タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

「誰もが食べられる食事」の押しつけは多様性の否定です。

2021年08月22日 | Weblog
最初に一言。当方はRAP○さんという方が唱える不思議な理論とは一切関係ありません。地球は丸いと思いますし、ガンという病気は存在します。

さて、本論です。ビーガンについて誤解している方が多いことから今回はこの話を取り上げます。ビーガンは単なる完全菜食主義ではなく、動物を殺してはならない(だから皮のバッグや絹の和服も着ない)運動です。ビーガンになるならないは自由と思いますが、他人に押しつけないで欲しいものです。海外のビーガン運動家が寿司屋の中で「魚を殺すな」とプラカードを掲げた出来事がありましたが、動物愛護に見せかけて他国の伝統を否定するなんて恥ずかしい行為です。

先日ある新聞に載った記事です。国内のある小学校が「ビーガン給食」を取り入れました。特定の日に全員がビーガン食を食べろと。校長先生は「ビーガン食は低アレルギーで誰もが食べられる食事なので、多様性を尊重する目的」とマスコミに言いました。ところが検索したら、この校長先生はあるビーガン団体幹部と知り合いで、幹部はフェイスブックで、校長先生への感謝を述べるとともに、全ての人がビーガンになるべきだとフェイスブックに書いていたのです!多様性の尊重というのはうわべだけだったのです。校長先生は利用されてるだけと思いたいですが・・・。

論理的にも、「誰もが食べられる食事を全員が一斉に食べれば多様性が尊重される」というのは全くのでたらめです。多様性の尊重というのは、全員が同じ食事をすることでなく、違う食事をすることであり、例えば「ビーガン食を食べたくない」という声を認めることです。
学校で多様性を尊重するなら、台湾料理、スカンジナビア料理、トルコ料理、アイヌ料理、と様々な料理を出してこそ多様性でしょう。ビーガン料理ばかりに注目するのは、多様性の切り捨てです。

また、「誰もが食べられる」の言葉は表面的にはフレンドリーに見えて、実は少数派を排除する言葉です。考えてもください。「誰もが食べられるから」との理由で、給食で「豆腐づくしメニュー」を出され、あなたが大豆アレルギーだったら?みんなと同じ給食は食べられず、一人だけ排除されるのです。これが「誰もが食べられる食事」という言葉の恐ろしい罠です。

ビーガンも植物の命を奪っているとの指摘に対し、校長先生は記者に「動物は殺したら再生しないが植物は殺しても再生するから。」と語ってましたが、植物だって殺したら再生しません。煮豆や炊いたごはんが再生しますか?
今後はよい記事を楽しみにしています。マスコミの皆様の良識に期待しています。
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