PSW研究室

専門職大学院の教員をしてる精神保健福祉士のブログ

目標7万2千人の退院は?

2010年05月07日 18時35分39秒 | 精神保健福祉情報

精神障害者の退院促進・地域移行支援を語る時に、必ず出てくる数字があります。
7万2千人という社会的入院者の数です。
「何人と覚えておけば良いんでしょうか?」という国家試験の受験生がいます。
「なんか、ころころ公表される数字が変わるよね?」と困惑した表情の人もいます。
「あの7万2千って数字は、どこに行っちゃったの?」と揶揄する声も聞かれます。

最初に7万2千人という数字が表に出たのは、2002年でした。
厚生労働省障害者施策推進本部による「受け入れ条件が整えば退院可能な入院患者(いわゆる「社会的入院者」)」の推計値です。
以後、「7万2千人」は、多くの場で繰り返し語られてきました。

この時、厚生労働省は「10年間で退院・社会復帰をめざす」と、高らかに宣言したのですが…。
もう、2010年度に入っていますが、どうでしょう?
2008年度末時点までの統計で、たしかに全国で2029人は退院しましたが…。
あと、7万人は、どうなるんでしょう?

2004年に出された「精神保健医療福祉の改革ビジョン」。
ここでは、約7万人を今後10年間で地域移行させると明言しました。
精神科病床の機能分化を進める、
精神障害者の地域生活支援策を強化する、等々により、
社会的入院者の退院促進を図るとした「改革ビジョン」は、関係者の注目を集めました。
そして、大きな議論を呼び起こしました。

そもそも「社会的入院者」とは、どのような方でしょう?
病状としては退院が可能な状態であるにもかかわらず、受け入れ条件が整わない等の社会的な理由により、入院継続を余儀なくされている患者のことをさします。
当初の約7万2千人という推計値は、1999年の患者調査をもとに公表されたものです。
その後2002年調査により、入院患者数32万9千人のうち6万9千人(21.5%)と下方修正されています。

一方、2006年の障害者自立支援法に基づいて、都道府県および市町村に障害福祉計画策定が義務づけられました。
この過程で、2011年度までの削減目標設定が課されました。
でも、自治体によっては、この数字を提示していないところもあります。
入院1年未満の者を省いたために、社会的入院は更に絞り込まれました。
全国累計4万9千人が「受入条件が整えば退院可能な患者数」(推計値)とされました。
これにより、国全体としては2011年度末までに、そのうち3万7千人を地域移行させることを目標に掲げるに至りました。
最初に謳われた「7万2千人の退院目標」は、半分になってしまいました。
それにしても、来年度末までに、3万人退院できるのでしょうか…?

一方、2003年の日本精神科病院協会の調査では、同様の患者数は3万8600人と推計されていました。
協会の会員病院を対象とした調査で「そんなには社会的入院者はいない」という結論でした。
当初両者の数字には大きな開きがありましたが、国の数値がどんどんトーンダウンしてきたせいか、帳尻が合ってきています。

かたや、7万人という推計は低すぎる、という意見もあります。
入院患者の3分の1(約11万人)は本来退院可能でありながら施設症化した長期在院患者群であるという報告もあるくらいです。
僕自身も、どんなに低く見積もっても、最低限それぐらいはいると思います。
少なくとも、僕が見てきたあちこちの精神科病棟にいる方を拝見する限りでは…。
広田和子さんは、先日の総合福祉部会で「20万人は社会的入院」と言ってました。

もっとも、退院ができる、できないという判断は主治医の裁量にゆだねられています。
残念ながら、何か、客観的な基準や指標がある訳ではありません。
主治医が「退院可能」と言えば退院可能ですし、「退院不可」といえば退院不可です。
もちろん、医学的に患者の病状を評価してのことですが、あくまでも病状評価によるものです。
社会的入院と言われる、「社会的」な側面での視点は乏しいように思えます。
退院して地域生活に移行できるかどうかは、環境要因によるところが大きいのが事実です。
やはりソーシャルワーカーによる評価や、環境調整の視点が必要でしょう。

巣立ち会の田尾有樹子さんによれば、「退院した患者さんに聞けば一番確実」だと。
主治医が難色を示しても、退院患者が「あの人は退院できる」と言う人は、退院して、地域でやっていけるそうです。
「病気が良くなったら退院じゃなくて、退院すると病気がよくなるね」
べてるの家の発言は示唆に富んでいます。
(『退院支援、べてる式。』医学書院、2008年)

現在の入院患者の在院期間別の構成割合を見ると(2005年患者調査)、1年未満は35%に過ぎません。
10年以上が23%に達しており、全入院患者の65%が1年以上の長期入院者です。
長期在院者がイコール「社会的入院者」では、決してありません。
病状の不安定さや、環境要因だけではない、多くの問題があるのは事実でしょう。
でも、長期にわたる入院生活による施設症化により、社会生活能力の著しい低下をきたした多数の入院患者が存在するのも事実です。
少なくとも、日本以外の国では、地域で当たり前に暮らしている人たちが、この国では入院したまま歳をとっていきます。

2009年9月に公表された、あり方検討会の最終報告書「精神保健医療福祉の更なる改革に向けて」では、社会的入院者は増えています。
2005年患者調査をもとに、約7万6千人(23%)となっています。
今後も、こうした推計値は、色々な数字が取り沙汰されることでしょう。

でも、どんな数字が掲げられようとも、入院患者が大きく変わっている訳ではありません。
棺桶に入っての死亡退院でなく、仲間と支援者に迎えられての精神医療サバイバー(生還者)を、どのように増やして行けるのか…。

目標とされている2011年度末まで、あと1年と10ヶ月です。
退院・地域移行支援事業の真価が問われてきています。