個人旅行専門 KENJI Travel

国内、海外の個人旅行・2人旅について、便利で安価な旅を提供するKENJI Travel

あなたの旅をコーディネート

秀吉と光秀の山崎合戦場を天王山登山で巡る旅

2014-07-16 23:35:36 | 古戦場めぐり
今回は、秀吉の天下統一が始まった山崎の合戦場を巡る旅を紹介します。


JR 山崎駅で下車し、駅前を左へ線路に沿って行き、踏切を渡ると天王山登口が見えます。
ここから坂道が始まります。ここに歴史街道百選の表示もあります。

まず山崎宗鑑冷泉庵跡の石碑が左手にあります。
山崎宗鑑は、室町時代の武士ですが、山崎に隠居して、俳諧で有名人になった人です。

しばらくすると、2方向に道が分岐するので右側の道からアサヒビール大山崎山荘美術館へ向かいます。

急な坂道をしばらくすると右手に秀吉の道: 「本能寺の変」の陶板画が見えます。
陶板画は、全部で6枚あります。
これは、本能寺の変の大名の領土を描いたもので、当時 織田信長の家臣が方々で合戦をしていた状況がわかります。

ここから先の道を左側に大山崎山荘の門をくぐって5分ほど登ると大山崎山荘美術館に到着です。

入場料900円で入ると 特別展と常設展の西洋絵画の絵などが見れます。
入場料が少し高いです。
2階のベランダは、喫茶店になっており高台からの山崎の街並みを見てお茶を飲めます。

建物は、昭和初期に建てられた英国風の山荘で、立派なものです。

次に大山崎山荘の奥から宝積寺を通って天王山を目指します。

結構急な坂道もあり、30分ほど登ると青木葉谷展望広場があり、その先に陶板画「秀吉の中国大返し」の絵があります。

酒解神社の鳥居が見えてきました。
鳥居の手前に山崎の合戦場を見渡す旗立松展望台があります。
ここは、狭いため順番待ちです。

展望台から山崎の合戦場が見渡せます。
鳥居をくぐるとすぐ左手に陶板画: 「頼みの諸将来たらず」と「天下分け目の天王山」と2枚が並んでいます。
明智光秀、豊臣秀吉の両軍の合戦絵巻が陶板画2枚に記載されています。
明智光秀があてにした武将が味方についてくれず、数で圧倒する秀吉軍に善戦したが、光秀軍が退却する様子を描いています。
昔は、淀川の周りは湿地帯で合戦するにも大変だったそうです。

この展望台の下には、山崎合戦の地 という大きな石碑があります。
これも見ておいてください。

少し歩くと十七烈士の墓があります。
十七士の墓は、江戸時代末期 禁門の変(1864年)の時、戦いに敗れ天王山中で自刃した隊長真木和泉守以下十七名の眠る墓です。

さらに登って行くと三社宮がありその奥に
「明智光秀の最期」の陶板画があります。

秀吉の道の陶板画は、明智光秀のことを詳しく記載しており、
知的な参謀の明智光秀が織田信長の急な新しい改革についてけなくなって起こした謀反と捉えています。
その奥に酒解神社の本殿があります。
本殿は朽ちて痛みが大きいです。

ここから坂道を登って行くと天王山山頂に到着です。
結構坂道がきつかったですが270mの高さしかありません。

山頂の 陶板画: 「秀吉の天下の道はここからはじまった」という絵があります。
この天王山山頂には、室町時代から城があり、秀吉も山崎の合戦で勝利した後すぐに城を築きました。
しかし、大阪城を築城した後は、役目がなくなり、廃城となりました。

山頂を歩いていると地元の方が、晴れた日には阿倍野ハルカスが見えると案内してくださいましたが、曇りのため見えませんでした。
今度登る機会がありましたら阿倍野ハルカスを見て見ましょう。

ここから下山し、山崎聖天(観音寺)に向かいます。
山崎聖天は、広い境内があり、急な石の階段の下に仁王がいる門があります。

さらに下山し、山崎駅南にある離宮八幡宮に向かいます。
石清水八幡宮の元社にあたる神社です。
嵯峨天皇の離宮であったので社名を離宮八幡宮としました。
創建1154年という歴史のある神社です。

この神社は、神官が神示を受けて「長木」(てこを応用した搾油器)を発明し荏胡麻(えごま)油の製造が始まったことから、日本における製油発祥地となっています。その後「大山崎油座」の制度が生まれました。
境内に、油租像もあり、戦国時代の山崎の繁栄が伺えます。

山崎の合戦場は、関西の方には、大阪と京都の中間にある交通が便利な場所です。
足腰のトレーニングにもなるので、一度天王山を登って秀吉の道陶板画を見てください。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿