私的感想:本/映画

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『越境』 コーマック・マッカーシー

2011-03-29 19:48:23 | 小説(海外作家)

十六歳のビリーは、家畜を襲っていた牝狼を罠で捕らえた。いまや近隣で狼は珍しく、メキシコから越境してきたに違いない。父の指示には反するものの、彼は傷つきながらも気高い狼を故郷の山に帰してやりたいとの強い衝動を感じた。そして彼は、家族には何も告げずに、牝狼を連れて不法に国境を越えてしまう。長い旅路の果てに底なしの哀しみが待ち受けているとも知らず―孤高の巨匠が描き上げる、美しく残酷な青春小説。
黒原敏行 訳
出版社:早川書房(ハヤカワepi文庫)




マッカーシーの多くの作品がそうであるように、本作の文体もとことんクールで、冷酷ですらある。

例によって作中では多くの血が流され、死を迎えるものも多い。
マッカーシーはそれに対して、とやかく言わず、感情を徹底的に排除して描き上げるばかりだ。
その文体は、まっとうな倫理が通用しないこともある(もちろん親切な人間も多く登場するが)メキシコという土地を描く上で、非常にマッチしている。

その分、作中からは圧倒的な過酷さが伝わってきて、非常に胸苦しい思いを抱いてしまう。
読みづらいのだけど、この文体はひとつの魅力だろう。


物語は、ニュー・メキシコに暮らすビリーという少年がメキシコに、様々な理由から越境する話である。

文章が読みづらい上に、ところどころに哲学的な挿話をはさんでいるので、ゆっくり読まないといけないのだが、物語自体は結構おもしろい。
緊張感のある場面があってドキドキするし、トルティーヤはとってもおいしそうだ。


さて本作で個人的に強く惹かれたのは、1章の、罠にかけ捕らえた牝狼をメキシコに連れていく話である。

その中で、捕まえた牝狼をビリーがメキシコに連れていく理由は、まったく書かれていない。
その理由は、狼を命がけで捕まえたことで、きずなのようなものを感じたからかもしれないし、妊娠している狼に同情したからかもしれない。
あるいは深読みだが、人間には理解できない狼の世界を知りたいと願ったからかもしれない。それを通して、ビリーは人間には知り得ない、世界、そのものに近づこうとしたのでは、って気もする。

それはそれとして、旅を通じて、ビリーは牝狼に対して共感めいたものを覚えていくこととなる。その過程がすばらしい。
川を渡るときに手助けするところとか、牝狼にしょっちゅう語りかけるところ、不法越境を理由に没収された狼を取り戻そうと奮闘するところなどは、牝狼に対するビリーの愛情が伝わってきて、心に届く。

それだけにあのような結末を迎えたことに、ただただ愕然とするしかなかった。
その場面でのビリーの感情はやはりまったく描かれず、ただ行動のみが描写されるだけだ。
だけどそこからはビリーの空虚な思いと、悲しみとがしんしんと伝わってくる。その点が一読忘れがたい。


2章に入り、ビリーはアメリカに帰ることになるが、そんな彼をさらなる苦難が襲うこととなる。
解説にもちょろっと触れられているが、そのように苦難を背負うことで、ビリーは不可知的な世界、あるいは神というものに対して、肉薄しようとしているのだ、と僕には感じられた。

ビリーは両親が殺され、馬を盗まれたことを知る。弟のボイドはその事件を、「起きちまったことは仕方ない」と語っているが、彼はあくまで父親の馬を取り戻そうと決意することとなる。
それは、教会の老人と同じく、不可知的な、世界(あるいは運命)、に対して反抗するのと、構図的には似ている。


だが世界はビリーに対して必ずしも優しいわけではない。
弟とは離れ離れになってしまうし、旅の目的は果たせず、盗賊に襲われることだってある。

その理不尽な世界のあり方に対して、人はどうすることもできないのだろう。
そして理不尽な現実を、系統立てて捉え、事態に備えることも不可能なのだ。

盲目の老人の挿話ではないが(ちょっとハイデガーっぽい)、「人間の知りうる世界が世界についての像だけであり」、世界はただ存在するだけでしかないからだ。

すべての価値観や理不尽な現実はただ起こるだけのものでしかない。
それをひどいと思ったり、正義だなんだ、と定義づけて、理不尽な事態を非難することは、結局のところ個人の認識の差異である、というだけの話なのだ。


けれど、そんなニヒリズム的な結論で片づけてしまうのは、あまりに残酷という気もしなくはないのだ。
世界が誰にも知ることができない、ただ存在し、物事が起きるだけのものでしかなく、人間が「不可解な存在」でしかないのだとしたら、人は何を基準に行動し続ければいいのだろう。

『越境』は、そんな僕が読解し解釈した(誤読の可能性大)ことに対する答えはない。
マッカーシーはよけいな説明をつけず、ただ起きたできごとを、スリリングな形で提示するだけだ。

しかしながら、僕はラストシーンの朝日に一つの根拠のない希望を感じるのである。
ビリーは「不可解な闇の中で立ちつくし」泣いた。しかしそんな後でも、「神の創った本物の太陽がもう一度、分け隔てなく全てのもののために昇」ることもあるのだろう。
世界が認識によって変わるのなら、そのシーンに根拠もなく、希望を見出すことも個人の自由であり、一つの世界に対する解釈かもしれない。

ともあれ、個人的には難しいなりに、なかなか楽しく読むことができた。
マッカーシーの存在感を見せ付ける作品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)



そのほかのコーマック・マッカーシー作品感想
 『ザ・ロード』
 『すべての美しい馬』
 『血と暴力の国』
 『ブラッド・メリディアン』


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