タミアのおもしろ日記

食文化・食育のお役立ちの話題、トンデモ食育、都市伝説、フードファディズムなどを分析して解説します!(^.^)

一汁三菜説はやっぱり作り話だった。

2016年11月05日 | Weblog
先日ふと、城西国際大学の品田知美先生編「平成の家族と食」(晶文社、2015年12月30日発行)を手にしたら、びっくり!ああ、なんでもっと早くこの本を読まなかったんだろうと思ってしまう位のすばらしい内容でした。今回、皆様にもこの本の中身を一部紹介したいと思います。

「一汁三菜が和食の基本」という近年よく耳にする説が、実は最近創作された「作り話の伝統」だったことは、このブログの2015年9月6日、2016年1月16日、4月2日、4月17日において紹介しました。
実は、品田先生らの研究グループも、近年「一汁三菜が和食の基本」という説が聞かれるのを不思議に思って調査し、その結果、この説がきわめて疑わしいという結論に達していたのです(p15、p56~58)。

まず品田先生は、「1975年に日本人が家で食べていたものが理想であると提唱する」東北大の都築毅先生のご研究を読んで、「(都築先生が)当時の理想として提示した夕食の献立表を見ると基本は一汁二菜」だったと指摘しているのです。この品田先生の記述を見て、確かにそうだったと膝を打ちました。私の幼い頃の記憶をたどっても、1970年代後半、一汁三菜なんて食事は、家でも学校でもよその家にお伺いしてもまず出なかったし、そもそも一汁三菜という言葉を耳にしたことさえなかったからです。(ちなみに、品田先生も慎重に言葉を選んで書いているのですが、都築先生の提唱する理論が栄養学的に正しいと証明されているとは、品田先生も私も申しておりません。)

しかも、品田先生はここへ更にこうたたみかけています。
1975年といえば、日本の歴史上最も多くの女性が専業主婦だった時代なのですが、「その時代でさえも、一汁三菜は浸透しきれていなかったとするならば、いつ誰がその伝統を保持していたといえるのだろうか。」、と。

そして同書の共同執筆者の一人である日本女子大の野田潤先生は、p56~58において、こう指摘しています。一汁三菜は千利休が考案したが、この料理は「あくまでも茶の湯におけるもてなし料理であり、人びとの日常食ではなかった」、と。そして様々な文献を精査しても、日本人の日常食に一汁三菜が根付いた時代というものが見つからない、と。

野田先生のこの指摘の締めくくりを引用します。
「ことによると、「日本人の伝統としての一汁三菜」という概念自体が、社会的に近年構築されたものだという可能性もある。」
野田先生のおっしゃる通りだと思います。
以前このブログで紹介した、日経新聞の記事(食文化研究の大家である石毛直道先生に取材した記事。)も、全く同じ指摘でした。石毛先生は、一汁三菜説は近年になっていわれはじめた物であると証言したのです。

誰がなぜ、なんのために、「一汁三菜が和食の基本だ」という作り話を広めようとしているのでしょう。蕎麦やうどんや寿司などは基本的な和食ではない、というのでしょうか。もうすぐ国が定めた「和食の日」です。私達は「和食とは何か」、について深く考える必要がありそうです。
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