PSW研究室

専門職大学院の教員をしてる精神保健福祉士のブログ

識者の意見

2010年08月11日 11時21分49秒 | PSWのお仕事

何か事件の報道があると「識者の意見」が紹介されます。
その事件の当事者を知るはずもないのに、批評をします。

中には、色々背景の事情や情報を得た上で、正鵠を得たコメントを寄せている人もいます。
でも、多くはごく一般的な捉え方や、何も知らないで論評しているコメントも目立ちます。

マスコミ精神医学者としか言いようのない、困った精神科医もいます。
何が「識者の意見」なのかと、反論したくなるコメントも散見されます。

かく言う僕も、新聞の「識者の意見」にコメントを寄せたことがあります。
大学のセンセイになってから、初めて体験することでした。

ある日、新聞社の人が突然電話をしてきて、コメントを求められます。
こちらは、事件の概要等詳しいことを知りませんから、情報の提供を依頼します。

新聞社から何十枚というファックスや、添付ファイルが送られてきます。
数時間後に、あるいは翌日、記者が電話をしてきて、インタビューを受けます。

それを短いコメントに記者がまとめ、記事になります。
30分、40分お話ししても、残念ながら新聞に載る時は、ごく数行です。

いずれも、悲惨な事件でした。
「なんで…」と絶句してしまうような、事件もありました。

医療観察法では、当然ですが、精神障害者が対象事件を起こすことが前提になっています。
そして、その被害者は、多くは身内の家族であることが、知られています。

でも、一方で、精神障害者側が被害者である事件も、実は多数存在します。
追い詰められたご家族が、切羽詰まった状況で、当事者を殺めてしまう…。

マスコミで報道されるのは、事実関係のごく一部です。
オモテに出てこない、捜査資料や裁判資料を読むと、事件の背景が浮かび上がってきます。

実は、事件に至るプロセスで、専門職と呼ばれる人のかかわりの問題があったりします。
いや、むしろ、必ずと言って良いほど、専門職のかかわりのまずさが背景にあります。

それは、単に事件を予見できなかったということだけではありません。
何気ない専門職のひとことが、当事者と家族を追い詰めているのです。

もし、その場面で、その専門職が、そのひとことを、発していなければ…。
もし、その当事者が、その家族が、その病院でなく、その担当者でなければ…。

事件を取材した記者が「識者の意見」を求めるのは、単に無知なためではありません。
むしろ、事件の取材を通して、とても真摯に、実に多くのことを学んでいます。

でも、記事を書くのに、事件を伝えるのに、何か足りない点を感じているようです。
釈然としない割り切れ無さを感じて、「識者」に答えを求めているのです。

その真摯なジャーナリストとしての姿勢に、やはり真摯に向き合わなければと思います。
そして、その事件が訴えていることを、少しでも多くの人に伝えなければと思います。

いろいろな矛盾や問題が、鬱積した結果として起きているのが「事件」です。
突発的なようでも、実はそこに至るプロセスには、いろいろな原因があります。

僕は、たいした「識者」ではありません。
でも、臨床現場にいたPSWだからこそ、言える部分もあると思っています。

もし、残念な事件が起きてしまったら、皆さんも考えてみて下さい。
報道されている事実関係の背後に、どんな生活のプロセスが、生きてきた物語があるのか。

事件の当事者たちの、辛く哀しい想い…。
想像力が、彼岸の他者と、僕たちをつなぎます。