹かれる部分があったように感じられる。
スーラは母親が焼死したとき、ぞくぞくした、と語っているし、ネルの方も、チキン・リトルが溺死したとき、その場面に快感を覚えたことを、エヴァに指摘されて思い出す。

それを好奇心と、解説では片付けていた。だが、それを好奇心とだけで片付けていいのだろうか。
あるいは、二人とも、悪徳に惹かれるという概念を共有しており、互いが似たような人間であることを嗅ぎ取っていたのかもしれない。そう僕は誤読してしまうのだ。

「尽くしたのは誰か」と最後にネルと会ったとき、スーラは言っていた。
ひょっとしたら、スーラとネルは、その悪徳に惹かれるという互いの感性を共有するうち、互いに尽くしあうという、相補的な関係を築いていったのかも、って気もしなくはない。


だがネルとスーラは、エレーヌに育てられたか、ハナに育てられたかのちがいもあるゆえか、悪徳に対する見方も異なっている。

スーラは結果的にネルの夫を寝取ったわけだが、それはスーラが「わたし」を生きたからにほかならない。
彼女はあくまで自分の悪徳に惹かれるという感性に正直だった。
だからネルが「ほかの人々と同じ行動」を取ったことに、スーラはショックを受けているのだ。
彼女らの悪徳は、必ずすべてが交わるものではないらしい。

だが、それでも二人が、悪徳によって結びついていたという事実は断ち切れることはないのだ。
実際、ネルは無意識のうちに、悪徳を果たすことによって、スーラのことが好きだったことを自ら証明することとなる。

ネルはスーラの葬列に、一人で参列した。
普通の人の感性だと、スーラの葬式に参列しないのが、共同体的には正しい行動だ。
だが彼女は、自分でも自覚のないまま、共同体に反する行動を取った。

それもまた一つの悪徳だ、と僕は思う。
そしてその悪徳において、彼女はスーラとの強いきずなを見出す結果となっている。
二人のきずなは確かに強い。それはまちがいないだろう、と思う。
だがそのきずなは、本当に美しいものだろうかって気もしなくはない。
それはむしろ、しがらみと言ってもいいのではないか。

ネルがラスト、スーラのために流した涙は、本当の気持ちから来たものだろう。
しかし、それはひょっとしたら、ネル自身、気付いていない領域から来た涙かもしれない。


そんな見当違いなことを、僕はうだうだと考えた次第である。

評価:★★★(満点は★★★★★)


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