
アイルランドの首都ダブリン、この地に生れた世界的作家ジョイスが、「半身不随もしくは中風」と呼んだ20世紀初頭の都市。その「魂」を、恋心と性欲の芽生える少年、酒びたりの父親、下宿屋のやり手女将など、そこに住まうダブリナーたちを通して描いた15編。
最後の大作『フィネガンズ・ウェイク』の訳者が、そこからこの各編を逆照射して日本語にした画期的新訳。
『ダブリン市民』改題。
柳瀬尚紀 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)
『ダブリナーズ』を読み終えた後に僕が感じたことは、この作品はあくまでスケッチでしかないのだな、ということだ。
本書はダブリンに生きる人々の日常を切り取った短篇集である。
そのため、人々の行動の描写や姿や会話などを丁寧に、適切に描いていることは確かだ。
でもそれはあくまで、スケッチでしかなく、だから何? って問いかけたくなるような作品も多い。
本書は15編の作品を収録しているが、そのうち5つは(どれとは言わないが)微妙だった。
またそれ以外の4つは僕からすると、そこそこだね、という程度のものでしかない(それでも充分だけど)。
スケッチ的世界観から立ち上がってくるものは、とかく淡い印象のものばかりだ。
でもそんなこじんまりとしたスケッチ的世界から、ときに切実なものが浮かび上がってくる瞬間もある。
たとえば、個人的に一番好きな作品の、『小さな雲』。
この作品の主人公、リトル・チャンドラーはいかにもな小市民なのだが、そんな小市民の心理を繊細に追っていて、なかなか読み応えがある。
成功した友人に対して、憧れを抱いていたのが、その粗野な雰囲気に接して、彼を軽蔑するところ、それでも自分よりも優れた人間であることを認め、卑屈にも似た感情が立ち上がるところ、そして満たされない自分の生活を省みて、不満を抱き、多くの物事を憎むところなどは、実に鮮やかに描かれている。
その意識の流れはなめらかで、引き込まれるように読んでいける。
そしてそんな心理の果てに訪れるラストの主人公の姿が、とても印象的だった。
そこに至って、リトル・チャンドラーは、自分は結局小市民的な生活を生きる人間であり、そんな小市民的な自分と向き合わざるをえない、という事実をつきつけられる。
えらくなった友人に嫉妬したり、憧れたりするが、結局、彼自身ははどこにもいけず、行動できない。
その姿があまりに悲しく、妙に心に残った。
そのほかにもすてきな作品はある。
支配的な父親から逃げたいと思いながらも、父と一緒に暮らしてきた時間が、心をゆさぶときもある、という心理の描き方が鮮やかで、ラストがほんのりと悲しい予感に満ちている点が印象的な、『エヴリン』。
男や女、女の母らのそれぞれの思惑や打算が透けて見えておもしろい、『下宿屋』。
主人公の悲しいまでの小者っぷりが、妙にリアルで苦々しい、『写し』。
プラトニックな関係を求める男と、現実的な愛情を求める女の姿が目を引き、ラストの男の心の動きが少し哀れですらある、『痛ましい事故』。
お互いのやり方がまずかったために起こるごたごたの気まずさが心に残る、『母親』、など。
何てこともない話がほとんどで、淡い印象で終わっているものもある。
だが、ときに切なく、ときに苦々しく、ときに滑稽な瞬間を適切に描き取っていて、達者だ。
解説を読む限り、訳も相当力が入っているようで、読みやすく、すんなり頭に入ってくる点も良い。
絶賛はしないけれど(それぞれの作品を平均したら、点数は3.4になった。ただ全体の評価はそれより甘めにする)、これはこれで悪くない作品集である。
評価:★★★★(満点は★★★★★)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます