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重症筋無力症に負けてたまるか!

写真の無断転載禁止です カメラ抱えてスタコラサッサ
築地・浅草・京都・エゾリス 
興味を持ったものを写真とともに

京都の紅葉が見頃で綺麗でした(2019年11月26〜29日)

2019-12-05 23:41:18 | 京都

 

 

11月26日山科の毘沙門堂門跡

 

先週、京都の紅葉がちょうど見頃で

御朱印巡りがてら紅葉もちゃんと観ておこうと

写真を撮っていたのですが

旅行初日の夕刻に行った毘沙門堂は多くの観光客が来ており

撮った写真に入ってしまうため

紅葉を見上げた構図ばかりとなってしまいました

 

 

同じく毘沙門堂の晩翠園(ばんすいえん)前

ここは夕日が強かった

太陽に紅葉が照らされると

紅葉を観ている分には綺麗なのですが

写真を撮るのが難しいのですよ

思ったように全然撮れなく、あとでガッカリ

 

 

11月27日大原三千院近くの律川 

塀に苔が生え、落ち葉と紅葉が綺麗でした

 

 

同じく三千院そばの法華堂の紅葉

まさに見頃の紅葉という感じでした

 

 

一乗寺の詩仙堂の紅葉

先週の旅行中(11月26〜29日)、ぽつぽつと雨が降ることはあったものの

比較的暖かく太陽が出ることもたまにありました

曇天でカメラの設定しているのに急に日が差すと

訳わからんちんになって、ええいそのまま撮ってしまえと

非常に投げやりでした(いかんいかん)

 

ちなみに詩仙堂の御朱印は書き置きのみで

訪れた午後3時近くにはもうすでに書き置きもありませんでした

 

 

同じく一乗寺の曼殊院門跡の前にて

 

一乗寺方面へ行くのは初めてだったのですが

紅葉の時期の詩仙堂や曼殊院はすごく人が多かったです

狭い道にタクシービュンビュン

団体さんどっさり歩いてくる

 

ちなみに京都の紅葉といえば永観堂、南禅寺、そして東福寺が有名なのですが

人が多すぎて大変だろうと思い今回は行きませんでした

ええ、へたれですよ私は

 

 

一乗寺の圓光寺、散り紅葉が見事でした

 

 

11月29日朝の真如堂にて

 

真如堂の紅葉は10年以上ぶりで

その時も朝9時前後に訪れたのですが人が少なくよかった記憶があり

今回改めて真如堂を訪れてみると

想像していた通り、多くの観光客で賑わっていました

 

どこもかしこも混んでいるのですよ、秋の京都

市バスは清水寺・銀閣寺方面は絶望的な混み具合

八瀬の叡山電車乗り場は瑠璃光院帰りの観光客で都心の電車のラッシュ状態

 

なるべく効率よく、できるだけバスに乗らないよう

地下鉄とJRを使い

歩く距離も短くタクシーを使うのも止む無しと望んだ今回の紅葉の時期の京都

昨日まで背中が痛くて泣きそうでした


京都の紅葉が見頃を迎えていました

2019-12-01 00:23:02 | 京都

 

 

2019年11月27日

京都大原の宝泉院にて

 

今週11月26日から京都へ行ってきました

旅を予約した段階では京都の御朱印巡りのことばかり考えていたのですが

ちょうど紅葉が見頃を迎えていました

 

紅葉の時期の京都へ行くのは10年以上ぶりで

その頃は京都市内の紅葉の名所と言われる神社仏閣は今現在ほど混んでいなく

南禅寺や真如堂など気楽に紅葉を観ていたのですが

今はもうダメじゃー!というくらい、どこも混んでいました

清水寺・南禅寺・銀閣寺方面の市バスなんてとてもじゃないけれど乗れません

尋常じゃないくらい混んでます

夕刻、南禅寺からバスで京都駅方面に乗ろうとしていたお客さんの多くは

積み残しとして来たバスに乗れていませんでした

 

大原や一乗寺、哲学の道方面の紅葉を観てきたのですが

 

 

2019年11月26日

山科の毘沙門堂の散り紅葉が有名な場所にて

 

毘沙門堂門跡も訪れたのですが

散り紅葉には少々早かったようです

この坂を下った場所からの散り紅葉の写真を撮ろうと

写真好きは早朝に訪れているようです

 

それにしても

紅葉の時期に御朱印巡りをするなんて自分をグーで殴りたい

どっちかにしろよ、と

それとなぜ今回も望遠ズームを持っていかないのだ、自分

 

というわけで訪れた神社仏閣の紅葉や御朱印はまた後日

 

 

 


大豊神社と熊野若王子神社の御朱印と動物おみくじを頂きました(京都御朱印巡り)

2019-11-22 00:43:34 | 京都

 

南禅寺や永観堂から哲学の道を歩いて北へ進むと

鹿ケ谷という場所があり

その地にある大豊神社と熊野若王子神社の御朱印を頂きました

 

右 大豊神社

  「京都哲学の道 大豊神社 狛ねずみの社」の印があります

 

左 熊野若王子神社

  「京洛東那智」

 

  

右は大豊神社のねずみくじ

左は熊野若王子神社の八咫烏(やががらす)みくじ    

 

 

3月下旬(話が前ですみません)

金閣寺と銀閣寺の御朱印を頂いた後

 

金閣寺と銀閣寺の御朱印を頂きました(京都御朱印巡り) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

金閣寺と銀閣寺の御朱印を頂いてきましたまばゆい限りの金閣寺久しぶりに来たのですが自分が考えていたよりも「金」です右ページ金閣寺の御朱印正式名...

金閣寺と銀閣寺の御朱印を頂きました(京都御朱印巡り) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

 

 

 

哲学の道を南へ進み

法然院〜安楽寺〜霊鑑寺門跡付近を通り

南禅寺方面にある大豊神社を目指しました

 

こちら大豊神社参道

出迎えてくれるのは狛犬

 

 

左は椿ヶ峰の御神水とのこと

創建時に裏手にある椿ヶ峰という山に社があり

寛仁年間(1017〜1021年)に現在地に移転したそうです

 

御朱印とねずみくじを頂いた社務所はこの鳥居を通りすぐ左手にあります

 

 

3月は梅の花が咲いていました

こちらが大豊神社本殿

 

本殿にて参拝し

大豊神社の狛ねずみを探します

 

 

途中、椿の花が咲いていました

 

 

どうやらこちらに狛ねずみさんがいるようです

 

 

こちらが大豊神社の狛ねずみがいる大国社

大豊神社の末社となっています

 

 

こちら側の狛ねずみは阿吽の阿型

巻物を持っています

 

 

こちら側は吽型の狛ねずみ

水玉を抱えています

 

なぜ狛ねずみなのかというと

大国主(オオクニヌシ)はスサノオの娘とできてしまい

それに怒ったスサノオが大国主にお前に娘なんてやれない!と

数々の試練なのか嫌がらせなのかされて

困っているところをネズミが助けてくれたという話

(すごくざっくりですが)

 

 

大豊神社の狛ねずみがいる大国社のすぐ隣はお稲荷さん

ねずみだけでなくキツネもいます

喧嘩にならないのだろうか?

 

大豊神社を後にし

歩いて数分

 

 

熊野若王子神社へやってきました

哲学の道の南端はこの社からということで

起点となっています

 

 

左手が熊野若王子神社本殿

右手は社務所となっていて、そちらで御朱印と八咫烏みくじを頂きました

 

熊野若王子神社は永暦元年(1160年)

後白河法皇が熊野権現を永観堂の守護神として作られた正東山若王子の鎮守だったものが

神仏分離により神社側だけが残ったとのこと

 

熊野詣でが大好きな後白河法皇は

今熊野観音寺と新熊野神社だけでなく

若王子神社の地にも作られたのですね

 

新熊野神社と熊野若王子、そして熊野神社(京都)を合わせて

洛中熊野三山と呼ぶそうです

 

 

大豊神社と熊野若王子神社

ここから永観堂や南禅寺はすぐそばです

 


宇治上神社と宇治神社の御朱印を頂きました(京都御朱印巡り)

2019-08-26 00:33:46 | 京都

 

 

京都府宇治市にある宇治上神社と宇治神社の御朱印を見開きで頂きました

 

平等院からほど近くにある世界遺産の宇治上神社

その宇治上神社と二社一体であった宇治神社

 

 

右が宇治上神社のうさぎみくじ

左は宇治神社のうさぎみくじ

各神社の社務所にて授与されています

 

宇治上神社と宇治神社、共通するのが祭神の菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)

その名の「菟道(うじ)」が現在の「宇治」の地名の元となっており

また「菟」の文字が「うさぎ」と読むことから

両神社のお守りやおみくじに描かれているとのこと

(宇治上神社の説明書きより)

 

 

宇治上神社の本殿

平安時代後期に建造され

現存する最古の神社建築として国宝に指定されています

1060年(康平3年)に建立との説があります

 

明治43年に解体修理されています

 

 

こちらは宇治上神社の拝殿

鎌倉時代の建造と言われています

1215年(建保3年)頃の建立

 

宇治上神社本殿・拝殿ともに建立時期が正確でないのは

歴史的資料がなく

使用された木材の年輪を測定する方法により建立の年代を算出しているとのこと

 

 

宇治上神社の鳥居前

平等院から宇治橋を渡り住宅街の中ほどにひっそりと佇んでいます

 

 

本殿と拝殿がある入り口前

こちらより参拝いたします

 

 

御朱印を頂く社務所には色とりどりの御朱印の見本がありました

季節によって色が異なるとのこと

 

 

左が宇治上神社拝殿

右が社務所となります

 

宇治上神社の参拝を終え

宇治神社へ

 

 

宇治神社の本殿

重要文化財となっています

 

 

宇治神社拝殿

 

 

宇治神社境内

 

宇治神社も祭神が菟道稚郎子(うじのわきいらつこのみこと)で

明治以降に分離されるまでは

宇治上神社と宇治神社は二社一体であったとのこと

 

 

宇治平等院から宇治上神社までは徒歩11分

JR奈良線宇治駅から徒歩20分となっています

宇治上神社と宇治神社間は歩いて5分もかからないです

 

 

宇治神社境内から参道を歩き鳥居前へ

 

 

宇治川にかかる朝霧橋と橘橋を通ると

平等院へと続いていきます

 


平等院の御朱印を頂きました(京都御朱印巡り)

2019-08-12 00:27:49 | 京都

 

 

京都府宇治市にある世界遺産の平等院

御朱印を頂きました

 

御朱印帳右から

 奉拝 日付

 鳳凰堂

 宇治 平等院

朱色のスタンプ

 上 鳳凰堂 

 下 平等院

 

平等院といえば

 

 

やはり平等院鳳凰堂

鳳凰堂ってこんなに鮮やかな色だったかな?と思ったのですが

2012年より大規模修理が進められ2014年に完成

赤茶色の顔料で鳳凰堂を塗り直したとのこと

 

以前訪れた時(2008年頃)は修復以前で

鳳凰堂はよい風合いの建物だという印象があったのですが

塗り直してしまうと「これぞ古刹」感が薄れてしまって

少々ありがたみがなくなってしまいます

 

とはいえ世界遺産の1つであり国宝である平等院

創建以来、鳳凰堂(阿弥陀堂)は現存しています

 

そして平等院といえばもう1つ

 

 

10円玉の表面に平等院が描かれています

(※10円玉の画像を平等院鳳凰堂との比較画像に変えました)

 

現在の鳳凰堂の写真と10円玉を比較してみると

中央部の土台部分くらいしか違いがないようです

 

 

平等院は平安時代の天喜元年(1053年)に藤原頼通によって建てられました

当時、宇治は貴族の別荘地で

関白であった藤原道長の別荘「宇治殿」を道長の死後

子である頼通が寺院に改め

それが今日の平等院と言われています

 

 

平等院の池の周りをぐるっと歩くと

御朱印が頂ける集印所があります

 

 

京都駅から宇治平等院へは

JR奈良線の快速に乗り約20分でJR宇治駅に到着

駅から徒歩10分ほどで平等院へ着きます

 

 

宇治橋から宇治川の眺め

右手側が平等院

左手側には宇治上神社や宇治神社があります

 


革堂(行願寺)と菅原院天満宮神社の御朱印を頂きました(京都御朱印巡り)

2019-06-21 00:10:16 | 京都

 

 

京都御所周辺にある行願寺(革堂)と菅原院天満宮の御朱印を頂きました

 

御霊神社(上御霊神社)と下御霊神社の御朱印を頂いた後

 

上御霊神社と下御霊神社の御朱印を頂いてきました(京都御朱印巡り) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

京都の上御霊神社(御霊神社)と下御霊神社の御朱印を頂きました右ページ「御霊社」と書かれているのが御霊神社(上御霊神社)左ページが下御霊神社の...

上御霊神社と下御霊神社の御朱印を頂いてきました(京都御朱印巡り) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

 

 

下御霊神社のすぐそばにある行願寺(革堂)へ向かいました

 

 

行願寺(革堂)の本堂です

 

行願寺は天台宗の寺で西国三十三所観音霊場の十九番の札所であり

寛弘元年(1004年)に行円上人によって上京区一条小川に創建されたとされています

 

行円上人は子どもを宿した母鹿を射止めてしまい

そのことを悔いたため

常日頃からその皮をまとって鹿を憐れみ

人々より皮聖と呼ばれたことから

行願寺も革堂と呼ばれるようになったとこと

現在の地に移ったのは宝永5年(1708年)の大火の後で

本堂は文化12年(1815年)に建てられたものです

 

 

西国三十三所の札所のため

御朱印を頂いている方を見かけました

 

線香をあげさせていただいたのですが

強風で火がなかなか点かなく

数分途方にくれました

 

 

こちらが行願寺(革堂)の門

下御霊神社から歩いてすぐです

 

 

続いて菅原院天満宮を目指します

卍のマークがある所が行願寺(革堂)で

行願寺から菅原院天満宮までは歩いて15分ほど

 

途中に京都御所の南側を走る丸太町通りを歩き

丸太町交番のある交差点を右折し

烏丸通りを進みます

 

 

ここが丸太町通りと烏丸通りの交差点です

管原院天満宮は地下鉄丸太町駅が最寄りの駅となります

 

右上の樹木がある方向が京都御所です

 

 

管原院天満宮の本殿

本殿は蛤御門の変(1864年)で焼失後、明治初めに再建されたとのこと

 

行願寺(革堂)から歩いて15分

管原院天満宮神社へ着きました

 

この地には

平安時代には菅原道真公の邸宅・管原院があったと言われています

道真公の死後

邸宅跡地には菩提を弔う歓喜光寺が建立されたが、移転し

残された祠に道真公と父・是善卿(これよし)、祖父・清公卿(きよただ)の三代を祭神とし

創建されたのが今日の管原院天満宮とされています

 

 

管原院天満宮の境内ある牛の像

菅原道真公が丑年生まれであったり

牛に助けてもらったことや牛に懐かれたことなどから

臥牛が境内に置かれています

 

 

こちからが管原院天満宮の鳥居前

 

管原院天満宮神社の授与品のお守りといえば

 

 

緑の背景に人の良さそうな顔をした菅原道真公のイラスト入りの出世守

御朱印にもこの顔がスタンプされています

 


金閣寺と銀閣寺の御朱印を頂きました(京都御朱印巡り)

2019-05-30 00:04:33 | 京都

 

 

金閣寺と銀閣寺の御朱印を頂いてきました

まばゆい限りの金閣寺

久しぶりに来たのですが自分が考えていたよりも「金」です

 

 

右ページ金閣寺の御朱印

正式名称は鹿苑寺舎利殿

御朱印に「舎利殿」と書かれています

その隣に金閣寺

 

左ページ銀閣寺の御朱印

正式名称は東山慈照寺観音殿

御朱印に「観音殿」と書かれています

隣には銀閣 慈照寺

 

京都駅から市バス101系統に乗り金閣寺へ

朝9時のバスに乗り30分ほどで金閣寺道バス停に着きます

この日は帰りの飛行機の関係で

午前中のうちに

金閣寺と銀閣寺の両方を参拝して御朱印を頂こうと少々焦りました

 

御朱印帳の見開きで金閣寺と銀閣寺の朱印を頂きたかったため

金閣寺周辺にある多くの神社仏閣を断念し銀閣寺へ直行

同じく見開きで頂きたい御朱印といえば

前回の今熊野観音寺と新熊野神社

今熊野観音寺と新熊野神社の御朱印を頂きました(京都御朱印巡り) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

京都駅から歩いて泉涌寺・東福寺方面にある今熊野観音寺と新熊野神社後白河上皇の熊野詣でに関わる両社寺の御朱印を頂きました右ページが今熊野観音寺...

今熊野観音寺と新熊野神社の御朱印を頂きました(京都御朱印巡り) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

 

 

上御霊神社と下御霊神社

 

上御霊神社と下御霊神社の御朱印を頂いてきました(京都御朱印巡り) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

京都の上御霊神社(御霊神社)と下御霊神社の御朱印を頂きました右ページ「御霊社」と書かれているのが御霊神社(上御霊神社)左ページが下御霊神社の...

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宇治上神社と宇治神社

 

宇治上神社と宇治神社の御朱印を頂きました(京都御朱印巡り) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

京都府宇治市にある宇治上神社と宇治神社の御朱印を見開きで頂きました平等院からほど近くにある世界遺産の宇治上神社その宇治上神社と二社一体であっ...

宇治上神社と宇治神社の御朱印を頂きました(京都御朱印巡り) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

 

 

そして上賀茂神社と下鴨神社

 

上賀茂神社と下鴨神社の御朱印を頂きました - 重症筋無力症に負けてたまるか!

御朱印帳のページ見開きに並ぶように上賀茂神社と下鴨神社の御朱印を頂きました朱印右上の色違いの判は双葉葵(賀茂葵)で賀茂神社の神紋とのことです...

上賀茂神社と下鴨神社の御朱印を頂きました - 重症筋無力症に負けてたまるか!

 

 

 

金閣寺の屋根の上にホウオウ(鳳凰)が見えます

 

金閣寺(鹿苑寺)は臨済宗相国寺派の禅寺で

同じく相国寺派の寺院として

銀閣寺(慈照寺)や同志社大裏手にある相国寺があります

1397年(応永4年)足利義満が西園寺家からこの地を譲り受け

山荘「北山殿」を造りました

その北山殿がのちの金閣寺と言われています

義満の息子、義持が北山殿を禅寺とし鹿苑寺と改名したとのこと

 

 

金閣寺は1950年(昭和25年)に放火により全焼しましたが1955年(昭和30年)に再建

再建前の金閣寺はキンキラキンではなかったとのこと

 

金閣寺の放火は三島由紀夫や水上勉の小説にもなりました

 

 

金閣寺そばの鏡湖池をぐるっと周り

御朱印を頂く朱印所へ向かう途中、金閣の三層より上が見えました

 

金閣寺は外国人観光客が多く混んでいます

伏見稲荷大社、八坂神社に次ぐくらいの混雑具合

前回来たのが20年ほど前だったのですが

混んでいた記憶はありません

 

 

金閣寺から銀閣寺まで市バス102系統に乗ろうと思っていたのですが

時間も迫っていることだしとタクシーに乗りました

料金は2500円ほど

銀閣寺までの途中、今出川通りをすすみ

京都御所と同志社の間を抜け京都大学を通り抜け

 

 

哲学の道の周辺でタクシーを下車

ここから銀閣寺まで登り道ですが歩いてすぐです

 

 

銀閣寺の総門に着きました

 

 

銀閣寺の総門を入ると大刈込の生垣がすばらしいです

ここを通ると銀閣寺に来たと実感できます

 

 

銀閣寺観音殿と手前の向月台

 

観音殿(銀閣寺)は1482年(文明14年)建立

室町幕府八代将軍足利義政が祖父である義満の北山殿金閣をならい

山荘東山殿を造ったとされています

義政の死後、東山殿を寺に改め慈照寺となりました

 

 

手前の銀沙灘と奥の向月台

銀閣寺は金閣寺よりも混み合っていなく

ゆっくりと参拝できました

 

 

銀閣寺展望所途中のすごい苔

全くと言っていいほど落ち葉がありません

 

 

銀閣寺展望所から

手前の銀閣寺の奥、こんもりとした吉田山が見えます

 

急ぎ足での金閣寺と銀閣寺の参拝でしたが

朝9時に京都駅を出て約2時間ほどで両寺院を回ることができました

 

 

銀閣寺も落ち着きがあっていいのですが

やはり金閣寺の「想像しているよりもずっと金色」感が印象に残りました

 


今熊野観音寺と新熊野神社の御朱印を頂きました(京都御朱印巡り)

2019-04-07 00:47:07 | 京都

 

 

京都駅から歩いて泉涌寺・東福寺方面にある今熊野観音寺と新熊野神社

後白河上皇の熊野詣でに関わる両社寺の御朱印を頂きました

 

右ページが今熊野観音寺の御朱印

西国三十三所の十五番

大悲殿(観音様がある本堂)

観音寺

 

左ページが新熊野神社

御朱印上部に八咫烏のスタンプが押されています

 

 

まず最初に参拝したのは今熊野観音寺

以前訪れた泉涌寺のすぐそばにあります

 

泉涌寺の御朱印を頂きました(京都・伏見稲荷〜泉涌寺) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

京都の御寺泉涌寺へ参拝し、御朱印を頂いてきました(2018年3月某日)入り口の大門から仏殿を見下ろすような下り道多くの神社仏閣が拝殿、または...

泉涌寺の御朱印を頂きました(京都・伏見稲荷〜泉涌寺) - 重症筋無力症に負けてたまるか!

 

以前いただいた泉涌寺の御朱印は上記ブログをご覧ください

 

今熊野観音寺の御朱印を頂ける場所は本堂の階段を上がって左手

分かりやすく「御朱印」と朱色の紙が貼ってありました

 

 

手前の道路右手へ行くと泉涌寺

ここを下っていくと今熊野観音寺です

 

今熊野観音寺の鳥居橋

お寺なのに鳥居?と思うのですが

この地に熊野権現社が鎮まっていたからとのこと

 

熊野権現とは熊野三山に祀られる神

熊野三山とは世界遺産になっている紀伊山地の霊場で

神様なのに観音寺とはこれいかになのですが

神仏習合が関わっています

明治元年に神仏分離令が出されるまでは神も仏を区別することなく拝み

その先駆けとなったのが熊野信仰と言われています

 

熊野信仰に熱心だったのが後白河上皇(即位1155年)

熊野詣でをしたいけど熊野は遠いということで

今熊野と言われていた地に熊野権現を迎入れ

当時その地にあった東山観音寺を今熊野観音寺と改めたとのこと

 

 

左手の高台のような場所にあるのは茶所

ここで休憩しました

 

 

 

今熊野観音寺から新熊野神社までは歩いて13分

 

 

新熊野神社の本殿です

先ほどは「今熊野」でしたが、こちらは「新熊野」

どちらも「いまくまの」と読みます

紀州の古い熊野に対して新しい熊野、京の今の熊野ということらしいです

 

こちらの新熊野神社も後白河上皇によって創建されています

1158年の天皇退位後、院政を敷くのですが

住まわれたのが三十三間堂の東側にある法住寺で

その鎮守社として創建されたのが新熊野神社

鎮守寺として創建されたのが三十三間堂と言われています

 

法皇時代も含めて生涯で34回も熊野に参拝したとのことですが

熊野遠いから京都に熊野権現呼んじゃえと今熊野観音寺と新熊野神社を創った

神仏習合の時代だから熊野のお寺も神社も作ったよ!ということでしょうか

 

 

新熊野神社といえば本殿屋根の上にある三本足が目印の八咫烏(ヤタガラス)

八咫烏は熊野の神社の御神鳥

 

 

新熊野神社では社務所にて八咫烏の置物が授与されています

口に咥えた大幣(おおぬさ)が白いのは神様の象徴で

赤い方は仏様の象徴とのこと

今回は白い大幣の八咫烏を頂きました

こちらの置物は身代わりになるとのことで

この八咫烏が壊れた時は

自身に降りかかった難を身代わりになって壊れたと神職の方から聞きました

 

 

東大路通りに面している新熊野神社

右手側に進むと智積院・三十三間堂方面となっています

 


上御霊神社と下御霊神社の御朱印を頂いてきました(京都御朱印巡り)

2019-03-27 00:32:21 | 京都

 

 

 

京都の上御霊神社(御霊神社)と下御霊神社の御朱印を頂きました

 

右ページ「御霊社」と書かれているのが御霊神社(上御霊神社)

左ページが下御霊神社の御朱印です

 

こちらの2つの神社に祀られているのは御霊八所

崇道天皇(早良親王)を祭神としていることで知られています

 

御朱印帳の見開きに御霊神社(上御霊神社)と下御霊神社

上御霊神社はJR京都駅から地下鉄烏丸線に乗り鞍馬口で下車、徒歩4分です

 

 

こちらが上御霊神社の本殿

御霊神社は上京区上御霊にあります

由来は延暦13年(794年)

平安京遷都にあたり桓武天皇が崇道天皇(早良親王)のお御霊を現場所に祀ったこととされています

 

 

上御霊神社は後述する下御霊神社と同様、大きな神社ではありませんが

観光客の多い八坂神社方面に比べ

ゆっくりと参拝できました

 

 

こちらは絵馬所

 

 

絵馬所内には上御霊神社に奉納された絵が飾られています

 

 

1467年、室町幕府の畠山政長がこの地に立てこもり山名方と一戦交えたのが

応仁の乱の幕開けとなってと言われています

 

 

 

南門と狛犬

 

南門は伏見城から移築とのこと

上御霊神社を後にし下御霊神社へと向かいます 

 

 

上御霊神社から下御霊神社までの経路は

鞍馬口駅から地下鉄烏丸線に乗り丸太町駅下車

丸太町駅から東へ10分弱歩きます

 

 

下御霊神社に着きました

こちらから正門へ

 

 

下御霊神社本殿

ちょうど梅が咲いていました

 

 

八重の紅梅とのこと

 

 

こちらは拝殿

 

 

印象的には上御霊神社よりも下御霊神社の方が狭いかな?

拝殿と本殿の間が狭いかも

 

下御霊神社も上御霊神社と同様、主な祭神は御霊八所です


東福寺の御朱印を頂きました(京都・伏見稲荷〜泉涌寺)

2019-02-10 00:10:35 | 京都

 

紅葉の名所と知られる京都の東福寺

臨済宗の大本山であり京都五山の一つです

 

御朱印を頂いてきました(2018年3月某日)

写真は東福寺三門

室町初期の再建で国宝に指定されています

 

 

一般的には山門ですが東福寺では三門と呼び

 

三つの門(三門)の由来は

「三解脱門」の略で、涅槃(ねはん)に達するために通らなければならない門とされ

「空門」「無相門」「無作門」の三つが三門とのこと

 

 

「大佛寶殿」と中央に書かれた東福寺の御朱印

 

御朱印に挟まれていた紙によると

 

東福寺が建立された建長7年(1255年)に

「洪基(大きな事業の基礎)を東大寺につぎ盛業を興福寺にとる」より「東福寺」と称し

仏殿に本尊釈迦如来を安置したことにより「新大仏寺」とも称され

「大佛寶殿」となる、との記載がありました

 

東福寺といえば秋の紅葉

通天橋からの紅葉は京都を代表するとも言われています

 

 

こちらが東福寺の通天橋

紅葉の時期ではないので空いていました

 

 

通天橋からの眺めです

間にあるのは渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)

紅葉と新緑は絶景とのこと

3月下旬に訪れたので少々寂しいものですが

すごい紅葉があると想像して観るのも悪くないかも

 

 

こちらは通天橋から繋がっている開山堂(常楽庵)

重要文化財となっています

こちら手前の門をくぐると

 

 

写真左手側が普門院、右手が開山堂

右手手前に見える白い砂は庭園となっており

 

 

普門院前の庭園は江戸時代中期の名園と言われています

 

 

開山堂・普門院前の庭が綺麗でした

 

 

それにしても東福寺は広い!

何度目かの再訪でしたが訪れるたびに発見があります

 

 

昔、バスツアーか何かで紅葉の時期に東福寺へ訪れたことがあるのですが

通天橋からの紅葉をもう一度観たいです

でも混んでいるんだろうな

 

 

こちらは東福寺本坊庭園(方丈庭園)入り口

京都で名庭といえば方丈庭園を外してはいけません

とはいえ

この日、伏見稲荷大社から始めた御朱印巡りを滞らせてはいけないと

今回は方丈庭園を断念

 

 

伏見稲荷大社から東福寺まで徒歩で20分ほど

 

途中、伏見人形の「丹嘉」で狐の人形を買いもとめ

 

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東福寺を経由し

泉涌寺へと向かいました

 

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