マスミンのピアノの小部屋

ピアニスト兼ピアノ指導者松尾益民が、ピアノや教育、世の中の出来事など日々感じることを、徒然なるままに綴ります。

ドビュッシーの前奏曲集第1集の後半

2024-07-14 00:22:37 | ラ・プロムナード・ミュジカル
明日のプロムナード・コンサートで演奏する曲です。
ドビュッシーの前奏曲集第1集から、第8~12曲です。
前奏曲集は1集、2集、合計で24曲ありますが、ショパンの前奏曲集のように、24調すべての調性で書かれているわけではありません。
ドビュッシーが、「印象主義」と呼ばれる作風をピアノで確立したのは「版画」でしたが、それをさらに発展させて、完成の域まで達したのが、この前奏曲集と言えるでしょう。
即興的性格を持ち、モティーフを展開しない、前奏曲と言う形式は、ドビュッシーには好都合だったようです。
印象派の絵画を思い起こさせるような作品だと思います。
第1集は、1909年12月から10年2月にかけて作曲されています。

第8曲 亜麻色の髪の乙女
以前にも弾きましたが、この曲は聴いたことがるという人は多いと思います。
ルコント・ド・リールと言う、フランス高踏派の詩人の、スコットランドの詩によるものです。
クローバーの咲く野原で、亜麻色の髪の乙女が、遠い恋人をと夢見る…ということらしいです。
第9曲 とだえたセレナード
この曲には、憶病な恋人の一夜を表しています。
愛の歌を聴かせるために、ギターをつま弾こうとしますが、まずは試しびき。
歌い出すまでに試行錯誤ののち、閉ざされた窓の下で哀願するように歌う愛の歌。
そしてスペイン風のフレーズ、そこへ騒々しく学生たちが通り過ぎ、歌を中断させられる…。
曲の途中に、全然違う楽想が入ってくるのは、そんな情景を表しているようです。

第10曲 沈める寺
晴れた朝、住民の不信を買ったために海の底に沈んでしまったイスのカテドラルが、海の底から浮かび上がり、教会の鐘が鳴り、僧侶たちの合唱が聞こえ、やがてまた海の底に沈むという、ブルターニュの伝説が元になっています。
タイトルの「寺」というのが翻訳した時にそうしたのね…なのですが、教会のカテドラルは寺じゃないよね…と。
せめて「沈める教会」とかして欲しかった。
協会の鐘の音が霧に覆われた海面から響き始め、協会が姿を現し鐘の音も大きくなり、やがてまた沈んでいく…まさにそういう状況をうまく音にしていて、堂々とした音楽となっています。

第11曲 パックの踊り
パックは、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」に現れる、気ままで移り気で皮肉っぽく、空気のようにとらえることができないいたずらな妖精のことです。真夏の夜の夢の挿絵がヒントになったと言われています。

第12曲 ミンストレル
ミンストレルというのは、古くは中世ヨーロッパにおいて、宮廷に仕えた職業芸人たちのことを指しますが、この曲のミンストレルは、それではないですね。
1920年代末に、アメリカの農園で働く黒人たちがケークウォークを踊り、コルネットやバンジョーを鳴らし、ミンストレル・ショーを催したのが始まりで、1900年ごろにヨーロッパに伝わり、その軽妙で物悲しくもある芸は、ミュージック・ホールで人気となりました。
ドビュッシーもその音楽に魅せられて、この曲が作られたようです。




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