![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/2e/4df92a05176e49a84a10d6f48cbfba82.jpg)
東京を仕事場にする天才スリ師。ある日、彼は「最悪」の男と再会する。男の名は木崎―かつて仕事をともにした闇社会に生きる男。木崎は彼に、こう囁いた。「これから三つの仕事をこなせ。失敗すれば、お前を殺す。逃げれば、あの女と子供を殺す」運命とはなにか、他人の人生を支配するとはどういうことなのか。そして、社会から外れた人々の切なる祈りとは…。大江健三郎賞を受賞し、各国で翻訳されたベストセラーが文庫化。
出版社:河出書房新社(河出文庫)
『掏摸』は、実にスリリングでおもしろい作品だ。
くくりとしては純文学だけど、エンタテイメントと言っても通用する作品だと思う。
それもこれも全体に漂うノワールな雰囲気によるところが大だろう。
主人公は東京で働くスリ師である。
その腕前はさすがプロだけあり、一級だということがわかる。財布を掏るときの緊張感や、そのときの指の動きなどにはほとほと感心する。
それだけで物語の中に心を持ってかれた。特に張りつめた空気はたまらない。
そんな彼は闇社会に属していることもあり、きな臭いできごとに巻き込まれる。
その展開は、不穏な雰囲気に満ちており素直に楽しめる。この物語運びは見事だ。
さてそんなストーリーの中で、もっとも印象に残ったのは、何と言っても、木崎だろう。
彼の底知れない悪意こそが、本作をノワールだと感じた原因にほかならない。
石川と立花と一緒に押し込み強盗をするところには、読んでいてぞくぞくした。
人を人とも思わずに理不尽にもてあそんでいるかのようで、その冷血さは強いインパクトを残す。この造形はすばらしいとしか言いようがない。
そしてそんな徹底的な悪意に導かれて、「僕」は抜き差しならない状況に追い込まれる。
少年との関係が(おそらく「僕」は少年の中に、むかしの自分を見たから優しくしたのだろう)温かかっただけに、その落差に愕然とするしかない。
そのような「僕」の理不尽な状況を、木崎はヤーヴェとイスラエル人になぞらえている。
ヤーヴェを恐れるのは、力があったから、と木崎は言う。聖書を読んだときはそのことには気づかなかったが、確かにそんな側面はあるだろう。
そして木崎はヤーヴェ的な態度で「僕」に対して打って出る。
だがそのように力を持った存在に、一人の人間が翻弄されるのは、あまりに残酷なことだ。
貴族と使用人の話のように、そこには人間の自由意思は存在せず、その自由意志さえも、力のあるものに利用される。状況的にはかなりえぐい。
ラストの「僕」に対する木崎の行動はひどく、読んでいると痛ましくなる。
人は大きな災厄の前では、なすすべもないのではないか、とさえ思ってしまう。
それでも人は、災厄があろうとなかろう、何かと繋がろうとして、生に執着する。
その思いの中に、理不尽な運命から逃れる力が生まれるのかもしれない。
最後はスリとして生きた彼なりの、スリらしい必死の抵抗と見えて心に響く。
ともあれ、力強い作品であり、その黒い雰囲気には酔いしれた。
兄妹編の『王国』も読んでみたいとすなおに思える一品である。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
そのほかの中村文則作品感想
『銃』
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます