幼くして両親を失い、牧師である叔父に育てられたフィリップは、不自由な足のために、常に劣等感にさいなまれて育つ。いつか信仰心も失い、聖職者への道を棄てた彼は、芸術に魅了され、絵を学びにパリに渡る。しかし、若き芸術家仲間との交流の中で、己の才能の限界を知った時、彼の自信は再び崩れ去り、やむなくイギリスに戻り、医学を志すことに。誠実な魂の遍歴を描く自伝的長編。
中野好夫 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)
『人間の絆』は、上下巻合わせて1300ページ近くという、きわめて長い小説である。
もっとも主人公フィリップ・ケアリの9歳から30歳近くまでの人生を描いた、いわゆる教養小説だから、それも当たり前だけど、それでも結構な量だ。
それだけ長い小説になると、ある程度、小説内人物に共感しないと読み進められない部分がある。
そういう意味、『人間の絆』は、そのような共感からは程遠い小説だと感じた。
というのも、この主人公のフィリップ・ケアリという男が、困ったことに読んでいて、幾度もいらっとさせられる人物だからだ。
そして、そう感じた理由は単純に、彼がアホだからという一点に尽きるのである。
とは言え、ドイツに行くくらいまでは、フィリップに悪い感情を持つことはない。
元々、フィリップは本が好きな、内気な少年である。そういう少年の姿は普通に共感もできる。
フィリップはオックスフォード進学をやめ、ドイツに行こうと決意するが、そのときの聖職につきたくない、独立したい、自由になりたい、という感情だって、僕にも理解はできるのだ。
でもそれ以降のフィリップに、僕はいらいらとさせられる。
フィリップはその後、年上の女ミス・ウィルキンソンと恋をし、一方的に捨て、特許会計士になるが長続きせず、芸術家になろうとパリに向かうが、結局は挫折し、ミルドレッドという絶対にフィリップに気がないであろう女に夢中になって自滅し、傷心の彼をなぐさめてくれたノラに甘え関係を結ぶものの、ミルドレッドが戻ってくるや、あっさりとノラを捨ててしまう。そして……、っていう感じに生きていく。
そして、そんなフィリップの姿を、僕はどうしても受け入れられないでいた。
基本的に彼は、ここではない場所に行けば、自分にとって満足のいく人生を送ることができる、と夢想しているのだろう、と思う。
それは非常に若い発想である。若い者なら、一度くらいは通りそうな道だ。
だが、そう考えるフィリップの行動は、まったくもって地に足がついていない。
それが見ていて、もどかしいし、いくつかの点で僕の感性とも合わなかった。
僕には彼がアホで、ずるくて、自意識とプライドが強くて、身勝手なやつにしか見えず、軽くむかついてならなかった。
特にミルドレッドとの恋愛の場面では、フィリップの行動にうんざりしてしまう。
もっともビルドゥングスロマンだから、主人公が最初未熟なのは、当然である。
だから本来的には、しょーもないやっちゃな、とでも思いながら、笑って読んでいればいいのだろう。
だけど僕にはそれだけの鷹揚さも持てず、読んでいる間、フィリップに心の中で反発し続けていた。
何かさっきから非難してばかりだが、本書にだってもちろんいい面はある。
たとえば、プロット。これがまた波乱万丈そのもので、キャラに目をつむりさえすれば、単純におもしろい。
おかげで最後まで、それなりに楽しく読み進めることができる。
それにところどころで、はっとさせられるシーンもあるのだ。
特にミルドレッドがらみのシーンはすばらしい。
正直フィリップの行動にはうんざりさせられるのだけど、心理描写などは精緻で、すごみさえ感じられる。ミルドレッドの行動の描き方もなかなか上手い。
圧巻だったのは、ミルドレッドが、フィリップの部屋のものを徹底的に破壊するところだ。
その破壊っぷりを見て、フィリップは呆然としているが、それも無理ないよな、と思えてくるようなすさまじいシーンで、読んでいて僕はしびれてしまった。このシーンがこの小説中でも、圧倒的な存在感を放っていた。
さてそのようにして読み進めていた本書だが、ラストでは、強烈なハッピーエンドが待っている。
見ようによっては、これは大甘のハッピーエンドだが、とっても暖かいシーンでもある。
僕は読んでいて、心を打たれた。
だが同時に若干、腑に落ちない面があったことも否定できない。
実際、そのラストは、ハッピーエンドだけど、正確に言うなら、ハッピーとは言いかねる面もあるからだ。
ラストの幸福は、フィリップの人生はまちがいでしかない、と突きつけるような形で訪れている。
それは捕らえようによっては苦い事実だろう。
しかしフィリップはその敗北を、幸福感を抱きながら受け入れている。
何かをあきらめることを大人になったというのなら、フィリップはその瞬間、大人になったと言えるのかもしれない。そしてそれゆえにいくらか苦くあるのだ。
僕はフィリップの人生を読みながら、散々こいつはアホだ、と思ってきた。
けれど、こうやってあっさりと引き下がられると、少しだけさびしく思ってしまう。
彼の若さを僕はあざ笑った。だが僕は心のどこかで、彼にその生き方を貫いてほしいと思っていたのだろう。
若さが何かに敗北することは、往々にしてあることだ。
そして、それでも若さを貫けるのは、少数の人間と、結局物語の中にしかいない。
だからこそ僕は、フィリップに若く愚かなままでいてほしかったのかもしれない。非常に身勝手な意見ではあるけれど、わりに真摯に思ったりする。
何かまとまりがなくなってしまったが、トータルで見れば、非常に上手い作品ということは認めざるを得ない。いくつかの部分では圧倒されることもあった。
ただ個人的には、いろいろな部分が気に入らず、好きになれない作品でもある。
これは言ってはおしまいだけど、最終的には好みの問題でしかない、ということなのだろう。
評価:★★★★(満点は★★★★★)
●蛇足
中野好夫の訳は悪くないけれど、さすがに少し言葉が古くなっている。
「ミーチャンハーチャン向きの安小説本が、決まって、ドンドン売り出されていた」なんて箇所を読んだときは、がっくり来てしまった。
そろそろ新訳の時期ですよ、と地味に新潮社に訴えておく。
そのほかのサマセット・モーム作品感想
『月と六ペンス』
こんなアホみたいな感想に丁寧なコメントを頂きまして、ありがとうございます。
すーさんが、最も好きな作品を評価できず、何となく申し訳ない気持ちになります。
> この小説は、自分と違う思いを抱き、自分と違う孤独に苦しみ、みっともなくも全力で人生を模索する、サマセットモーム自身の伝記に近いものです。共感出来ないのではなく、なぜ愚かしく、自己形成に青春の日々を費やすことに、感受性ゆたかで知性のあるフィリップが翻弄されて数々の珍行動ともいえる行動を避けられなかったのか?
> なぜ、そこに光があることに気付けたのか…そこにフィリップの真の成長があるからではないでしょうか。
非常に丁寧な読み解き方だと思いました。そして納得する部分は多々あります。
と同時に、すーさんのこの小説に対する伝わってきました。
僕個人が恵まれた環境で育ったかどうかはわかりません。
ですが、このような嫌悪感むき出しの、あからさまに感情的な感想を書いたのは、同族嫌悪なのではないかな、と冷静になったいまでは思っております。
僕はフィリップ・ケアリに、自分とに似た部分を見出していたのかもしれません。だからこそ認めたくなかったのだろう、と思います。
フィリップを受け入れるには、まだいくらか青かったようです。
本は読むタイミングによって、左右されることもあります。
もう少し自分を客観的に眺められるときになったら、再読しようと思います。
読み始める前に、「人間の絆」という邦題は心得ていて、原題の「Of Human Bondage」との間に違和感を感じていたのですが、読み進めながら、どうやら「絆」という翻訳はあまり巧くないのではと感じ始めています。広辞苑によれば、絆は確かに「馬、犬と繋ぎ止める綱」という意味が「断つにしのびない恩愛、離れがたい情実」と共に記されてはいますが、むしろ「枷」の方が馴染むのではないかと思うのですがどうですか? Philipが、その出生から、前半生に亘って負わされた、肉体、感情、家族、人間、宗教、金といった様々な「枷」を一つずつ解いてゆく、その過程を教養小説というジャンルの中で描いているという風に途中まで読みながら感じています。
モームについては、いずれも大学受験時代の受験英語でお目に掛かった程度で一貫して読み上げたことがなく、初めての作品になりますが、確かにこの長編は自分にとっても愛読書になるかも知れません。
> むしろ「枷」の方が馴染むのではないかと思うのですがどうですか? Philipが、その出生から、前半生に亘って負わされた、肉体、感情、家族、人間、宗教、金といった様々な「枷」を一つずつ解いてゆく、その過程を教養小説というジャンルの中で描いているという風に途中まで読みながら感じています。
おもしろい読み解き方だな、と思いました。
僕は頭が悪いので、一生原文で読むことはできませんが、そのような見方もできるのだな、と知れて、つくづく英語で読める人はうらやましいものだ、と思いました。
もう五十年くらい前ですからねえ……。