精神保健福祉士の勉強をしている学生から、しばしば質問されることがあります。
なるべく丁寧に答えるように心がけてはいますが、実は答えに窮することもあります。
現状の法律上の矛盾等が、未だに解決されていないような事柄です。
例えば、精神保健福祉法上の保護義務と成年後見人の関係です。
先日も、通信教育のスクーリングの授業で、学生から尋ねられました。
大変良く勉強している学生で、彼女が疑問に思ったのも、もっともだと思います。
質問の主旨は、次のようなものでした。
精神保健福祉法で、精神障害者の保護者となる者は、後見人又は保佐人、配偶者、親権を行う者及び扶養義務者となっている。
保護者となる者が複数ある場合には、①後見人又は保佐人、②配偶者、③親権を行う者、④扶養義務者、のうちから家裁が選任した者の順で保護を行うとされている。
でも、なぜ、この順番なのか?
その根拠となった所以を知りたい。
第三者後見人が保護者となった場合、トラブル等はないのか?
…というものです。
もしかすると、彼女は将来、精神保健福祉士として成年後見事務所等を開設することを考えているのかも知れません。
社会福祉士と同様に、独立事務所を立ち上げて、精神障害者への支援を行う方も、少しずつ増えています。
ぜひ、そういった仕事に取り組む精神保健福祉士が増えて欲しいと思います。
でも、その時に、必ず生じてくる問題が、やはりあります。
そのひとつが、この質問の内容です。
現行の精神保健福祉法第20条に定められている、保護者の順位ですが、これの原型は1900年(明治33年)の「精神病者監護法」にさかのぼります。
精神病者を監護すべき監護義務者の順位を「後見人・配偶者・親権ヲ行フ者・四親等内ノ親族ヨリ家庭審判所ノ選任シタル者」と規定している条項です。
この条項は、家族制度を基本とした民法との関係から、決められました。
「つまり民法との権衡を得まするように此順序を定めたのでございます」と時の政府委員は国会で説明しています。
(参考:広田伊蘇夫『立法百年史』批評社)
権衡とは、つりあい、平均というような意味です。
日本の家族制度を基調とした民法との整合性を考えると、このような順序となると、時の内閣法制局が整理したいうことでしょう。
19世紀末に決められたその規定が、21世紀の今日でも、そのまま生きている訳です。
ちなみに、民法第714条には「責任無能力者の監督義務者等の責任」という条項があります。
これにより、精神保健福祉法第22条で定められている「保護者の義務」との整合性が図られています。
第三者後見人の場合のトラブルとしては、財産上の利益保護等に関するものを考えがちです。
しかし、実際には、医療保護入院の際に同意を求められた場合に、問題が生じがちです。
いわゆる医療の代諾権ですね。
本人の意思に反しても、医療及び保護のために入院が必要な場合、どこまで成年後見人は法的責任を負えるのか?
被後見人との信頼関係が損なわれることはないのか?という点です。
このことは、現在の成年後見制度ができた時に、相当議論になりました。
精神科医療と成年後見制度の整合性が取れるのか?
言い換えれば、精神保健福祉法と民法との権衡をどのように図るのか?ということです。
当時、僕自身も、東京のPSWの仲間たちと何回も勉強し、議論しました。
その結果を踏まえて、東京PSW協会として、時の日弁連や法務省民事局宛に要望書を提出しました。
でも、残念ながら、この部分の決着を見ることがないまま、成年後見制度はスタートしました。
むしろ、上記の問題についての判断は留保したまま、課題として残されたということです。
後見人が医療保護入院の同意者になり得るのかについては、現在も議論のあるところです。
入院の際に、後見人と病院の主治医や精神保健福祉士との間で、同意書類に「サインして」「サインできない」ともめることもあります。
現場では、本人の医療を受ける利益のために、後見人が不承不承サインをしているのが、実情としては多いようです。
でも、その根拠が法律上無いというのは、本当に変な話しです。
一応、成年後見人は、病院に入院するかどうかの医療契約については同意権がある、と考えられます。
しかし、生命を左右するような医療行為については同意権がない、という解釈が定着してきています。
ただし、これは精神科に限ったことではありません。
手術などの医療行為は、本人の同意がないと行われないため、重度の認知症の場合等、医療現場でさまざまな問題が起こっています。
なんとか、早く結論を出して欲しいとも思います。
しかし、この問題は、インフォームドコンセントや延命治療の問題とも絡んでいます。
成年後見における医療の代理権・決定権の規定を導入するのは、時期尚早という意見も法律家の間ではあります。
未だにスッキリした結論を得るには至っていません。
先のPSW協会静岡大会でも、総会議事で、成年後見制度を推進する事への疑問がある会員から出されていました。
公民権が停止される(選挙権の剥奪など)等の、制度の問題点を不問にして、精神保健福祉士が成年後見を積極的に担っていいのか?という執行部への質問でした。
精神障害者への人権侵害に加担することにならないか?という問題提起といえます。
法律というのは、かっちり物事を決めているようで、実は矛盾がたくさんあります。
むしろ現実に人間社会で起きる出来事に、立法が追いついていないため、法文解釈で延々とこなしているのが現状です。
様々な現場から、現状の矛盾の是正を求める声を上げていくことが必要です。
それが、精神保健福祉士の専門職としての責務でもあるのでしょう。
なるべく丁寧に答えるように心がけてはいますが、実は答えに窮することもあります。
現状の法律上の矛盾等が、未だに解決されていないような事柄です。
例えば、精神保健福祉法上の保護義務と成年後見人の関係です。
先日も、通信教育のスクーリングの授業で、学生から尋ねられました。
大変良く勉強している学生で、彼女が疑問に思ったのも、もっともだと思います。
質問の主旨は、次のようなものでした。
精神保健福祉法で、精神障害者の保護者となる者は、後見人又は保佐人、配偶者、親権を行う者及び扶養義務者となっている。
保護者となる者が複数ある場合には、①後見人又は保佐人、②配偶者、③親権を行う者、④扶養義務者、のうちから家裁が選任した者の順で保護を行うとされている。
でも、なぜ、この順番なのか?
その根拠となった所以を知りたい。
第三者後見人が保護者となった場合、トラブル等はないのか?
…というものです。
もしかすると、彼女は将来、精神保健福祉士として成年後見事務所等を開設することを考えているのかも知れません。
社会福祉士と同様に、独立事務所を立ち上げて、精神障害者への支援を行う方も、少しずつ増えています。
ぜひ、そういった仕事に取り組む精神保健福祉士が増えて欲しいと思います。
でも、その時に、必ず生じてくる問題が、やはりあります。
そのひとつが、この質問の内容です。
現行の精神保健福祉法第20条に定められている、保護者の順位ですが、これの原型は1900年(明治33年)の「精神病者監護法」にさかのぼります。
精神病者を監護すべき監護義務者の順位を「後見人・配偶者・親権ヲ行フ者・四親等内ノ親族ヨリ家庭審判所ノ選任シタル者」と規定している条項です。
この条項は、家族制度を基本とした民法との関係から、決められました。
「つまり民法との権衡を得まするように此順序を定めたのでございます」と時の政府委員は国会で説明しています。
(参考:広田伊蘇夫『立法百年史』批評社)
権衡とは、つりあい、平均というような意味です。
日本の家族制度を基調とした民法との整合性を考えると、このような順序となると、時の内閣法制局が整理したいうことでしょう。
19世紀末に決められたその規定が、21世紀の今日でも、そのまま生きている訳です。
ちなみに、民法第714条には「責任無能力者の監督義務者等の責任」という条項があります。
これにより、精神保健福祉法第22条で定められている「保護者の義務」との整合性が図られています。
第三者後見人の場合のトラブルとしては、財産上の利益保護等に関するものを考えがちです。
しかし、実際には、医療保護入院の際に同意を求められた場合に、問題が生じがちです。
いわゆる医療の代諾権ですね。
本人の意思に反しても、医療及び保護のために入院が必要な場合、どこまで成年後見人は法的責任を負えるのか?
被後見人との信頼関係が損なわれることはないのか?という点です。
このことは、現在の成年後見制度ができた時に、相当議論になりました。
精神科医療と成年後見制度の整合性が取れるのか?
言い換えれば、精神保健福祉法と民法との権衡をどのように図るのか?ということです。
当時、僕自身も、東京のPSWの仲間たちと何回も勉強し、議論しました。
その結果を踏まえて、東京PSW協会として、時の日弁連や法務省民事局宛に要望書を提出しました。
でも、残念ながら、この部分の決着を見ることがないまま、成年後見制度はスタートしました。
むしろ、上記の問題についての判断は留保したまま、課題として残されたということです。
後見人が医療保護入院の同意者になり得るのかについては、現在も議論のあるところです。
入院の際に、後見人と病院の主治医や精神保健福祉士との間で、同意書類に「サインして」「サインできない」ともめることもあります。
現場では、本人の医療を受ける利益のために、後見人が不承不承サインをしているのが、実情としては多いようです。
でも、その根拠が法律上無いというのは、本当に変な話しです。
一応、成年後見人は、病院に入院するかどうかの医療契約については同意権がある、と考えられます。
しかし、生命を左右するような医療行為については同意権がない、という解釈が定着してきています。
ただし、これは精神科に限ったことではありません。
手術などの医療行為は、本人の同意がないと行われないため、重度の認知症の場合等、医療現場でさまざまな問題が起こっています。
なんとか、早く結論を出して欲しいとも思います。
しかし、この問題は、インフォームドコンセントや延命治療の問題とも絡んでいます。
成年後見における医療の代理権・決定権の規定を導入するのは、時期尚早という意見も法律家の間ではあります。
未だにスッキリした結論を得るには至っていません。
先のPSW協会静岡大会でも、総会議事で、成年後見制度を推進する事への疑問がある会員から出されていました。
公民権が停止される(選挙権の剥奪など)等の、制度の問題点を不問にして、精神保健福祉士が成年後見を積極的に担っていいのか?という執行部への質問でした。
精神障害者への人権侵害に加担することにならないか?という問題提起といえます。
法律というのは、かっちり物事を決めているようで、実は矛盾がたくさんあります。
むしろ現実に人間社会で起きる出来事に、立法が追いついていないため、法文解釈で延々とこなしているのが現状です。
様々な現場から、現状の矛盾の是正を求める声を上げていくことが必要です。
それが、精神保健福祉士の専門職としての責務でもあるのでしょう。
したがって、保護者は入院に同意する権限はあっても、医療に同意する権限はないはずですが、いかががお考えですか?
なるほど…。それは、そうですね。
もともと、強制入院手続き法として出発した精神衛生法は、あくまでも入院手続きを定めたものであって、医療の中味には何も踏み込んだ記述は無いですよね。
度重なる改正で、社会復帰やら精神障害者福祉やらが付け加えられても、強制入院手続き法としての基本的な性格は変わっていない。
今回、障害者自立支援法の施行に伴う改正で、手帳を除いて福祉部分が削除されて、再びまるで入院手続き法に戻ってしまった感もあります。
精神科に限らず、医療の中味については、医療法も含め、確かに法律上は規定は無いですね。
医療機関としての運営に関する基本的な事項を定めているだけで、個々の医療行為についての契約に関わることはまるで触れていない。
むしろ運用上は、一般の商行為の取引同様に、民間人同士の契約上の同意署名というスタイルで済まされてしまっている。
患者の権利についての規定もないし、インフォームドコンセントに関わる原則も不十分なまま、医療機関側が訴訟を起こされた時に負けないように、患者・家族側から一筆とるということで済まされてしまっているというのが実情ですよね。
同様に、精神科の強制医療およびその同意についても、細かな規定はありませんが「主治医の治療に協力する義務」は保護者に負わされてしまっている。
ヘンな話しですが、医療に同意する権限は無いけど、医療に協力する義務は法律上明記されている。
この法律は、誰のための、何を定めたものなのかという、根本的な整理をしないと、ダメですね。