世界は本当に終わってしまったのか?荒れ果てた大陸を漂流する父と子の旅路を独自の筆致で描く巨匠渾身の長篇。
ピュリッツァー賞受賞。
黒原敏行 訳
出版社:早川書房
学生のころの歴史の授業で、江戸時代の飢饉について勉強したとき、あまりの飢えのため、農民たちは人間の死体を食べたという話を聞いたことがある。
またむかし読んだ、大岡昇平の『野火』も、飢えのため、戦場で人間の死体を食べる話だった。
とかく空腹というものは人間の理性を壊す力があるらしい。
だが彼らが食べているのが死んだ人間である分、まだマシなのかもしれない。
そんなことを『ザ・ロード』を読むと思ってしまう。
『ザ・ロード』で描かれる世界には、空腹感が満ち満ちている。
舞台は人類の大半が死に絶えた世界で、そんな世界の中、父子が「火を運ぶ」ため、南を目指している。
基本的に物語は謎めいていて、どういうことかわかりにくい部分が最初のうちはある。
それでも飽きずにぐいぐいと読み進められたのは、それらを語る文章も魅力的だからだ。
文章は抑制がきいていて、過度な説明描写はなく、読み手の想像力にゆだねている。
それらのすべてが読んでいて非常に好ましい。
そして、その描写の果てに見えてきた世界はずいぶんと絶望に満ち溢れている。
道ばたには普通に人々が死んでいるし、食料を奪い合うために、人は殺し合いもする始末。この世界では慢性的に食料が不足しているらしく、大半の人間はガリガリにやせている。
父親が息子の痩せ細った体を見て、心臓がとまりそうになるシーンがあるが、読んでいるこっちまで痛々しい気分になってしまう。
比喩にあったこともあり、彼らの姿と、ユダヤ人収容所の記録映像を重ね合わせながら読んでしまう。
そういう飢えが充満しているためか、人は他者を排斥し、自分の利益を守らねばならない。
父は後半で、荷物を奪われた後、復讐心もあってか、泥棒にずいぶんえぐいことをしている。
それも飢えが慢性的なものであり、自分の身を必死で守らなければならないからだ。
だがそんな暴力的な手段をとりながらも、彼らの行動はまだまだマシな方なのである。
もっとひどい者になると、人の肉まで食べようとする輩まで現われてくるのだ。
中盤に地下室に閉じ込められた人間たちの描写があるのだが、これがむちゃくちゃこわかった。多分下手なホラーよりよっぽどこわい。
その場面を読む限り、恐らく地下室に閉じ込められている人たちは生きながら、誰かに食べられてしまうのだろう。これは僕の想像だが、肉が腐るといけないから、生きたまま、少しずつ肉をそぎ落とし食べているのだ。
極限下に置かれた人間が、死体を食べるという事実は、過去にも見られる行為である。
だがここで描かれているのは、生きている人を狩り、それを牛や豚のように食べるという行為だ。
そこには、根深い絶望がある。そんな場面を読んでいると、こっちはどーんとへこみそうになってしまう。
だがそんな時代だからこそ、理性が必要なのだろう。
少年は最後、南まで着いて、火を運ぶことに成功する。
火を運ぶ、ということが、その場面に来て、比喩であることがわかるのだが、その解釈は解説にもあるように多様なのだろう。
個人的には、人間として大切なものを守り、持ち続けることが「火を運ぶ」ということだと判断した。
それは平たく言えば、思いやりである。
少年はどんな場面にあっても、他者に対する真心を忘れなかった。
困っている人がいれば、その人のことを心配した。助けられる余裕がないことを知って、父親が静止したから思いとどまっているものの、死にそうな人を助けたいと願っている。
人は飢えによって、理性を失うかもしれない。
だからこそ、極限下であろうと、正しいことを希求し、理性を保つことが重要なのかもしれない。
それはひょっとしたら理想論かもしれない。だがそのイノセンスな感覚はどこまでも美しい。
そんなことを感じさせるラストシーンがちょっと感動的で、胸を震わせるものがあった。
また父子の描写もすばらしく、父親の深い愛情と、聡明な少年の父を思う気持ちは読んでいて、幾度も心をゆさぶられた。これも一つの思いやりの一形態なのだろう。
そのため絶望的で、こわくて、ダークな面もあるものの、あまりに爽やかな読後感となっている。実にすばらしい一品であった。
今夏公開のヴィゴ・モーテンセン主演の映画も楽しみである。宮城でやるかは不明だが、ぜひ見たいものだ。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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