作り方教へて貰ひ繭団子 2023年01月13日 | 写真俳句 水木を切って、餅も買ってきて餅花を作るつもりでした。水木は裏山にありますが、飾りは百均でそれらしいのを求め飾り付けました。そのやり方は孫に教えて貰いました。幼稚園では毎年飾ります。小さい頃煤だらけの部屋が明るくなったのを覚えてます。繭玉は米だと思いますが、小さく切った当時は普通の餅だったように思います。旧正月も終わった頃取り外し炒めておやつにしてました。 #写真俳句 #俳句 #野の花 #二本松 #智恵子の町から #繭玉 « 初稽古駐車の位置も守りたる | トップ | 暖かき気温に誘はれ斧始 »
8 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (kitaura) 2023-01-13 08:31:44 こちらに嫁ぎ養蚕の盛んな所ですので繭団子は2月の何日かは忘れましたが必ず作っておりました。生家では毎年正月飾りを神棚に飾っていましたがこちらに嫁いでからは一度も無かったです。安のりさん宅の飾りを見て懐かしく思います今でもやっている家もあると思いますが・・・・我が家の子供や孫たちにも神様や仏様を敬う気持ちずーと持ち続けて貰いたいです。 返信する Unknown (鮎太) 2023-01-13 09:32:09 町内の子供会行事でやっていましたが、コロナでやっていません。 返信する Unknown (たんと) 2023-01-13 15:55:14 作ったことないですがぱっと明るくなったようで良いですね♪ 返信する 繭団子 (安のり) 2023-01-13 16:31:06 kitauraさん 生まれ里では餅花でした。切り餅を水木にからめ、鯛などのお飾りつけて何時もくらい煤で汚れた部屋の神棚当たりも明るくなりました。小正月に作り、下ろすのは節分前、旧正月が終わってからだと思いました。 この辺で見かけるのは繭玉ですね。幼稚園では毎年飾ってあります。 返信する 繭玉 (安のり) 2023-01-13 16:32:15 鮎太さん この辺でも昔は作っていたようですが実際にはご家庭で見た事ありません。 返信する 繭玉 (安のり) 2023-01-13 16:34:26 たんとさん 明治時代は国家を支えた絹産業でした。輸出して資金を稼ぎ西洋の近代科した蒸気機関車、戦艦など買い求めたのでしょう。この辺も一台産地でした。 返信する Unknown (秩父武甲) 2023-01-13 17:13:19 こんばんは子供の頃はお蚕農家が多く、繭玉を外廊下などに飾っていました。それを盗んで食べると健康に良いとされて、よくガキ連中で盗って食べました。農家の人もそれが次のお蚕がよく育つと、見て見ぬふりをしていました。繭玉のお写真を見て、懐かしく思いました。 返信する 繭玉 (安のり) 2023-01-13 17:51:37 秩父武甲さん そちらも先年の大河ドラマ、渋沢栄一が近いので盛んだったのでしょうね。 ここに来た頃は製紙工場も二ヶ所にありましたが何れも消えました。夏場大引けの時とは手伝った事もありました。子供達が寝る時間、その頃夕食でした。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
2月の何日かは忘れましたが必ず作っておりました。
生家では毎年正月飾りを神棚に飾っていましたが
こちらに嫁いでからは一度も無かったです。
安のりさん宅の飾りを見て懐かしく思います
今でもやっている家もあると思いますが・・・・
我が家の子供や孫たちにも神様や仏様を敬う気持ち
ずーと持ち続けて貰いたいです。
ぱっと明るくなったようで良いですね♪
生まれ里では餅花でした。
切り餅を水木にからめ、鯛などのお飾り
つけて何時もくらい煤で汚れた部屋の
神棚当たりも明るくなりました。
小正月に作り、下ろすのは節分前、旧正月が
終わってからだと思いました。
この辺で見かけるのは繭玉ですね。
幼稚園では毎年飾ってあります。
この辺でも昔は作っていたようですが
実際にはご家庭で見た事ありません。
明治時代は国家を支えた絹産業でした。
輸出して資金を稼ぎ西洋の近代科した蒸気機関車、
戦艦など買い求めたのでしょう。
この辺も一台産地でした。
子供の頃はお蚕農家が多く、繭玉を外廊下などに飾っていました。
それを盗んで食べると健康に良いとされて、よくガキ連中で盗って食べました。
農家の人もそれが次のお蚕がよく育つと、見て見ぬふりをしていました。
繭玉のお写真を見て、懐かしく思いました。
そちらも先年の大河ドラマ、渋沢栄一が近いので
盛んだったのでしょうね。
ここに来た頃は製紙工場も二ヶ所にありましたが
何れも消えました。
夏場大引けの時とは手伝った事もありました。
子供達が寝る時間、その頃夕食でした。