受付の青年は左手で和尚を制し、右手で上のハリ紙を示した。そこには、
「靴のほか昇降を禁ず」と書いてある。和尚はそれをじっと読んでうなずくと
受付子に言った。
「靴とはいったいどんなものじゃナ」この和尚は靴を知らないとみえる。よっぽど
の田舎者だな、と受付の青年は内心腹立たしく思って、「靴とはこれです」と
自分の磨き立ての黒の短靴を前へ出した。和尚は珍しいもののようにそれを
見ていたが、「それはいったい何で作ってあるのかのう」ときいた。いよいよもって
いまいましい坊主だ、受付子は自分が愚弄されているように思ったから、なぶり
かえしてやろうと高びしゃに出た、「靴ですか、靴の材料にはいろいろあって、
牛の皮が多く、虎や、象の皮もあります」とおどかした。「なるほど。してみると、
みんなケダモノの皮じゃナ、ワシのはナ、ワラジといって、米の皮じゃぞ」
というや否や和尚は泥ワラジの托鉢姿のまま階段をかけ上がって、音楽会の
席についてしまった。この和尚は大正年間に今一休と称された名僧で、丹波の
安国寺の住職梅垣謙道師である。この謙道和尚が、本道を修理する寄付集め
のとき、人もあろうに綾部の大本教本部へ乗り込んで、教祖のお直婆さんから
寄付をとりつけたのである。初め宗旨が違うから、といってことわられると、宗旨
は違ってもお互いずくじゃ、とついに五〇円せしめると、あんたも以前は大工の
おかみさん、寄付の五〇円でもできる結構な事じゃ、そんなに結構になった
お祝いとして、もう一口三〇円の寄進に付かっしゃい、と、とうとう二口の寄付を
取り付けることに成功した。
和尚の機知がすべてを可能にしたのである。怒りを笑顔にするのも機知、機知
は心のゆとりから生まれる。
─『一日一言 人生日記』古谷綱武編 光文書院より
■このような機知があれば、多くの友人を失うこともなかっただろう。
まだまだ、修行です。誤解ばかりされて、残念なことも多い。こちらは、相手のことを
思っているのにそれが伝わらない。少し思うのは、地方の人より、東京の地域
に住んでしまうと、冷たくなるのではという気もします。人が多く、絶えず他人への
警戒も必要だろうし、深くつきあうことをしなくなるのではないだろうか・・・
そう考えることも最近はあります。都内でも昔からの下町の人はまた情があります。
中途半端に都会に移り住んでしまうと人間に対して思いやりが希薄になるのかも
しれない・・・
「靴のほか昇降を禁ず」と書いてある。和尚はそれをじっと読んでうなずくと
受付子に言った。
「靴とはいったいどんなものじゃナ」この和尚は靴を知らないとみえる。よっぽど
の田舎者だな、と受付の青年は内心腹立たしく思って、「靴とはこれです」と
自分の磨き立ての黒の短靴を前へ出した。和尚は珍しいもののようにそれを
見ていたが、「それはいったい何で作ってあるのかのう」ときいた。いよいよもって
いまいましい坊主だ、受付子は自分が愚弄されているように思ったから、なぶり
かえしてやろうと高びしゃに出た、「靴ですか、靴の材料にはいろいろあって、
牛の皮が多く、虎や、象の皮もあります」とおどかした。「なるほど。してみると、
みんなケダモノの皮じゃナ、ワシのはナ、ワラジといって、米の皮じゃぞ」
というや否や和尚は泥ワラジの托鉢姿のまま階段をかけ上がって、音楽会の
席についてしまった。この和尚は大正年間に今一休と称された名僧で、丹波の
安国寺の住職梅垣謙道師である。この謙道和尚が、本道を修理する寄付集め
のとき、人もあろうに綾部の大本教本部へ乗り込んで、教祖のお直婆さんから
寄付をとりつけたのである。初め宗旨が違うから、といってことわられると、宗旨
は違ってもお互いずくじゃ、とついに五〇円せしめると、あんたも以前は大工の
おかみさん、寄付の五〇円でもできる結構な事じゃ、そんなに結構になった
お祝いとして、もう一口三〇円の寄進に付かっしゃい、と、とうとう二口の寄付を
取り付けることに成功した。
和尚の機知がすべてを可能にしたのである。怒りを笑顔にするのも機知、機知
は心のゆとりから生まれる。
─『一日一言 人生日記』古谷綱武編 光文書院より
■このような機知があれば、多くの友人を失うこともなかっただろう。
まだまだ、修行です。誤解ばかりされて、残念なことも多い。こちらは、相手のことを
思っているのにそれが伝わらない。少し思うのは、地方の人より、東京の地域
に住んでしまうと、冷たくなるのではという気もします。人が多く、絶えず他人への
警戒も必要だろうし、深くつきあうことをしなくなるのではないだろうか・・・
そう考えることも最近はあります。都内でも昔からの下町の人はまた情があります。
中途半端に都会に移り住んでしまうと人間に対して思いやりが希薄になるのかも
しれない・・・